第15話
翌日。
「――さてティア様、早速一件目に向かいましょうか」
おとわ組の事務所のビルを背に、僕はティア様に声を掛けた。
蔵之介に事情を話し、おとわ組が把握している豊橋の空き家と廃墟を地図に印してもらったのだ。お陰で地図にはバッテンが何百とあり気が遠くなりそうだが、それでもかなり有益な情報だ。
「うむ! 早くシレンダを見つけ出すぞアルク!」
「はい!」
意気込むティア様に遅れないよう僕も歩き出す。いざ戦闘になっても良いように、心の準備もオーケーだ。
そしてまず向かうのは、僕達のマンションから徒歩四十分。駅から少し離れた場所にある空き家だ。と言うのも、駅周辺にシレンダさんが潜んでいるなら、カスケードやメイが客や同僚から目撃情報を得る可能性が高い。
仮に顔を変えていたとしても、僕やカスケードが常にアンテナを張っているこの周辺で、一切勘付かれずに行動しているとは考えにくいのだ。
その結果、駅から二キロ圏内は後回しにするという結論に至った。
「たまには飛ばずに歩くのも良いものだな。この街の営みが良く分かるというものだ」
時刻は昼過ぎ。ご機嫌に歩道を歩くティア様が、ベビーカーを押す女性を見ながら声を掛けてくる。僕もその女性を見ながら「そうですね。ここはテレビで観た大都市ほど人は多くないですが、みんな活気に満ちています」と返した。
「うむ。実に過ごしやすい街だ。わしはこの街が気に入っておるぞ」
「あはは、僕もそう思います」
何気ない会話。平穏な街並み。魔界とはまた違う穏やかな生活。シレンダさんの件が無ければ、このままティア様とこの街で暮らしたいくらいだ。
(……ほんとにそうなったらいいのに)
抱いてはいけない思考。僕はティア様の大切なモノを取り戻すためにここにいるんだ。そう分かっているのに、不意に考えてしまう。きっと僕はこの生活に毒されているんだろう。
「――ねえティア様」
「ん? どうしたアルク?」
無邪気に振り向くティア様に、僕は何とか自制を選ぶ。
「……いえ、何でもありません」
口にすべきじゃない。少なくとも僕からは。これを口にしたら、何かが終わる気がした。
「む、そうか? ほれ、早く行くぞ」
「はい」
ティア様の歩幅に合わせ、再び歩き出す。余計な思考は、邪念と共に振り払った。
しかしその直感は、遠くない内に当たることになるのだった――――。
すっかり陽が沈んだ空を眺め、僕達は閑静な住宅街を歩いていた。
明かりが漏れる家々からは、夕食の香ばしい匂いや子供の笑い声が漏れている。
「――ティア様、今日のところはこれくらいにしますか」
「……そうだな。そんな簡単に見つかるとは思ってなかったが……地道に続けるとしよう」
今日の成果はゼロ。半日かけて十数軒近くの空き家を巡ったが、シレンダさんはおろか、いつかの廃墟で感じた濃い魔力も見つからなかった。代わりに見つけたのは、小さいながらもお洒落で美味しいカフェのみだ。
……ティア様の言うように地道に続けるしかないだろう。もしくはまたシレンダさんから接触してくれれば話が早いが、そんな都合良くいくはずもない。
「それじゃあスーパーで買い物して帰りますか。ティア様、何か食べたい物はありますか?」
僕の言葉にティア様が明るい表情を浮かべる。
「それじゃ前アルクが作ってくれたエビマヨが食いたいぞ! 今日はわしも手伝おう!」
「あはは、了解です」
「うむ!」
ちょうど見えてきたスーパーに二人で立ち寄る。僕が買い物カゴを持ち、ティア様が「む? これも買うぞ」「そういえばリンスが切れそうだったな」と、目的以外の品を放り込んでくる。その度に僕は、心の中でカスケードとメイに感謝していた。
(なんだかんだ、すっかりこの世界にも慣れたな)
ティア様の力を取り戻すまでの仮初めの生活と言えど、この時間がずっと続いてほしい。
またしても浮かぶ度を過ぎた願望は、やはりただの側近である僕が抱いてはいけないものだろう。
――その時、聞き覚えのあるしゃがれた声が僕達の背後から掛けられた。
「おや二人とも。こんな所で珍しいのう。仲良く買い物かい?」
二人して振り返る。そこには片手で杖をつき、もう片手で買い物カゴを持つ蔵之介が立っていた。
「あ、こんばんわ蔵之介さん。珍しいですね」
