第6話

 ――――あれからしばらく歩き、僕達は人が多く行き来する駅という場所までやって来た。


 車という鉄の箱がそこら中を走り回る中、信号の法則性を見出した僕はティア様から褒められたりもした。


 そして僕達は現在、地下道と呼ばれる狭い通路で、ボロ切れに身を包んだ老人の講釈を受けていた。


「――つまりだ! 家なんて無くても生きてけんだ! 俺やそこのゲンさんなんてもう十年は根無し草生活を送ってる! 飯は廃棄品を漁ればいいし寝る場所もここなら雨風も防げる! アンタらも仲間になるってなら歓迎するぜ?」


 顔中垢だらけの白髪の老人・神崎さんが僕達にドヤ顔をした。


 ここに来るまでに見た車や信号などの名称は、この神崎さんに教えてもらったものである。


「神崎せんせー質問っすー。そこらを歩いてる人らが手に持って眺めてる板ってなんなんすかー?」


 体操座りをしたカスケードが手を挙げる。すると神崎さんは何度目か分からないドヤ顔をしてみせた。


「んっんーいい質問だ。ありゃースマホっつってな、ガラケーの進化系だ。電話したりネットを見たり、アレがありゃーなんでもできらぁ。もちろん俺は持ってねーけどな! わははは!」


 心にメモ。よく分からないが重要アイテムらしい。


「……てかお前らマジで異世界から来たのか? 確かにスマホすら知らないなんて現代人じゃありえねーけど……」


「そうなんですよ。だからこうして神崎さんに色々教えてもらえて本当に助かります。ねっティア様?」


「うむ、感謝するぞ神崎。お前には『賢者』の称号をくれてやろう!」


 ティア様のドヤ顔返し。教えてもらってる側なのに流石は元魔王様だ。


 すると神崎さんは意表を突かれたように目を見開いた。


「…………ありがとなアンタら。誰かに褒められたのなんて久しぶりだ。それにこんなしょぼくれたホームレスのジジイの話を真面目に聞いてくれるなんて、なんつーかすげー嬉しいよ」


 神崎さんの目が潤んでいく。この人が今までどんな経験をしてきたか分からないが、色々苦労してきたんだろう。


「……あのー、私から少しいいですかニャ?」


 しかししんみりした空気も束の間、メイが手を挙げた。


「働くための戸籍とか住民票って、どうしたら手に入るニャ?」


 何気ないメイの言葉。当然聞かなくてはならない質問だったが、神崎さんは初めて迷いを見せた。その表情に僕達一同はさらに視線を注ぐ。


「…………あー、悪いアンタら。俺も戸籍くらい残ってるだろうが、多分住民票なんて残ってねえ。異世界から来たアンタらがソレを貰える方法も分かんねえんだ」


 予想してなかった訳じゃない。だが『賢者』こと神崎さんなら何か方法を知ってるんじゃないかと期待していた。


(まあそんな簡単にことが進むはずない、か……。最悪野宿生活しながらシレンダさんを探す方向も考慮しなきゃな。もしくは人間から物資や住居を奪うか……)


 ティア様に視線を移す。目の前の現実に消沈するでもなく、凛々しい瞳を細めている。何か別の手を考えているんだろう。


「……アルク」


 その瞳が急に僕に向けられた。


「分かっているとは思うが、人間から奪うなど考えるなよ? わしらはこの世界にとって他所者。元々ここに住む者達から何かを奪うなどあってはならん」


 真っ直ぐ大きな瞳に見つめられ、吸い込まれそうになる。だが僕はその瞳から逃げるように視線を逸らした。


「ええ、もちろん分かってます」


「……ならば良い。流石わしの側近だ」


「あはは、ありがとうございます」


 ……釘を刺された。ティア様のためなら僕がどんな手段も厭わないこと、それを知らないティア様ではない。


(ティア様の言うことは絶対。忘れるな、僕の全てはこの方のためにあるんだ)


 今の言葉を忘れないように心に刻む。自分の存在価値を見誤るわけにはいかない。


 ――とその時、複数の足音と、男達の声が僕達を挟むように聞こえてきた。


「お〜い神崎とゲンのジジイどもいるか〜?」


「当然いるよな〜? 用件は言うまでもねぇよな〜?」


 敵意――というより弱者を見下すような声。そしてその印象は合っていたのだろう。神崎さんとゲンさんはビクっと体を震わせると、小さく「おいアンタら、俺と他人のフリして逃げな」と呟いた。


