第18話
「――やれやれ、事情は聞かせてもらったよ。この老体に、なんちゅー役を押し付ける気だお主」
「あはは、こんなこと頼める人、他に見つからなくて……だけどいつでも力を貸すって言ってくれたでしょ?」
扉にもたれていた蔵之介に軽口で返すと、カスケードは僕と蔵之介を交互に振り返った。
「は……? 兄貴、まじで何言ってんすか……?」
カスケードを無視し、蔵之介が答える。
「断る、と言ったらどうする気じゃ?」
「僕がこの場で貴方を殺します。邪魔をするなら、そこの二人も一緒に殺します」
静かに立ち上がる。驚く安川と小林を一瞥し、蔵之介に向き直る。
「ちょ、いきなり何言い出しやがんだアルク!」
「おおお落ち着け馬鹿! てかいくらお前でも会長に何かしようってんなら……」
「――騒ぐな人間」
「「もがっ⁉︎」」
一瞬で形成した血の帯で二人を縛り上げる。口を塞ぎ、両手足の自由を完全に奪う。
「兄貴! そんなこと……ッ!」
「カスケードも動くな」
二人に同じく、カスケードの自由を奪った。その血には魔力をたっぷり含ませ、いくらカスケードでも抵抗できないほどに。
それを見ていた蔵之介は、ようやく余裕のある表情から鋭い目付きに変わった。
「それ以上は冗談で済まぬぞ? 身勝手な自殺に他者を巻き込むな、吸血鬼の小僧」
「なら僕を殺せばいい。貴方ならできるはずだ。それとも怖いのか?」
――瞬間、膨大な魔力が蔵之介の体から噴き出した。
その魔力は指向性を持ち、器用に僕だけに向けられている。
老いてもなお魔王。この世の全ての不吉と絶望を孕んだような、途方もない魔力だ。
「良かろう、そんなに死にたくば殺してやる。……だが死ぬ前に一つ答えろ」
「この後に及んで問答するつもりは……」
「――いいから答えろ。わしはお前を殺す。だがその後始末はどうするつもりじゃ? これだけのことをしでかしたんじゃ、お前一人の命で済ますつもりはない。そこの鬼人はもちろん、魔王ティアマトにも償ってもらう。魔力を失った魔族の娘など、赤子の手を捻るより簡単じゃ」
「な……ッ⁉︎」
言葉を失った。しかし蔵之介は構わず続ける。
「もちろんただ殺すだけなんて勿体無いことはせん。ちと若いがあれだけ美しい娘じゃ。店には出せんがいくらでも買い手は付くじゃろう。もちろんその後の事などわしは知らん。犯すなり嬲るなり殺すなり買い手次第じゃ。ま、今から死ぬ貴様には関係ない話じゃがな。……それでも本当に良いのじゃな?」
思考が冷たい海に沈んでいく。心臓はバクバクと脈打ち、手足の感覚が無くなっていく。
だが胸には、かつて感じたことのないマグマのような怒りが煮えたぎっていた。
「……けるな」
「んあ? 何と言った? 最近耳が遠くてのう。全然聞こえんぞ小僧」
「ふざけるなッッ‼︎‼︎ 殺す、ただ殺す‼︎ 魔王様を貶す奴は、あの方を穢そうとする奴は、骨の欠片も残さず殺し尽くしてやるッッ‼︎‼︎‼︎」
弾かれたように飛び出した。四肢に全ての魔力を込め、圧縮凝固した血を拳に纏い、怒りを、僕の存在全てを蔵之介に叩き込んだ。
窓ガラスが弾け飛ぶ。事務所の机もソファーも全て吹き飛び、足元のコンクリートも粉々になっている。
だが僕の拳だけは、妙な感触に阻まれていた。
目を凝らすと、蔵之介の腹に突き刺した拳は、さっきの途方もない魔力が一点に凝縮された手に止められていた。
「いちちちちち……あ、危な過ぎじゃろバカモンがッ! あんなの受けたら本当に死んでしまうじゃろ⁉︎ それと咄嗟に吸収してなかったら、この辺り一帯が消し飛んでおったぞ⁉︎」
その表情に先ほどの邪悪さは微塵もなく、むしろおどけた態度で両手にふーふー息を吹きかけている。
「ふぅ……少しはスッキリしたかの? まったく、世話の焼ける小僧じゃ」
