第16話
――帰路の途中。
自宅のマンションが見えてきた大通りは、多くの人が溢れていた。
見慣れた学生服はほとんどいない。若い子達や大人はそれぞれ色んな種類や色の服の私服を着て歩き、または雑談している。
(そっか、今日は土曜日か。賑わってるな)
その中に混じり、手を繋ぐ僕達は、はたから見たら恋人とかに見えているかもしれない。
(…………何を考えてるんだ僕は)
自分を諌めるように、自然とティア様の手をほどいた。
「む? どうしたアルク、早く帰るぞ」
「あ、ちょっとティア様」
だと言うのに、今度はティア様から手を引っ張られた。僕より少し前を進むティア様の表情は分からないが、その手はさっきより熱くなっている。
(……こんなの、もう…………)
そのまま大通りを過ぎ去り、人もまばらになったマンションまで辿り着く。大通りから一本離れるだけで、喧騒は遠くに聞こえた。
だけど一度火が点いた僕の心臓は、その静けさと裏腹で耳にうるさいくらいだ。
「――――ティア様」
そのせい、だけじゃない。こっちに来てから今日までの生活。側近として仕え、ずっと抑えていた感情が、僕にその言葉を口にさせた。
「魔界のこと、シレンダさんのこと…………全て忘れて、どこか遠くで二人で暮らしませんか?」
言い終わった時には遅かった。一時の感情、だけどこれ以上偽れない本心は、もう取り消すには遅かった。
ティア様は驚きをありありと表情に表し、切なそうな顔に変わり――――やがて俯いた。
「お金は僕が働いてなんとかします。ティア様に苦労はかけさせないよう何でもします。だから――」
「アルク……」
静かに顔を上げたティア様の顔を――大きな瞳に溢れそうな涙を浮かべたその顔を、僕は一生忘れないだろう。
「……お前の気持ちは嬉しい。お前と二人で過ごす穏やかな生活に、わしもそう思ったことがある。…………だがな」
涙を拭き、いつもの凛々しく、しかし突き刺すような視線が僕に向けられた。
「わしがここに来た理由はなんだ! わしが取り戻したいモノはどうなる‼︎ お前はわしに全てを諦めろと言うのか⁉︎ お前は……アルクは、今までわしの何を見てきたのだ‼︎」
「ティア、さま……」
何も言い返せない。その言葉は、その表情は、僕の胸に刃のように突き立てられる。
「ガッカリしたぞアルク。わしが魔力以外の何かを失ったこと、側近のお前だからこそ話したのだ。なのにそのお前がそれを忘れろだと⁉︎ わしに漠然とした喪失感の中、残りの人生を歩めと⁉︎ ……ふざけるな! 立場を弁えろアルク‼︎」
初めて自分に向けられるティア様の激情。熱に浮かされていた胸は氷のように凍て付き、果てしない後悔が津波のように何度も押し寄せる。
しかしその後悔は、予感していたように取り返しのつかないものだった。
息を荒げていたティア様は、次第に呼吸を整え、そして静かに俯いた。
「…………もうお前なんて知らん。魔界に帰るなり、遠くで過ごすなり好きにしろ……」
呆れ、嫌悪、失望、拒絶。
そのいずれか、或いは全て。
ただ一つ言えることは、僕はティア様のそばにいる権利を失ったのだ。もうその笑顔を向けられることも、手を握ることも、共に何気ない時を過ごすことも叶わないのだ。
「………………分かり、ました……」
足元がおぼつかない。まるで現実感のない夢の中にいるように、ふわふわ浮いてるみたいだ。
だけどこれは夢じゃない。こんな悪夢より酷い悪夢。夢なはずがない。僕ごとき醜い吸血鬼が勘違いし、そして拒絶されただけ。それだけのはずだ。
「――待てアルク」
足が止まる。もしかしたらと、淡い期待を抱いてしまう。
「荷物くらい持っていけ。わしは……ここで待つ……」
「……はい」
