第5話 初めてのXX

「どこに行くのですか?」

「敬語はやめてちょうだい。貴方も本当は敬語なんて使いたくないでしょう?」

「いえ、そんなことは……」


 ないです、と口にしようとしたとき、唇にピタッと人差し指が当てられた。リリスリアの指だ。


「隠さなくていいの。貴方は私のことを明確な格下と思っている。いえ、これは表現が正確ではない……、そう、私が何をどうしようと自分の思い通りになると思っている。そうでしょう?」

「――――」

「うふふ、ようやく表情が硬くなったわね。一矢報いることができて良かった」

「……はぁ。別に、何でも自分の思い通りになるなんて思ってないさ。ただ、俺は貴女よりずっと多くのことを知っているだけだ。……で、こんなところに連れてきて何の用だ」


 いつの間にか人の気配が全くない区画に来ていたので、何が起きても対処できるよう統率を下げて武勇に割り振る。


「そんなに警戒しないでちょうだい。ここは庁舎の中に造られた私的な空間。貴方とは、誰にも見られず、聞かれず、二人だけで話したかったのよ」


 そう言えば、彼女は庁舎の中に気に入った男を連れ込むためのプライベート空間を造っていたはずだ。


「ああ、またその顔。勝手に何かを納得して……こうなることも、この場所のことも知っていたのかしら?」


 なるほど、そんなに分かりやすく顔に出ていたのか。これからは気をつけたほうが良いだろう。


「まぁ、それは良いの。それよりも、ねぇ、貴方には何かとても大きなことが見えているのよね? 金鉱脈、なんてものではなく、もっと莫大な価値のあるモノを生み出す何か。今日払った大金が端金になるような何か」


 どれだけ金に関する嗅覚が鋭いんだ、と、呆れ半分、称賛半分で嘆息する。


「私にも貴方のやりたいことを手伝わせてちょうだい? 私の肩書と能力は、きっと貴方の役に立つはずだもの」


 こちらの言葉を待たずに言いつのるあたり、余裕があるわけではないらしい。むしろ焦りすら感じる。


「どうしてそんなに焦っているんだ? 貴女らしくもない」

「知ってる? 余りにも隔絶した存在を前にすると、人って自分を保てなくなるのよ。推し量ろうとしてもコロコロと変わって底を見ることができない。ついさっきまでとはまるで違う人間みたい。あぁ……こんな気持ち、初めて。貴方は一体、何なの……?」


 頬を紅潮させて、震えながら絞り出された言葉。そこには興奮と畏怖が混じり合っていた。


 どうやら彼女は俺のステータス操作を明確に認識しているらしい。目星が利く賢い者は超常の力に出会うと狂いやすい、というのは本当だったのか。


「とりあえず落ち着いてくれ。どうすればその震えが止まるんだ?」

「お願い、私を抱いて」

「……は?」


 唐突な言葉に思わず聞き返すと、リリスリアは自身の震える身体をかき抱くようにした。豊かな胸が強調されて思わず凝視してしまう。


「興奮して我慢出来ないのっ。今までだって素敵な男の人や魅力的な女の子に興奮することはあったけれど、こんなに激しいのは初めてで……!」

「んんっ!?」


 胸に釘付けになっていたから、唐突な口づけを避けることが出来ず……キスされた、と思った次の瞬間には舌と舌が絡み合っていた。


 濃密で情熱的な自らを捧げるかのような口づけに、理性がクリームのように舐め溶かされていく。


 このまま流されたい気持ちはあったが、どう考えても厄介なことになる未来しか見えない。


「ぷはっ……!」


 無理やり引き剥がしたのち、可能なかぎり手加減して殴り、意識を失わせる。


「あぅっ……」


 意外と可愛らしい声を上げて気絶したリリスリアの身体を抱えながら、恐らくは彼女のヤリ部屋であろう場所に入り、ベッドに寝かせてやるのだった。


……まさか初めてするキスが、こんな形になるとは。あと少しでも智略が低ければ流されていただろう。


 それからしばらく経って目を覚ましたリリスリア。彼女は自分がベッドの上にいることを認識したあと、驚きの表情を浮かべた。


「私にキスされて流されない人がいるなんて……厳格な聖人も無垢な乙女も堕ちるはずなのに」

「どう考えても厄介なことになるだろ、手を出したら」


 古今東西、権力者はハニトラで身を滅ぼしてきたのである。


「うふふ、貴方を罠にハメようだなんて思っていないわ。むしろ私の全てを捧げても良いくらい」

「そうやって心を絡め取ろうとしても無駄だぞ」

「あら、本当よ?……信じてもらえないのも無理はないけれど、本当に貴方に尽くしたいと思っているの」


 嘘かどうか確かめるために政治の能力値を上げる。政治が相手より高ければバレずに嘘を吐くことも出来るし、嘘や心理を見抜くことも出来る。


「……嘘はついてない、みたいだな。でも、どうして初対面の俺にそこまで?」

「初めて魅了出来なかったヒトだから……というのもあるけれど、心が折れてしまったのよ」

「心が折れた?」

「ええ、貴方みたいな化け物がいるということに。私以上の魔力を見せたかと思えば、大国の武官すら超える武威を叩きつけてくる。貴方はきっと何にでもなれるし、何でも出来る。無限に貌を使い分けて望みを全て叶えてしまえる。そんな存在を前にしたら、屈服するしかないじゃない」


 リリスリアは“もうどうにでもなーれ”、とでも言わんばかりに両手を広げて、可笑しそうに笑っている。


……俺のステータス操作のことだと思うが、そこまで言われるようなモノなのだろうか。


「そんな風に言われたのはこれが初めてだから、反応に困るな」

「気づいてはいけない事に気づくのが得意だったの、子どもの頃からね。正気を失いかけたことも一度や二度ではないけれど……今回のはその中でもとびっきり。きっと狂ってしまったのね、私」


 リリスリアは原作ゲームにおいて攻略対象ではないため、情報が少ないが……そう言えば、設定資料集には“勘が鋭く異次元の存在を認知しやすい”と書かれていた気がする。


 化け物扱いされるのは心外だが、転生者は確かに異次元の存在かもしれない。


「って言われてもな。俺は自分の大切な人と領民がずっと幸せに暮らせる場所を作りたいだけだぞ」

「貴方が世界征服を望んでいなくて一安心。それなら、こういう提案はどうかしら。――私の地位と権力の及ぶ範囲で貴方に協力するから、大切な人の中に私も入れてほしい」


 予想外の言葉に戸惑ってしまった。


「どうしてそんな提案をするんだ?」

「だって、怖いもの。まかり間違って貴方の障害になったら、と思うと、怖くて堪らないの。だから貴方の身内になりたい、そのために何でもする……そんなにおかしい事かしら?」


 一体全体、リリスリアの中で俺はどれほど鬼畜外道な化け物にされているのだろうか。


 と、思ったが、彼女は俺のことを一切知らない。よく分からないやつが強大な力を持っていたら、それは恐ろしいだろう。


「安心してくれ、リリスリアとは良い関係を築きたいと思ってるさ。身内どうこうは、正直いきなり言われても困るけど、積極的に協力してくれるのはありがたい」

「その言葉が聞けて安心したわ。本当に何でもするし、もし私の態度で気に入らないところがあったら、そういう所も指摘してちょうだいね。直すから」


 原作で常に上から目線で主人公を翻弄していたリリスリアが下手に出ている、というのは不思議な感覚だった。


 ともあれ、リリスリアが味方になったことは素直に喜ばしい。


 必要な時が来たら存分に力を振るってもらおう、と思うのだった。

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