神、揶揄う
(神には食事など、不要なのだけれどね)
嗜好品として食事を楽しむ神も存在しないでも無いが、残念ながら暁はその分類では無かった。
酒はそれなりに好きだったが、食事は大してこだわりもない。
味もあまり感じないため、人間とは根本的に味覚が合わないのかもしれないな、とすら思っていた。よって気が向いたら供え物を食べる、その程度だった。
小夜はそれを知らないから、食事を用意したいなどと言い始めたのだ。
まぁ不要というだけで、嫌いというわけでも無いのだから、好きに作らせてやれば良い。口に合わなかったり、飽きたらその時だ。そう思った。
(此処に置いてもらっても良いという、理由が欲しいのだろう)
暁は、何も出来ないこの娘の心中を見抜いていた。それは媚というよりももっと切実で、苦しそうなものに見えた。
汚れの存在しない神の空間。
掃除などでは、目に見えるやり甲斐は無い。それに以前のように、人間から神への供え物を貰い続けることにも、後ろめたさがあるのだろう。
神の力が込められたものを(うっかり)飲ませてしまった時点で、暁とて小夜を野放しにするわけにはいかなかった。
ならば最低限身の回りのことくらい出来るようになったほうが、今後のこの娘のためにも良い。
(そこまで考えてやる義理などないのに……我ながら珍しい。まぁ、始めたばかりの新しい暇つぶしなんだ)
暁が祀られている
眠っている間に代替わりしたことには気づいていたが、当代の弓彦もまた、神へ仕え方を弁えている男だった。
暁が小夜に姿を見せていることに一瞬驚いた様子を見せたのには(若いな)と思ったが、彼はすぐにそれを隠した。小夜は気づかなかっただろう。
小夜への炊事の指導を任せてから数刻、暁は姿を消しながら、様子を時折確認しに来ていた。
弓彦は自らより年若い娘を、尊重すべき神の客人として丁重に扱っていた。そして絶望的に不慣れな小夜の手つきにも見放さず、困りながらも根気よく炊事を教えていた。
(これなら問題ない)
暁は短い間で当代の宮司を見極め、評価した。
用意が出来たと呼ばれて姿を現してやると、小夜は緊張した面持ちで椀を置く。
弓彦は
察する力があるのは良いことだ。暁は満足した。
「あの……食べてみて。あんまり上手く出来ていないかも、しれないけど」
「楽しみだな」
自信がなさそうに暁を見つめる小夜に微笑んで、箸を付けてみる。
米は溶けかかっていると思えば底には焦げついた塊が出来ていて、お世辞にも上手に炊けているとは言えない。しかし吸い物は、見た目こそ良くないものの素朴で沁みる味わいだった。
魚は元の姿を考えるとだいぶ小さく焼き目も不格好だったが、白身は柔らかくほのかな塩味が感じられた。そして芋と野菜の煮付けは、暁好みの甘みと醤油の風味の中で、素材の味が堪能できた。
最後の煮付けだけは目立った問題が無く、それを口に入れたとき期待の視線が、一際強くなったことに気づく。きっと、一番の自信作だったのだろう。
感想を伝えてやれば、小夜は明らかに嬉しそうな表情に変わる。途中で世辞かもしれないと思ったのか口元を引き結ぼうとしていたが、それでも頬は緩んでいた。
美味しい、と言ったのは嘘では無い。何より、暁は小夜の作った食べ物に味がすることに驚いていた。供え物を食べていたときは、あまり味を感じられなかったからだ。
これからも、小夜の料理なら食べてやっても良いと本心から思った。
供え物を無我夢中で頬張っていたときの彼女の顔を思い出す。幸せそうなあの顔。それをまた見たいと思っている自分がいることに、暁は気づいた。
小夜にも食べるように勧めると、当然という顔で離れた卓に着こうとする。しかし暁は食事をする小夜が見たいのだ。
きょとんとした表情の彼女に寄るようにと、手の動きで示す。
(人とまともに食事をしたことが、無いのだろうな)
小夜は湯気の立ち昇る椀を嬉しそうに見ながら、汁に息を吹きかけ冷ましていた。
目の前で箸を運ぶ小夜をまじまじと観察していると、「あんまり、見ないで」と顔を背けられる。
悪戯心から何故かと問うてみても、困ったような顔をするだけだ。見つめられて恥じるということにすら、この娘は慣れていないのだろう。
小夜は白い頬を紅潮させ、瞳を潤ませる。
神には人間と同じ心臓などない。だというのに、どくどくと鼓動が速まるような感覚がした。何故か、小夜から目が離せない。
(──綺麗な顔立ちだ。普通に生きていれば、男に囲まれて過ごしていただろうにね)
暁はもう一度、その恥じらった顔が見たくなってしまった。初めは美味しそうに食事を取る表情を見たいと思っていただけだったのに、次は恥じらう表情までとは。
