第37話 爵位は兼任出来る、つまり

 窓のない書斎、ランプの灯りに照らされた仄暗い室内で、辺境伯と向き合って座る。


 紅茶を入れてくれたメイドも部屋を出ていき、室内には二人きりだ。


「ヴァッサーブラット卿……貴方のような者をこそ、時代の担い手と呼ぶのだろうね。その器は、ディアモント王国という小国に収まるものではないだろう」

「……、……」


 不穏な語り始めだなと思い、気を引き締めていたのだが。


「しかし……ゆえにこそ伏してお願いしたい。どうかこれからもこの国を守り、導いてもらえないだろうか」


 頭を下げながら告げられた言葉は、ディアモントへの忠節にあふれた言葉だった。


 突然の言葉に目を白黒させていると、辺境伯が言葉を重ねていく。


「辺境に届くのは、ヴァッサーブラット卿に関する口さがない噂ばかりだったが……領地改革指南書。そして、あの摂政閣下がヴァッサーブラット卿について熱く語る姿。それを見て、貴方の素晴らしさを知ったよ」


 レーゲンがそこまでしていたとは思わず、嬉しさが込み上げてくる。


「特に指南書だね。可能なかぎり民たちに配慮した内容のあれを読み、貴方が領民への想いにあふれた人物である事がよく分かった。貴方ならば女王陛下を支え、この国をより良くし、治めた地の民たちに幸福をもたらすと」

「もちろんです。ヴァッサーブラット家はこれからもディアモント王国と共に在ります」


 その言葉を聞くと安堵しように微笑み、紅茶を口にする辺境伯。


 次に彼の口から飛び出した言葉は、余りにも予想外のものだった。


「そんな貴方にならば……この地も、辺境伯の地位も託す事が出来る」

「っ!?」


 目を見開く俺に対し、辺境伯は穏やかな口調で言葉を紡いでいく。


「私はもう長くないのだよ。そして私が死したのち、辺境伯の地位はウルカが引き継ぐ事になる。ゆえにヴァッサーブラット卿……どうか娘を娶り、辺境伯領をヴァッサーブラット家に組み込んでもらえないだろうか」

「……本気ですか?」

「ふふ、私は冗談が苦手だ。ウルカもこの事は了承済みだよ。……あの子なりにヴァッサーブラット卿に気に入られようとしていたようだが、目に余る態度だったらすまないね」


 いえとても魅力的な仕草でした、とは口にしない。というより、驚き過ぎて言葉が出てこなかった。


「放心しているようだが……どうかしたかね、ヴァッサーブラット卿」

「ああ、いえ、失礼しました。余りにも私にとって都合の良い話で、戸惑いのほうが大きく」

「ふふっ、これを都合が良いと解釈するのはヴァッサーブラット卿くらいのものだろうね。魔獣が多く、土地も豊かとは言えず、そのくせ外敵に備えるために相応の軍団を維持する必要があり、実入りも少ないのだから」


 辺境伯領を好き放題に開発出来る上に、大手を振って交易ルートを持つ事が出来る。それに、響きが格好いい。


 辺境伯の死期が近い事に心が痛みつつも、今後の内政計画が頭の中で組み上がっていく。一つ問題があるとすれば、それは。


「……ウルカ殿を迎えるなら、第三夫人という形になります」


 これを辺境伯が、ウルカが許容出来るのかどうか。


 俺の言葉を聞いた辺境伯は苦笑しながら口を開く。


「あの子を大切にしてくれるのなら第三夫人でも構わない。ウルカも否とは言わないだろう。最強の魔法使い、魔獣たちの姫君。その肩書は、辺境伯の孫よりも尊く重たい意味を持つだろうからね」


 余りにも物分りが良すぎて戸惑ってしまった。


 そんな感情が顔に出ていたのだろう、辺境伯が畏敬の念を込めて言葉を続ける。


「もちろん、これが単なる若き侯爵への申し入れなら序列にこだわっただろうね。だが……貴方は何か大いなる運命の下に生まれつき、偉大なる事を成す為に産まれた存在なのだと思う」


 叡智を宿した月色の瞳が、まっすぐに俺を見つめてくる。


「人の世の常識など、貴方の前では意味をなさないのだ。きっとね」


 思い返すのは、過去にリリスリアに言われた言葉。


『貴方はきっと何にでもなれるし、何でも出来る。無限に貌を使い分けて望みを全て叶えてしまえる。そんな存在を前にしたら、屈服するしかないじゃない』


 悪い気分ではないが、むず痒く、どう言葉を返して良いか分からなかった。


「そういう事であれば、喜んで辺境伯を引き継がせてもらいます。ただ、今は忙しくて、ルリやメラニペとの結婚式を挙げるのもままならない状態で……」

「はっはっは、大丈夫だよ。今しばらくは、生きられるだろうからね。待つとも。ただ、領地の運営も年々しんどくなっていてね。私の代わりに内政を一手に担ってくれる文官たちを派遣してもらいたいものだ」


 そこに込められた意図を察して頭を下げる。


「分かりました。ありがとうございます」

「いやいや、それはこちらの科白せりふだよ。これで憂いなく神の御本に旅立つ準備が出来るからね」


――こうして俺は、思わぬ形で辺境伯領を自由にする権利を得たのだった。


 ウルカとしっかり話をしないとな……。

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