第24話
――選択肢なんて無かった。
シレンダさんの言葉はまだ信じられないが、それでも信じるしかない。
ここで僕が断ればティア様が殺される。そんなのシレンダさんからは想像もできないが、さっきの脅し文句も僕の知るシレンダさんからは想像できない言葉だ。
「……女の人って、怖いですね」
「アルク君は純粋ですからね。他の侍女魔族が寄り付かないようにするのは大変でしたよ」
「あはは、少しは自信が付きました」
「貴方はもっと自分に自信を持つべきです」
「そういえばシレンダさん……」
「――もういいでしょう。早く答えなさいアルク君」
痺れを切らしたのか、シレンダさんの手に魔法陣が浮かぶ。その手を少し伸ばせば、その膨大な魔力を指先に込めれば、ティア様のいる部屋は消し炭になるだろう。
(……そうか、これが報いか。ティア様の目的を、想いを無視した僕には相応しい報いだ)
だったら喜んで受けよう。シレンダさんの愛に応え、ティア様のことを全て忘れるだけだ。ティア様にも劣らない美貌のシレンダさんに寵愛を受けるだけの生活がずっと続くだけだ。
「……分かり、ました」
「色がない返事ですね。さっきの二択は訂正します。この先永遠に、私のことを愛してくれますか?」
「僕はシレンダさんのことを、永遠に…………ぃし……あい、し…………」
それ以上、言葉が続かなかった。何度声を出そうとしても喉がつかえ、胸が詰まり、涙が溢れてくる。
――忘れたくなかった。ティア様のことを、共に過ごした、幸せだった日々を。
――ずっと続いてほしかった。続くと信じて疑わなかった。もう戻らない、戻れない日々が。
(ダメだ、早く答えろ、言葉にしろ! そうじゃないとティア様が殺されるんだぞ⁉︎ こんな状況でも、僕は自分の気持ちを優先するつもりなのかッ⁉︎)
自分の喉に手刀を突き刺す。使えない喉仏を、筋肉を無理やり引き千切り、瞬時に再生させる。
……だがやはり言葉が出ない。代わりに出るのは涙ばかりで、そんな自分が情けなくて、その場に崩れ落ちてしまう。
「ぼぐは……ジレ、ンダさんを…………カヒュッ、愛じ……カハ……愛、じ……」
「アルク君…………」
見てられなかったんだろう。こんな汚い愛の告白、聞くに耐えなかったんだろう。
さっきまで冷たさを纏っていたシレンダさんの声色は、まるで聖母のような温かさを含み、崩れ落ちた僕の頭が優しく抱き締められる。
「貴方の気持ち、よく分かりました。全て……忘れさせてあげます」
――しかしシレンダさんがそう言いかけた時、聞き覚えのある声が僕の耳に届いた。
「待てシレンダっ‼︎ 貴様、わしのアルクに何をするつもりだああああッ‼︎‼︎」
「…………へ?」
そこにいたのは見紛うはずもない、白銀の髪の少女が立っていた――――。
――目を疑った。当然だ、この場にこの方が来るはずがない。そもそも僕は愚かにもこの方を激怒させ、そばにいることを拒絶されたんだから。
――耳を疑った。その声は聞くだけで僕を安心させ、胸を温かくさせるあの声だ。その声が僕に向けられた激情より激しい憤怒を纏い、シレンダさんに向けられていたんだから。
「魔王、様……? 魔王様……魔王様、魔王様、魔王様ッ‼︎」
さっきまでまともに出せなかった声がすんなり出る。まるで長年の呪縛から解き放たれたように、何度もその名前を呼ぶ。
「……違う、間違えるなアルク」
ティア様は僕の顔を見ると、目に涙を浮かべた。
「わしはもう魔王ではない。ただの魔族ティアマト。魔王とか側近とか、つまらない立場はもうどうでも良い。お前ともう一度やり直したいだけの……ただのティアだ」
飛び出していた。シレンダさんの抱擁を払いのけ、一目散にティア様の元に駆けていた。
「すみません、ごめんなさいティア様! 僕が、僕が全て悪かったんです! ティア様の望みを蔑ろにして、自分の勝手なワガママを押し付けようとして……」
