第7話

 ――――僕達が案内されたのは、地下道からほど近い、小さなビルの一室。どうやら事務所と呼ばれる場所らしい。


 窓から射す夕焼けに灰色と藍色が混ざり、魔界ではまず見ない空の様子を呈している。


「もうちょっと待っててくれ。今会長の都合が付いたからよ」


 ガタイのいい黒服――小林が、スマホから耳を離しながら僕達にそう告げた。


「ほら、ペットボトルで悪いが茶だ。グビっとやってくれ」


 続いて安川が僕達の前に飲み物を置いてくれた。僕達はソファーに腰掛けながら、安川の見様見真似でソレを開けることに成功する。


「ありがとうございます安川さん」


「ほう、悪くない――いや、普通に美味だ」


「カーッ! ちょうど喉渇いてたんすわー!」


「癒しニャ……」


 それぞれ初めて飲むお茶に舌鼓を打つ僕達。そんな僕達をじーっと眺め、安川が口を開いた。


「お前らの話、魔力を奪われた異世界の魔王が犯人を探しに来た。んで犯人を見つけるまで食いぶちが欲しい……なんて、まともな精神してたら信じらんねえよ。けど俺を軽々と持ち上げちまう馬鹿力も信じらんねえし、今から来て下さる方もお前らと似たような方だ。何か通じるもんがあるかもな」


「――ほう。つまりそやつに頼めばシレンダ探しの手伝いと仕事の紹介をしてくれるのだな?」


「いや、シレなんとか探しは知らねーよ。それと仕事の方なんだけどな……」


 安川が歯切れ悪く僕達をチラチラ見てくる。都合が悪い、と言うよりさっきの出来事がトラウマになってるんだろう。


 そこで安川に代わったのは小林だった。


「さっきはあー言ったけどよ、ティアとアルク……だっけか? 結論から言やぁお前らは店に出せねぇんだ」


「む? 何故だ?」


「お前らどう見ても未成年……てかティアに関してはどんだけ上に見ても中坊がやっとだろ。こちとら風営法に則って健全な商売してんだ。わざわざマッポに目ぇ付けられる訳にはいかねえんだよ」


 よく分からない言葉が飛び交ってるけど、要は若く見えるから戦力外通告をされてるっぽい。実年齢ならこの二人の軽く十倍は生きてるのにおかしな話だ。


「んでだ、会長の意向次第だが、そっちの猫耳ねーちゃんはメイド喫茶、赤髪のニイちゃんはホストか土方のどっちかになるだろうよ。身分証だなんだは……まあ無くてもいいだろ」


