第23話

「――――ここが豊橋港か……来るのは初めてだな……」


 時刻は午後八時。


 海からの冷たい風が吹き付ける港を、僕は一人で歩いていた。


 『今日の午後八時、豊橋港にアルク君一人で来てください。大人しく応じてくだされば、貴方の命と引き換えに、魔王様に全てお返しします』


 これがシレンダさんが僕に残した伝言。きっとシレンダさんは僕達の計画を把握していたんだ。そして僕だけに伝わるように、あの言葉を残した。


 もちろんカスケードやメイに言えるわけない。こっちの行動をそこまで把握しているシレンダさんに、嘘や誤魔化しが通じるとは到底思えないのだ。


(ま、最初からそのつもりだったけどね)


 だってこの旅は、元々僕とティア様二人だけのはずだった。そこにメイとカスケードが加わりこうなったのだ。


 ……まあその僕も側近から外されたけど、それはまた別の話だ。


 閑散とした港に視線を巡らす。


 すぐ後ろには大きな倉庫らしき建物がズラリと並び、遠くには一定の間隔で停められた車が、やはりズラリと並んでいる。


 だがそこに灯りは一つもなく、非日常的な、ある種異世界のような光景が広がっていた。


「これが僕の見る最期の光景か……。てっきり魔界で、ティア様のそばで死ねると思ってたのになぁ……。まあいいか、醜い吸血鬼の末路なんてこんなものか」


 すっかり口癖のようになってしまった自虐。それに気付き、自嘲気味に笑う。


「はは、こんな卑屈な姿、ティア様に見られなくて良かった」


 ――――その時、倉庫の間から誰かの気配を感じた。


 そしてその人物は、姿を隠すでもなくこちらに近付いてくる。


「こんばんわアルク君。お待ちしておりました」


「少し振りですねシレンダさん。相変わらずお綺麗です」


 月明かりに照らされたシレンダさんは、いつもと変わらず涼しげな顔をしている。


 ティア様に劣らない美貌と、スレンダーな体を包むメイド服。そしてその体からは、懐かしい、そして蔵之介を凌ぐほどの魔力が迸っている。


「驚きました。珍しいですね、アルク君がお世辞を言うなんて。何か良いことでもあったんですか?」


 その割に顔色一つ変わってない。ずっと思っていたが、読めない人だ。


「お世辞じゃないですよ。それと、これから良いことが起きる予定です。…………さてシレンダさん、挨拶はこれくらいにして、本題に移りましょう」


 魔力を完全に消し去る。これで僕の魔力抵抗力はゼロ。いつでも殺される準備は万全だ。


「…………何も聞かないんですか?」


 聞きたくないはずがない。だけどそれを聞いたとして全て無意味だ。だって僕は今から死ぬんだから。


「それはティア様に教えてあげてください。きっとティア様はシレンダさんを許してくれます。僕ごとき吸血鬼より、シレンダさんのことを信頼してるはずですし」


「……はぁ……」


 大きなため息を吐かれた。なんで呆れられてるんだ僕は。


「分かりました。もうけっこうです。もう聞きたくありません。……目を瞑ってください」


 言われるまま目を瞑る。このまま無抵抗に殺されれば、この人はティア様から奪ったモノを返してくれるだろう。どうしてこんな凶行に出たのかは分からないが、それでもシレンダさんの清廉さは身に沁みるほど分かっている。


「それではいきます」


 足音が近付いてくる。恐らくシレンダさんは目の前にいるだろう。


 ふわりと甘い香りが鼻腔をくすぐる。そういえば、この人はいつも良い匂いがしていた。



 ――――そして。



「愛してますアルク君。その命を私にください。私だけのものになってください。……そしたら、魔王様に全て返して差し上げます」


「………………え?」



 僕の思考は、完全にフリーズした。




 ――――意味が分からなかった。今言われた言葉の意味が、僕を優しく抱きしめるシレンダさんの温もりが、全てが僕の思考をパニックに導き、まともな思考を停止させる。


「初めて貴方を見た時から想ってました。美しい少年だと。貴方の努力をずっと見てきました。無垢で愛おしい少年だと。だけど貴方は魔王様のお気に入り。私ごときが貴方を愛することは許されない。だから待って、待ち続けていました。貴方が魔王様に捨てられる日を。そして遂にこの日が来たんです」


 言葉が出ない。シレンダさんの言ってる意味が理解できず、頭の中で何度も反芻する。


(シレンダさんが……僕を、好き……? え、なんで? 好きって……え、愛してるって……えっ⁉︎)


 背中に回された手。胸に押し付けられる柔らかな膨らみ。それは愛する相手にする抱擁で、やっぱり意味が分からない。


「嘘、ですよね……?」


「本当です。私が今まで、貴方や魔王様に嘘を吐いたことが?」


「ない……ですけど……」


 こんなの予定とまったく違う。というか想像できるはずもない。


(だってシレンダさんは僕の命と引き換えに、ティア様に全てを返すって……え、それって僕のことが欲しいって意味だったの⁉︎ アレがプロポーズだったってこと⁉︎)


 ようやく戻ってきた思考。だがまともに機能なんてするはずない。


「お返事をお聞かせください、アルク君」


 そっと温もりが離れた。それに本当に少しだけ後ろ髪が引かれるが、今はそれどころじゃない。


「え、ちょっと待ってシレンダさん! じゃあティア様から魔力とか記憶を奪ったのは⁉︎」


「アルク君をお気に入りから外すためです」


「わざわざこっちの世界に隠れたのは?」


「魔王様にこっちの娯楽に夢中になってもらい、アルク君への興味をさらに削ぐためです」


「……くらがり渓谷で何を試したの?」


「二人の距離がどれくらい離れたか試しました。アレは完全に悪手でしたが、まあ結果オーライです」


 力が抜けていく。今までの僕達の苦労、シレンダさんの凶行の正体が、そんなことのためだとは信じたくなかった。


「……ちなみにですけど、今までどこに隠れてたんですか? 僕達が突撃した三軒のどこかにいたとか?」


「アレらはダミー、カモフラージュです。それと、どうやら気付いていなかったようですね。……貴方達の暮らしていた部屋の隣、空き部屋でしたよ?」


 ……もうショックで倒れそうだ。ずっと探していたシレンダさんが、実はすぐ横の部屋にいたなんて滑稽を通り越して馬鹿すぎる。


(ああ、そういえば灯台下暗しって言葉があるんだっけ……いや、むしろ事実は小説よりも奇なりって奴か……)


 しかし倒れそうになる僕に、シレンダさんが真剣な顔で詰め寄ってきた。


「さて、答え合わせはここまでにしましょう。貴方の答えは? 『イエス』か『はい』のみでお答えください。そうしたら、貴方の中から魔王様の記憶を全て消し、私を愛した記憶に上書きしてあげます」


 しかも拒否権はないときた。どこでシレンダさんにフラグを立てたのか皆目見当も付かない。


「――ああ、ちなみに、本当にないと思いますが、もしアルク君が私の告白を断ったら……」


 そこでシレンダさんが何もない空間に手を突っ込んだ。手の先が消えているあたり、そこに亜空間を繋げているんだろう。


「さっき言いましたが私の部屋は魔王様の隣。転移用の魔法陣もとっくに設置しています」


 取り出した魔水晶には、見覚えのある壁と空間転移に使う魔法陣が映っている。


「大変心苦しいのですが…………魔王様には消えてもらいます」


 その目は真剣そのもので、だけどどこか不敵な光を孕んでいて、僕の心臓を止めるほどの衝撃だった。

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