(私も大概、物好きだな)
嗜虐心が身体の奥底から湧き上がる。暁は小夜をすぐそばに呼び、自らの脚の中に座らせた。
「小夜、手を見せて」
「手?」
彼女が指を怪我していることには気づいていた。炊事の最中に、切ってしまったのだろう。
小夜が申し訳なさそうな顔で指を隠していたものだから、食事中は見ないふりをしていてあげていたのだが、ちょうど良い。
揶揄いの口実になりそうだと気づいてしまえばもう、放っておいてなどやれない。
そして暁は小夜の指に丁寧に巻かれていた包帯を解き顔に近づけると、小夜は怯えたように手を退けようとした。どうやら、また噛まれると思ったらしい。
あの時何の脈絡もなく噛んでしまったことは、暁も悪いと思っていた。ほとんどあれだって、寝惚けていたようなものだったのだ。
自らに掛かった暴力的な疑惑を否定し、改めて指に口を付ける。
正直言うと別に、口など付けなくても治すことは出来る。しかし、直接神力を注ぐのに最も手っ取り早いのは、確かにこの方法なのだ。
みるみると小夜の傷が治っていくが、それは暁の目的の主要な部分では無い。
「ちょっと、暁……! もう治った、治ったから!」
制止しようとする彼女の声を聞いて、心底楽しくなってくる。少しだけ虐めてやりたいという欲求が、抑えられなかった。
ここで大人しく言うことを聞いてやる訳がない。
「ふふ、まだ治ってないかもしれないよ?」
露骨に音を立ててやれば、小夜は華奢な身体をぴくりと震わせた。さらに気分が良くなって、暁は舌で彼女の指先を舐め始める。
意識して殊更ゆっくりと這わせてやれば、小夜が息を詰めるのが分かった。調子に乗った暁は音を聞かせるように、今度は吸い付いてみる。
ちらりと反応を伺うと──小夜は、縮こまるように震えながら瞼を閉じていた。
長い睫毛が、ふるふると揺れる。睫毛同士が擦れる音すら、聞こえてきそうだった。
喉の奥から頸を通り脳天へと、激情のような昂ぶりが昇って来る。
(は……)
いかにも不埒に触れられているのに、逃げるような振りだけして、愚かにも目を瞑るなど。
この娘は自らが愛らしい顔立ちをしていることにも気づいていなければ、男の心をを酷く擽るような仕草をしていることも、全くと言っていいほど理解していない。
暁にそんな趣味など無かったはずなのに、手酷く虐めてしまいたくなる。まるで快楽主義の神たちの、一員になってしまったかのようだった。
水っぽい音が止んだからか、彼女がやっと瞼を開く。暁は内心の激動を一抹すら悟らせないような表情で、口を開いた。
「睫毛が震えていたよ」
小夜はずっと見られていたことに気づいたのだろう。途端に真っ赤になって目をうろうろさせる様は、先程の扇状的な姿とは打って変わって年相応と言えた。
それが何だか面白くて、思わず笑いが込み上げてくる。
(──こんな子どもに。私は一体、何を)
一瞬でも変なことを考えた自分が馬鹿らしくて、そして狼狽え続ける小夜が愛らしくて、暁は笑いが止まらなくなる。
「くふふっ……はははは! ごめんね、面白くて」
「お、面白いって!」
小夜は揶揄われたことに憤慨し、拗ねるような表情になった。しかし目尻を釣り上げたとて、潤んだ瞳では全く怖くない。
暁はまたちょっかいを掛けてしまう。
「ごめんごめん、可愛くて、の間違いだったよ。ふ、ふふふ……」
可愛い。本当にそう思った。
最初は暇潰しのための玩具にでもするかと、その程度の気持ちで連れてきたのに。どうやら自分はこの人間に早くも情が移り始めているらしいと、ここまで来れば認めるしかない。
頭を撫でてやれば、機嫌を取っているのかと拗ねたように言われて、また愉悦が湧き上がってくる。
しかし何も知らないが故に、彼女は危っかしい。一応は年頃の娘である自覚が足りていない。
ほんの少しは釘を刺さなくてはならないな、と思った。これはあくまで、親切心だ。
「ねぇ、小夜」
何だか自分の声がじっとりとしている気がするが、気のせいに決まっている。
「嫌なら嫌と言わなければいけないからね。決して……あんなふうに震えながら、目を瞑ってはいけないよ」
特に男の前では、とは言わなかった。眉を顰めている小夜にはまだ、絶対に理解できないだろうから。
この少女はまだ情緒すら発達し切っていない。まずはそれを育ててやろうかな、なんて暁は密かに思った。
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じれじれもだもだが始まって参りました。次話から第二幕です。
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