第17話

 宛もなく彷徨った。気の赴くまま飛び回り、しばらく暮らした街を離れ、死に場所を探し続けた。


 何もない海に身を投じてみたり、遥か上空から地面に激突してみたり、自分で自分の首を斬り飛ばしてみたり。


 だけど、分かっていたけど、それくらいじゃ僕の肉体は朽ちてくれなかった。


 魔力を帯びない物理的な干渉は再生を止められない。自分の魔力で傷付けても然り。唯一僕を殺せるとしたら、いつかの水竜のように、だがアレよりもっと大きな魔力による攻撃のみ。


 だからこそあの方に願ったのだ。僕を殺してほしいと。それが可能な人物は限られているから。


「……不気味で気持ち悪い奴だ。呆れるほど自分勝手で、あの方の気持ちも考えず、恩に報いず、だけど死ぬこともできない最低なゴミ虫だ」


 街外れの廃墟。地図にも記されていない廃ビルの屋上で月を見上げる。


 ――結局僕は豊橋に戻ってしまった。


 別に未練があるわけじゃない。……嘘だ。だけどそんなもののためじゃない。


 僕を殺せる限られた相手の心当たりは、やはりこの街にしかないのだ。


 シレンダさん。蔵之介。


 この二人なら、僕を消し去れるかもしれない。その可能性が、僕をこの街に戻してしまった。


(結局、どこまでも他人頼りな奴め)


 いっそ全てを忘れ、蔵之介のように人間に紛れて生きていけたら楽かもしれない。


 だけどそれをする目的も、そんな風に生きていくだけの意味も、僕は持ち合わせていなかった。


 ――空っぽの吸血鬼。


 僕を表すのにこれ以上の言葉は無いだろう。


 あの方の側近であることで、僕は自分が生きていて良いと免罪符を与えていたのだ。言うなれば、あの方を言い訳にしてきたようなものだ。


 そしてそれすら失った僕は、やはり空っぽな吸血鬼に過ぎなかった。


「……ほんとに最低だ」


 あの方の気持ちを考えていたら、自分の下らない感情を優先しなければ。今さら悔やんでも遅いが、やはり頭のどこかで考えてしまう。


「…………そろそろ行くか」


 夜もすっかり暮れた頃、僕はその場を後にした。



「――ちょっと待ってろよアルク。今会長が来てくれるってよ」


 おとわ組の事務所の中。スマホから耳を離した安川が僕に告げた。それに続き、小林が僕の横にどかりと座る。


「にしてもしばらく振りだな。最近めっきり見なくなったと思ったが、どこ行ってたんだよ。あの嬢ちゃんは一緒じゃねーのか?」


 当然聞かれるはずの疑問。しかしいざ聞かれると、答えが口から出ない。ただ黙って俯いてしまう。


「……あー、悪い。痴話喧嘩……いや、それどころじゃなさそーだな」


 それだけで伝わってしまった。小林はやけに勘が鋭いらしい。


「うん、詳しくは言えないけど、僕はもうあの人に会わせる顔が無いんだ」


「そうか。まあ深掘りするつもりはねーけど、お前らは会長のお気に入りだ。女が欲しいならいくらでも紹介するぜ? お前の顔なら選び放題だろうよ」


「あはは……ありがと。だけど興味ないからいいよ」


 乾いた笑いが漏れる。それを聞いた小林は「そうかい、余計なお世話だったな」と言いながらタバコに火を点けた。


 ――その時、ビルの階段を慌ただしく駆け上がる足音が耳に入り、事務所の扉が勢い良く開けられた。


「兄貴! 兄貴ッ‼︎ 良かった、生きてたんすね⁉︎」


 そこには煌びやかなスーツを着こなしたカスケードが、息を切らして立っていた。


「何があったんすか⁉︎ いきなり居なくなるなんて⁉︎ ティア様は何も教えてくれないし、肝心の兄貴はどこ探しても見つかんないし、気が気じゃなかったんすよ⁉︎」


「お、おいカスケード。お前仕事中じゃ……てかどうしてアルクがここにいるって……」


「んなこたどうでもいいんすよ‼︎ 俺にとっちゃ兄貴以外のことなんてどうでもいい‼︎」


 安川に肩を掴まれたカスケードがそれを振り払う。


「ティア様っすよね⁉︎ あの人に何か言われたんすか⁉︎ 教えてください‼︎」


 続いてタバコを咥えていた小林を強引にどかし、カスケードが僕に詰め寄ってきた。その剣幕は、まさに鬼気迫るといった様子だ。


「僕が何か言われたんじゃない。僕があの人の気持ちを踏みにじったんだ。今の僕はあの方の側近でも何でもない。だからカスケードも僕に……」


「んなこと関係ねえんだよ‼︎」


 僕の言葉を遮るカスケードの怒り。いつもの軽い口調は、昔――僕達が初めて会った頃のモノに戻っていた。


「俺が認めてんのは、俺が尊敬してんのは兄貴だけだ! ……兄貴達の間に何があったかなんて知らねえ。けどずっと支えてきた兄貴を捨てるなんて、俺はあの女を許さねえ‼︎」


 言葉が過ぎる――と諌めることは出来ない。今の僕はあの方と無関係のただの魔族。その家臣のカスケードがどんな発言をしようが、僕にそれを止める権利はない。


 だから、これは僕からの個人的な頼みだ。


「カスケード、君は僕なんか忘れて、これからもあの方に仕えてほしい。それと『あの女』呼ばわりなんてしちゃダメだ。あの方は魔界で最も偉大な方なんだから」


 僕の真剣な声色に、カスケードは次第に落ち着いていく。だがやはり納得できないらしく、大きな舌打ちをした。


「分かってんだろ兄貴、俺が仕えてたのはアンタだ。アンタが仕えてたから、俺もあの人に従ってた。偉大とか立場なんて、元々俺には関係ない。それを知らねえアンタじゃないだろ」


「分かってる。ありがとうカスケード。だけど、それでも僕から最期の『お願い』だ」


「…………最期って……何言ってんすか……」


 カスケードが息を呑む。僕から出た言葉の意味が分からず、だが僕の目から意味を察したんだろう。


 そこで開け放たれていた扉がギィ……と音を立てた。

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