6 彼女の旅立ち
彼女の容態が急に悪化したのは、冬の始まりを感じさせる肌寒い夜だった。
いつもなら、彼女と一緒に夕食を食べて、テレビのニュースを見て他愛のない会話をしていた時間。
けれど、その日は彼女が急に胸を押さえて苦しみ出した。
「痛い……」
彼女の声はかすれていて、今にも消え入りそうだった。
僕は何も考えられず、ただ彼女を抱き上げるようにして病院へ向かった。
その道のりは、思い返せばほんの数分の出来事だったのに、永遠のように感じられた。
病院に着いた僕は、医師に彼女を託すと、そのまま椅子に崩れ落ちた
手に残る彼女の冷たい感触だけが、僕を現実につなぎ止めていた。
医師が戻ってきたのは、それから1時間ほど経った頃だった。
「しばらく安静にしてください。ただ、容態は予断を許しません。」
その言葉に、僕は拳を握りしめた。
医師は続けて「できるだけ会話をしてください。それが心を支えることになります」と言った。
僕は病室に向かった。
扉を開けると、彼女がベッドに横たわり、薄い毛布に包まれていた。
その顔は青白く、息遣いもどこか不規則だった。
「……大丈夫?」
僕がベッドの傍に腰を下ろすと、彼女は微かに目を開けた。
「無理しないで、喋らなくてもいいから。」
僕がそう言うと、彼女はゆっくりと首を振った。
「約束、守れないかもしれない。」
彼女の声はとても小さかった。僕はその言葉を聞いた瞬間、全身が硬直した。
「何言ってるんだよ。そんなことない。」
「でも……もしそうなったら……」
彼女はか細い声で続ける。
「それでも、あなたには幸せになってほしい。」
僕は彼女の手を握りしめた。
「君がいないと、幸せなんて意味がない。」
言葉にするたび、自分の感情がどんどん壊れていくような気がした。
それから数時間、僕たちは何も言わずに過ごした。
彼女は目を閉じ、僕はただその手を握り続けた。
病室には彼女の呼吸音と機械の小さな音だけが響いていた。
そして、夜が明ける頃、彼女は静かに息を引き取った。
その瞬間、僕の世界は音を失った。
「ありがとう。」
最後に彼女がそう呟いた気がしたけれど、それが本当に彼女の声だったのか、それとも僕の幻聴だったのか、今となっては分からない。
病室の窓から差し込む朝日が、彼女の顔を照らしていた。
僕は彼女の手を握ったまま、ただその光景を見つめていた。
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