勝手に期待した自分を呪った。この期に及んで、まだ僕は可能性に縋っていたらしい。つくづく救えない、心底愚かな生き物だ。
惨めに歩き、自分の気持ち悪さを噛み締め、初めて一人でエレベーターに乗る。機械の稼働音が耳に痛いほど沁みる。
そんな永遠にも思える時間も一瞬で過ぎ、すっかり見慣れた――だけどもう二度と見ることのない部屋の扉を開ける。
人感センサーで照らされた廊下を進み、しばらく寝泊まりした自分の部屋だった場所に到着。ティア様とクレーンゲームで獲った黒いシンプルな手提げ袋に、自分の寝巻きを詰めると、いよいよ現実感が襲ってきた。
(……ダメだ。せめてこの部屋を出るまで、ティア様に別れを告げるまで…………)
最後に残された気力で自分を奮い立たせる。部屋に視線を巡らし、自分の痕跡が残っていないか確認する。
そこで目に入ったのは無機質なテーブル。その上に置かれた一枚の紙。
ティア様に命じられ、実はとっくに完成していたティア様の似顔絵に、何故か僕の涙腺は決壊した。
「ずみまぜんっ、僕なんかが……貴方を想ってしまって……夢見て、しまって…………毎晩、何百年、貴方だけを描いて、しまって……ごめんなさい……ッ……」
見せられない、残せない、破らないと、棄てないと。
しかし紙を握る手がそれを拒否してしまう。そこに描かれた人物を、破ることなんてできない。
「ごめんなざい、ごべんなさい……ずっと貴方のそばにいたかった。ただそばにいるだけで幸せだった、それ以上望んではいけなかった……ひっく……うわああああッ‼︎」
初めて吐露した感情は、その行き場をなくし、孤独な部屋を埋め尽くした――――。
「……それじゃあティア様。今まで長い間、本当にお世話になりました」
「………………ん」
「お役に立てず、失望させてしまい申し訳ありません。僕なんかが望むのも不相応ですが……どうか、これからも健やかにお過ごしください」
「…………うん」
一階のエントランスにて、俯くティア様と最後の言葉を交わす。
さっき泣いたお陰か、言葉だけはスラスラ出てくる。目は真っ赤だし、心はぽっかり穴が空いてるのに大したものだ。
「それでは失礼します。さようなら、ティア様」
そうして歩き出した僕の背中に、不意に何かが掛けられた。薄く魔力を帯びたジャケット。何百年と着続けた執事服だ。
「…………これは、わしがお前に与えた物だ。持っていけ」
「あはは、そうでしたね。…………では今度こそ、失礼します」
それを羽織り、翼を生やす。そのまま夜空に向け、振り返らず飛び立った。
――さあ、これで僕は独りだ。500年前に逆戻りだ。長い、幸せな夢は終わったんだ。過ぎた夢だった。卑しい僕には、本当に過ぎた夢だった。
「………………幸せだったな」
灯りが埋め尽くす眼下の街並み。そこから遠く、知らないどこかを目指し翼を羽ばたかせる。
雲一つない夜空に、大粒の雨が降っていた――――。
間幕
計画は順調に進んでいた。
あの方の命令に従い、私もその計画に賛同し、自分の意志で事に及んでいた。
――だが途中から気付いてしまった。このままではマズイと。当初想定していたより、あの子は危ういと。
何故気付かなかったのか。
小さな頃から見ていたあの子は、ずっとソレらを抱え、だけど誰にも悟らせなかったのだ。
500年もの間、きっと自分の本心を押し殺し続けていたのだ。
嗚咽が混じったあの慟哭は、聴いているだけで胸が締め付けられた。
だけど、だからこそ、この計画は完遂しないといけない。多少強引な修正を施しても、それを為さねばならない。
「――だけどあまりにも……いえ、これも私のせいね…………はぁ……」
広がる街並みを見下ろし、私は大きなため息を吐いた――――。
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