「……すまないアルク、わしこそ愚かだった。わしこそ間違っていた。お前がいなくなってようやく気付いたのだ。過去の記憶や、ましてや魔力なんてどうでもいい。本当に大切なのは今、お前と穏やかに過ごす時間だったのだ。……馬鹿なわしを、許して……くれるか……?」
500年で初めて聞いたティア様の懺悔の言葉。
目に涙を浮かべ僕に頭を下げるティア様なんて想像したこともない。あの誇り高く気高いティア様が、それほどまでに自分の行いを悔いている。そうさせてしまったのは僕であり、逆に果てしない罪悪感が僕を襲った。
「……僕なんかに謝らないでください。いつもみたいに無邪気に、美しく笑ってください。許すも何も、僕がティア様に怒るはずありません。嫌いになんてなりません。だから、顔を上げてください」
僕の言葉に、ティア様が「うん……」と答え顔を上げる。そして思い出したように僕に聞いてきた。
「――それとして、今どういう状況なのだ? つい腹が立って飛び出してしまったが……まさかシレンダに誘惑されて……なんて、あるはずないよな?」
そうだった。突然のティア様の登場ですっかり忘れていたが、シレンダさんが目の前にいるのだ。しかもシレンダさんは、今まさにティア様に手を掛けようとしていたのだ。浮かれている場合じゃない。
「はい。今しがたシレンダさんから愛の告白をされ、ティア様の命を盾に、それに応えさせられるところでした。シレンダさんは僕達の住んでいた部屋の隣に住んでいたようです。そして僕がティア様に捨てられる機会をずっと伺っていたとのことです! ……いやー、信じられませんよね、あはははは」
改めて言葉にすると笑えてしまう。だがティア様の目は吊り上がり、シレンダさんを般若のような形相で睨み付けた。
「…………おいシレンダ。今のアルクの言葉は真実か?」
「はい、その通りです。怒ってらっしゃるんですか? 魔王様の命を引き合いに出したこ……」
「違う、わしの命などどうでもいい。わしが怒っているのは、それを盾にアルクを無理やりモノにしようとしたところだ」
「……はい、事実です。私はアルク君を愛していますから。ですがアルク君を捨てた貴方には関係ないことでは? アルク君はもう貴方の側近でもなんでもないのでしょう?」
「何を勘違いしておる! わしはそんなこと一言も言っておらん! アルクはわしの側近だ! 今までも、これからも、ずっとずーっとわしだけの側近だ‼︎」
「詭弁ですね。それにさっき『魔王とか側近とか、つまらない立場はどうでもいい』と仰ってませんでしたか?」
「ぐぬっ……!」
淡々と答えるシレンダさん。その言葉は冷静で、口撃ではティア様に分が悪いようだ。
シレンダさんが静かに距離を詰めてくる。魔力は抑えているが、その目は冷たい眼差しを放っている。
「言い返せないですよね? それにアルク君を悲しませるような貴方に、アルク君はふさわしくない。私なら――」
だがシレンダさんの言葉は、ティア様に掻き消されることになった。
「アルクはわしのものだっ! いくらシレンダだろうがこれだけは譲れん‼︎ シレンダが何を言おうと、アルクがわしを嫌いになろうと、わしはもうアルクを手放す気はない‼︎‼︎」
港にティア様の叫びが響き渡る。
この二週間の間に、ティア様にどんな心境の変化があったのかは分からない。分からないが分かる。僕は今、初めて自分の生を実感できたと。
シレンダさんが「……はぁ」とため息を漏らす。何かを決意したような目で、ティア様を一瞥する。
「――分かりました。ですが今の貴方は人間の少女となんら変わらない。力づくで……アルク君を奪うとしましょう」
――瞬間、シレンダさんを中心に魔力の暴風が吹き荒れた。
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