「おお、蔵之介ではないか。わしらはエビマヨの材料を買いに来たのだ。お前こそ一人で買い物か?」
何気に事務所以外で初めて会った蔵之介に、ティア様が珍しそうに答える。
「いや、一人じゃないが組の者が一緒だと他のお客さんに迷惑だからのう。車で待たせておるよ」
なるほど、確かに夜中とはいえスーパーに黒服強面の男がゾロゾロいたらかなり怖いだろう。
「それと、その様子だと探し人はまだ見つからんようだね。――どれ、お主らには恩がある。明日からわしも一緒に探そうか? わしもまだまだ現役じゃぞ?」
実にありがたい申し出だ。元魔王のこの人ならシレンダさんにも対抗できるかもしれない。
だけど僕達は首を横に振った。
「蔵之介よ、その申し出はありがたいが、気持ちだけ受け取っておく。シレンダはわしの家臣なのだ」
「蔵之介さんにはもう十分お世話になってます。今朝だって協力してもらってるのに、これ以上迷惑はかけれませんよ」
「そうかい。ならまたわしの力を借りたい時はいつでも言いなさい。おとわ組の総力を挙げて協力するよ」
本当に頭が上がらない。「ほっほっほっ」と快活に笑う蔵之介には、相変わらず形容し難い凄みがある。この人と争わずチェーリッヒを治められたのは運が良かった。
「――さて、これ以上は年寄りの長話になっちまうだろうし、これで失礼するよ」
「む、そうか? わしらは一向に構わんが」
踵を返す蔵之介にティア様が声を掛ける。だが蔵之介は商品棚から酒を一つカゴにいれると、杖をカツカツ鳴らし歩き始めた。
「これ以上若い二人の邪魔をする気にならんよ。あ、それと最後に年寄りからのアドバイスじゃ」
立ち止まった蔵之介が、ニコリと笑った。
「ゴールするのは大事だが、過程を楽しむのも大切じゃぞ。ま、お主らには要らぬお節介だろうがね」
再び「ほっほっほっ」と笑い歩き出した蔵之介を、僕達はその姿が見えなくなるまで見送った。
(……過程を楽しむ、か。大丈夫、僕もティア様もこの世界を満喫してる。もし可能ならそれが……)
そこでふと隣を見ると、ティア様が複雑そうな顔をしていた。その表情にはどことなく歯痒さというか、何かを惜しむような感情が浮かんでいる。
「ティア様……?」
「……何でもない。それよりアルク、早く海老を確保するぞ!」
一変して明るい表情になったティア様に不安を覚えながら、僕はその背中を追いかけた。
「了解です」
それから二日経ち、僕は今日もティア様と空き家を探索していた。
「――――どうだアルク、シレンダの手掛かりはありそうか?」
「……ダメですね。ここもハズレです」
鍵の形に変えた人差し指を元に戻しながら魔力を探る。これで五十軒目だが、まだ目ぼしい手掛かりは掴めない。
「ふむ、どうやらこの辺りにシレンダは来ていないようだな。明日は違う方面を探してみるか」
「そうですね、そうしましょう」
いっそ廃墟を中心に探した方がいいかもしれない。住宅街や人の目に付きやすい空き家は、誰かがいると分かればすぐに通報されるだろうし、それはシレンダさんとしても面倒だろう。
(そういえばティア様が拐われたのも、周りに民家が少ない廃墟だったな……帰ったら条件に合う所に目星を付けるか)
上着の懐を触る。念のためコピーした地図が入っていることを、何となく確認してみた。
「残念だが今日はこれで帰るとするか。少し冷えてきたしな」
言われて気が付いた。確かに今日はいつもより気温が低い。魔力で保護されてる僕にはほとんど影響はないが、今のティア様には肌寒いだろう。
「分かりました。――ティア様、これを」
かつてティア様に頂いた執事服のジャケットをティア様の肩に掛ける。少しキザかもしれないが、ティア様のことを考えたら迷いなんてなかった。
「……ふふ、ありがとうアルク。…………温かいな」
ジャケットに包まるように襟で顔を隠すティア様。その仕草は、一枚脱いだはずの僕を熱くさせた。
「ティア様、お手を」
その熱のまま手を差し出す。するとティア様はやはり照れ臭そうに僕の手を取り、「……まったく、キザな側近だ」と呟いた。
(そういえば、僕から手を取るのは初めてだな)
少し冷えた小さな手。その手を温めるように握り、僕達は歩き出した――。
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