蔵之介の言葉と態度が、無能な僕に真相を示している。蔵之介の言うように、さっきの一撃で思考はクリアになっている。
「…………演技、だったの?」
「当たり前じゃろ! あの程度の安い挑発、ハイネセンの馬鹿に比べたら屁でもないわい! それにわしは義理堅い性格でな。大恩のあるお主らにそんなこと死んでもせんわい! ……まあ、ちょびっと腹が立ったのは事実だがのう」
砕けた床を気にせず、その場にへたり込む蔵之介。魔力も解いたその姿は、本当にただの老人に見える。
「……なんで? どうしてそこまでしてくれるの? ティア様ならともかく、僕はもう側近ですらない汚い吸血鬼なのに……」
「さっきも言ったじゃろ。わしはお主らに恩がある。それに大切な女のために全て投げ出すような馬鹿、わしは嫌いになんてなれん」
完敗だ。演技力も、器も、何もかも。
(僕はまた自分の都合で迷惑を振り撒いたのか。醜悪で自分勝手な化け物じゃないか。……何をもって償えばいい? やっぱり殺してもらうしか……)
そんな考えすら見抜かれたのか、蔵之介は「喝っ!」と大声を出した。
「反省は後にしろ。後悔は捨ておけ。それより茶でも飲んでゆっくりしようではないか。――――すまんがメイちゃん、準備してくれるかい?」
「は?」
思考が止まった。いきなり出てきたメイの名前に、僕は呆然と固まってしまった。
そして蔵之介の言葉に、またしても事務所の扉がギィ……と音を立てた。
「了解だニャ!」
そこには閑話休題ネコ耳メイドことメイが、涙目で立っていた――――。
間幕
昔の俺は、自分で言うのもなんだけどツンツンに尖っていた。
鬼人族の中でも化け物じみた『力』を持っていた俺は、やはりその強さのせいで周りに避けられていた。
――くだらない。弱い奴に合わせるなんてごめんだ。雑魚は雑魚同士で群れてたらいい。
今にして思えば黒歴史だが、当時の俺は本当にそう思っていた。
だがそれは本当の強さを知らないガキの戯言だったと、あの日思い知らされた。
「魔王様が近くの村に来たらしいぞ」
「なんでも強くて優しくて、しかもとんでもねえ美人だってよ!」
沸き立つ雑魚どもに無性に腹が立ち、俺が一番強いことを証明しようとした。
その村まで走ると、探すまでもなく雑魚どもが群がっていた。
そいつらを蹴散らし掻き分けると、すぐに奴らを見つけた。
噂通り、見たこともないような美人の魔族。そしてその美人の隣に立つ金髪のガキみたいな魔族だった。
安い挑発をする俺。それに青ざめる雑魚ども。しばらく繰り返すと、魔王は俺に興味がないと言わんばかりに目を逸らした。
――何かがキレた。
立場も身分も関係ねえ。殺してやる。
全力で、殺す気で襲いかかった俺の意識は、しかし一瞬で途切れた。
目を覚ますと、さっきの金髪のガキが俺を見下ろしていた。口元は笑っていたが、目は欠片も笑ってなかった。
初めて知った。上には上がいると。
初めて悟った。俺はここで死ぬんだと。
『もうよいアルク、あまり弱者をイジメるな』
その一言は、俺のちっぽけなプライドを粉々に砕いた。
『ごめんね、あの方は僕の命より大事な人なんだ。……立てる?』
差し出された手。一変して優しさに溢れた目になったそいつの手。それを払いのけたら、最後の一欠片のプライドも消え失せると分かり、俺は降参した。
『今日からアンタに従う。――――――何でも命じてくれ、兄貴』
初めて驚いた顔を見せたそいつに気分を良くし、俺は初めて心から笑った。
『鬼人カスケード、これから世話んなるっす!』
あの日からずっと、この人は俺の憧れだった――――。
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