第22話

 『大池公園』


 最初にこの世界に飛ばされた場所。


 まだ早朝ということもあり、人はほとんどいない。


 唯一いるのは、犬の散歩をするおばさんくらいだ。


「ここでおじさんに水切りを教えてもらったっけ……」


 思い出しながら適当な小石を摘む。そしてティア様の真似をして、池に投げてみた。


「おおー、綺麗に真っ二つ」


 ティア様と遜色ない水柱と共に割れる池。犬の散歩おばさんが口をあんぐり開けているが、気にせず二回、三回と池を割ってみる。面白い、ティア様が夢中になるわけだ。


 だけどそろそろおばさんの目が痛いし、これくらいにしとこう。


「驚かせてごめんね。あ、おはようございます」



 軽く会釈し、その場を後にした。



 『豊橋駅前』


 歩いて移動してきたお陰で、仕事に向かうスーツ姿の人があちこち行き来している。


 中には野球バットやテニスラケットの袋を背にした学生服もちらほらと。


「平和平和、素晴らしきかな」


 だがここにあまり長居はできない。ティア様に会う可能性はゼロじゃないのだ。


(だけどその前に……)


 思い出しながら、かつて『賢者』に出会った地下道に向かった。



「おー、久しぶりだなアンタ。今日は一人かい?」


「あはは、お久しぶりです神崎さん、ゲンさん。たまには一人で早朝散歩です。それとお二人にお礼を言いたくて」


 神崎さんが置いてくれた段ボールに腰を下ろす。


「いやいや、礼を言いてえのはこっちだよ! アンタのお陰で……ほら、こんな大金ゲットしちまった。うへへへ」


「そうだよ若いの。お陰で俺達、久しぶりに風呂に入れたんだ。飯も美味えもんたらふく食えてるしなぁ」


 確かに垢だらけだった二人の顔がツヤツヤしてる。痩せこけていた頬も前よりふっくらしているみたいだ。


「なら良かったです。お二人が元気そうで安心しました」


 ニッコリと笑顔を向けると、二人もニカッと返してくれた。


「おうともよ。散歩ってことは暇なんだろ? ほら、これでも呑んでゆっくり話そうぜ」


 差し出された缶コーヒー。それをカシャリと開け、僕はしばらく話し込んだ。



『ショッピングモール』


 時刻は昼過ぎ。周りは田んぼだらけのこのモールだが、人はほどほどに賑わっている。


 いくつもの店舗が並んだモールは、かつてティア様と並んで歩いた時のままだ。


「あ、この髪留めティア様に似合いそう…………なんて、何言ってるんだ僕は……」


 思わず手に取ったピンクの宝石が付いた髪留めを置き場に戻す。はたから見たら危ない奴に見えてるかもしれない。


「…………今ごろ何してるんだろう。まだ寝てるかな。ティア様は朝に弱いし、寝起きは悪かったしなぁ」


 想像しながら笑みがこぼれる。やはり危ない奴にしか見えないだろう。


「もう少しだけ、見て回るか」


 気持ちを整理するために。思い残すことが無いように、もう少しだけ想い出に浸りたかった。



『くらがり渓谷』


 最後に訪れたのはこの渓谷。


 まだ日が暮れるまで時間はあるが、ここが山だからかかなり冷え込んでいる。


 あの時より葉は色付き、それでもやはりマイナスイオン全開だ。


「ニジマスの塩焼き、ほんとに美味しかったな。また食べたいくらいだ」


 時期は過ぎている。それでもそう思わずにはいられない。何より本当に喜ぶティア様の笑顔は、僕の一生の宝物だ。


(…………今さら何を考えてるんだ)


 振り返らない。今度こそ自分の使命を見失うな。たとえ命に変えても。


「――ん? あの場所は……そうか、そうだよね」


 ふと見えてきたのは黄色いロープ。そこだけ地形が変わり果てた場所は、誰も近付かないようにとロープで囲われていた。


「そういえばこの時くらいからだっけ。ティア様の態度が変わったのって」


 ティア様が拐われかけた時からかもしれないが、ハッキリと変わったのはこの時だと思う。


「もしかしてティア様も……なんて、思い上がりが過ぎるぞ」


 だけどそれくらい妄想してもいいだろう。なんたって500年仕えたんだ。ずっと自分の気持ちを押し殺してきたんだ。妄想の一つや二つ許されるべきだ。


「分かってる。もう嘘をつく必要もない」


 だけどやっぱりソレを口にするのは照れ臭くて、涼しげな河の音に、紛れるように呟いた。



「――――ずっと……ました」




 間幕




 夕陽の射す、誰もいない寂しい部屋。


 無駄にふかふかなベッドに寝そべり、わしは何もない天井を見上げていた。



 ――メイには迷惑を掛けっぱなしだ。わしのために仕事を休んで、かつ昼間はわしに付いてくれている。その上、あんなお節介まで焼かれてしまった。


 その優しさに、今の自分が無力だと痛感させられる。



 ――カスケードには怒鳴られ、呆れられた。だが毎朝ポストには現金の入った封筒が入れられている。


 情けない。元魔王というだけのただの小娘に、それを受け取る資格はないだろう。



 ――アルクの顔が見たい。声を聴きたい。また優しい顔で笑いかけてほしい。


 悲しかった、悔しかった、嬉しかった、だけど意地になってしまった。


 だから、わしは自分の気持ちだけを優先した。


 アルクがずっと抑えていたであろう本心を、わしは自分のプライドという下らない理由で無下にしてしまった。



 許されない。何が魔王だ。ただの捻くれた小娘じゃないか。


 長い間、ずっとそばにいてくれたアルクに、感情のまま怒鳴ってしまった。


 時を戻してほしいと、魔王だったわしが神に何度も願った。


 だがそんなこと許されないだろう。わしはアルクの気持ちを裏切ったのだから……。



「…………アルク」



 ふらふらと部屋を出る。しばらく何も食べてないせいか、足に力が入らない。


 だがそれでも、彼の幻影を求めて、かつての彼の寝室の前に立った。


「部屋はすぐ横になったのに……こんなに遠いのだな……」


 初めて開けたその部屋。だが彼がいた形跡は何も残っていない。


 空っぽで無機質な、何もない部屋。


(まるでわしの心みたいだな……)


 一歩、足を踏み入れる。彼の匂いも、魔力もそこにはない。


「…………会いたいよ……」


 涙でボヤける視界。シワ一つないベッド。そして黒い無機質なテーブル。


「……あれ、は……」


 そして見つけてしまった。テーブルの上に折り畳まれた小さな紙を。


「…………アルク……アルク、アルク……ひっぐ、ぐず……ごめん、ごめんねアルクっ、わしが、悪かった……だから、帰ってきて……」


 そこに描かれたかつての自分に、そこに書かれた魔界文字に、わしは初めて、自分の行いを後悔した。


「…………いやだ。もう会えないなんて……いやだ……」


 遅いかもしれない。嫌われたかもしれない。だけどそうせずにはいられなかった。


「……謝らないと」



 メイから渡されたスマホを握り、わしは部屋から飛び出していた――――。

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