 なんだか随分都合良く話が進んでいる気がする。この世界の人間は優しいのか、それとも別の理由でもあるんだろうか。


「ねえ小林さん、どうして見ず知らずの僕達にそこまで? もしかして何か企んでる?」


 率直に聞いてみた。駆け引きも何もあったもんじゃない。


「裏なんてねーよ! もしお前らに暴れられたらこの街がとんでもねーことになりそうだしな……。それに強いて言うなら…………ほら、今到着した会長にでも直接聞いてみな」


 小林が言い終わる前に、誰かが階段を上がってくる音が聞こえてきた。カツンカツンと響く足音から、なんとなく元の魔王様を思い出してしまう。


 そしてガチャリと開かれる事務所の扉。そこから現れたのは、古めかしい服に身を包んだ、背筋の曲がった老人だった。


 ――しかしこの時、僕はどうしようもない悪寒に襲われた。


「会長、お疲れ様です!」


「わざわざ御足労頂き感謝しやす!」


 仰々しく頭を下げる二人。その二人に「はいよ、お前らもご苦労さん」と返しながら会長とやらが僕達を一瞥する。


 しわくちゃの顔と小さな背で杖を握る人物。だが纏う雰囲気は、明らかに人間のそれではなかった。


「……ティア様、僕から絶対に離れないでください」


「む……分かった……」


 隣に座るティア様の手を握る。向かいのカスケードとメイも、緊張した面持ちになっていた。


 そんな僕達の緊張を感じ取ったらしく、老人はニコリと微笑むと「お前ら、悪いが出とってくれ」と安川と小林に声をかけた。


「「あっした!」」


 僕としては二人に居てほしかったくらいだ。ドタバタと出ていく二人の背中が恋しく感じる。


「……さて、おおかたの話は電話で聞いたよ。お主ら、人と食いぶちを探してるらしいね?」


 雰囲気と裏腹に柔和な声は、逆に不安を煽ってくる。カスケードに至っては臨戦体制といった表情だ。


「っと、その前に……そっちの若いの、その荒々しい殺気を抑えてくれ。最近の鬼人族は礼儀も知らんのか?」


「んなっ⁉︎ どうして分かったんすか⁉︎」


「赤髪の魔族なんて鬼人くらいしかおらんだろ。そっちの娘はよく知っておるぞ、魔猫族じゃ。そんで金髪の坊主は……ほう、吸血鬼族か、珍しいな」


 次々と僕達の正体を言い当てていく老人。もはや確定だ。というか放つオーラからして最初から分かっていた。


「それでそっちの可愛らしいお嬢さんが…………そうか、まさか魔王ティアマトとこんな形で出会えるとは……聞いていたよりずっと若いがのう」


 老人の目が綻んでいく。その表情からは敵意や悪意どころか、何故か哀愁のようなものを感じる。


(この人……いやこの魔族何者なんだ? どう見ても只者じゃない……とりあえず、敵じゃなさそうだけど)


 ティア様のことを知っていてこっちの世界にいる魔族。それにティア様を見るこの表情からして、配下の誰かだろうか。


 だけど僕の記憶にないし、ティア様も心当たりは無さそうな顔をしている。


「お前はいったい何者だ? どうやらただの魔族ではなさそうだが」


「そ、そうニャ! なんで魔族がこんなところにいるニャ!」


 それは僕達も人のことを言えない。


 だが老人は、一度「ほほ、まあ落ち着きなさいお嬢さん方」と余裕を見せつけると、自分の名を口にした。


「恐王ベルフェゾ。それが昔のわしの名じゃ。今は『おとわ組』会長・佐々木蔵之介と名乗っておるがのう」


「――恐王ベルフェゾ……? アルク、分かるか?」


 しばらく考えたティア様からバトンタッチされた。僕も記憶からその名前を掘り起こしていく。


(誰だ? 恐王ってことは魔王の誰か? けどティア様と争った魔王の名前は全て覚えてる。…………いや、待てよ?)


 そこで沸いた微かな記憶。確かアレは……。


「もしかして、チェーリッヒ地方を治めていたあの?」


「そう、魔王ティアマトの前に、争わず、領民も領地も投げ出して逃げた卑怯者の情けない魔王じゃ」


 そこまで言われてようやくティア様も思い出したらしい。


「思い出したぞ。確かハイネセンとかいう魔王と争っていた魔王がそんな名であったな。そのハイネセンはわしとの和平交渉に応じず、それどころか卑劣にも騙し討ちをしてきたため、わし自ら討ち取ったが」


 これは僕が魔王様に拾われ、百年くらい経ってからの出来事だ。多分カスケード達は知らないだろう。


 そう思って二人を見る。カスケードはやはり頭にハテナを浮かべているが、メイは意外にも驚いた顔をしている。


「そうじゃ。あやつはわしの治めるチェーリッヒに度々侵攻してきていた。わしは争いが嫌いだったが、領民を守るために仕方なく恐王を名乗り、あやつから領土を守っていたのじゃ。…………そしてそこに現れたのがお主というわけじゃ」


 蔵之介――いや、ベルフェゾがティア様に視線を送ると、ティア様は真っ直ぐに視線を返した。


「若く、強く、拡大した領土の民にも優しく接する美しい魔王。その噂はわしの耳にも何度も届いていた。――だから決めたのじゃ。この地と領民の未来をその者に託し、わしのような老いぼれは立ち去ろうと。……きっとわしは彼の地で、臆病者だと蔑まれているじゃろう」


「……そんなはずありません。貴方の名前は、私の故郷チェーリッヒで今も語り継がれていますよ」


「…………なんじゃと?」


 ニャを忘れたメイの言葉。その真剣な、だけど柔らかい声色に、ベルフェゾの目が見開かれる。


(そうか、確かメイはチェーリッヒ出身だっけ)


 驚く僕達に構わずメイが続ける。


「侵略王ハイネセンの侵攻を一人で喰い止めた英雄ベルフェゾ。その勇猛さに比肩できる者はおらず、その優しさは魔界随一だと。…………貴方が築き、そして護った平和は、今もなおティア様の庇護の元、受け継がれています。だからどうか、そんな風に自分を乏しめないでください」


「なんと……ッ! にわかには信じられん……」


「私の名はメイ・アクセラータ。貴方に仕えた誇り高き魔族メアーズ・アクセラータの娘です。その父がいつも寝る前に語っていたのですから間違いありません」


 蔵之介の目に涙が浮かぶ。しゃがれた嗚咽に混じり「メアーズ……ッ……古き、友よ……」という声が聞こえてきた。


 その姿に最初に感じた迫力はなく、ただ故郷を想い、そして涙する英雄を、僕達はただ見守っていた――――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る