「お〜やっぱりいたいた。相変わらず小汚ねぇジジイどもだ」


「今日という今日はこっから出てけよ〜? お前らが臭えってうちのキャストがウザがってんだ。……んん?」


 そして現れたのは黒服の男達。正面と後ろに一人ずつ現れ逃げ道を塞いでいた。


「なんだ、見かけねえ子達もいるじゃねえか。すまねえけどどっか行っててくれねーか? 子供に見せるもんじゃねーんだ」


 僕達に気付いた黒服が少し丁寧な口調で声をかけてきた。だがティア様はそれに従わず、不思議そうな目で黒服達に問いただした。


「お前達何をする気だ? 賢者に何かするつもりならわしが許さんぞ?」


 少しの沈黙。だがその沈黙は黒服達の吹き出した笑い声ですぐに掻き消された。


「ははははは! おい嬢ちゃん冗談キツいぜ〜! こんな汚ねえホームレスが賢者だって⁉︎」


 ガタイのいい黒服が神崎さんを指差して嘲笑する。


「ぷっはははは! よく見りゃお前ら何かのコスプレしてるし、そういうキャラになりきってんのかぁ?」


 続いて同じくガタイのいい、だけど太っちょでボウズ頭の男がティア様を見て笑った。


「や、やめてくれ! その子らはたまたま通りがかっただけだ! 俺とは関係ねえ!」


「だろうなぁ。ほら、さっさとどっかいった。俺らの格好見て分かんだろ? カタギが関わるもんじゃねぇよ」


 意外と紳士的な対応だ。けどそれで黙って見過ごすほどティア様は薄情な魔族じゃない。


「関係なくはない。わしらは神崎にこの世界の知識を教えてもらった。言うなれば恩人だ。恩人の危機を見過ごす訳にはいかん」


 真っ直ぐ黒服達を見つめるティア様。ここが魔界だったら――ティア様を知る者なら、慌ててこの場を去っただろう。


 ――だけどここは違う。ティア様を知る者はいない別の世界なのだ。


「あー、嬢ちゃん。悪いが俺らも仕事なのよ。大人の仕事の邪魔すんなってママに教わらなかったか?」


「なんなら嬢ちゃんとそっちの猫耳メイドがウチで働いてくれてもいいんだぜ? お前らの顔ならかなり客引けそうだしな」


 黒服達の雰囲気が変わる。呆れの中に僅かな怒気が混ざっていく。


 しかし――――。


「ほ、ほんとか⁉︎ わしらが働いてよいのか⁉︎」


「やりましたねティア様! よく分からないけどこれでお金も家も手に入りますニャ!」


 突然飛び跳ねた二人に、黒服達は呆気に取られた。


「どんなことをしたらよいのだ⁉︎ 魔物の討伐か⁉︎ それとも他種族の侵略者を討ち滅ぼせばよいのか⁉︎」


「いいえ違いますよティア様! きっと天候を操ったり天変地異を起こせとかですニャ!」


「な、何言ってんだお前ら……ハッパでもキメてんのか?」


 たじたじと後ろに下がる黒服。だがティア様は逃すまいとさらに詰め寄る。


「待て貴様どこへ行く! せっかく掴んだチャンス、そう易々と逃がさぬぞ!」


「ちょ、離せガキ! ……ってなんて力してんだお前⁉︎ ほんとに離せって馬鹿!」


「いいや逃さぬ! お前が首を縦に振るまで逃すものか!」


 黒服の顔が痛みに歪んでいる。ティア様に掴まれた手首を必死に振り解こうとするが無駄な抵抗だ。


「いててててて! おい安川! 見てねーでこのガキを引っ剥がせ!」


「お、おう!」


 もう一人の太っちょ――安川がハッと我に返り動き出した。だがその動きは緩慢で、恐らくティア様に悲鳴を上げる仲間が信じられないんだろう。


(そりゃそうだよね。見た目は女の子でも力は魔王なんだから。……けどティア様に触れるのはいただけない)


 ティア様に迫る安川。その背後に静かに、だけど一瞬で移動する。そして上着の首元を軽く掴んだ。


「はいストップ。この人に触れるのは許可できないよ」


「ひあああっ⁉︎ ななな何で俺が持ち上げられてんだぁぁああッ⁉︎ く、苦しいって降ろせッッ‼︎」


「はいどうぞ」


 上に掲げていた安川をそっと地面に降ろす。一応怪我をさせるつもりはないし、できる限り優しくだ。


 しかしそれが癪に触ったのか、はたまた挑発してると受け取られたのか分からないが、安川はキョトンとした後、わなわなと震えて立ち上がった。


「あんま舐めてんじゃねえぞガキぃいいいッ‼︎」


 振りかぶった右拳。僕にとって欠伸が出そうな速度で迫る拳には、安川の重そうな体重が乗っている。狙いは僕の顔面。当たったら痛そうだ…………安川が。


(まあ怒らせちゃったのは僕だし、避けたらこの人転んで怪我しそうだな。仕方ない)


 拳に合わせ顔の位置を微調整する。額で正面から受けたら拳のダメージも多少は安く済むだろう。


 しかし――。


「はーい、兄貴に手を出すのは俺が許さないっすよー」


「うおっ⁉︎」


 突然僕の前に現れたカスケードが安川の手首に指を当てた。そして器用にも力の流れをくるりと誘導すると、安川の大きな体が宙に舞った。


「おっと! こらカスケード! この人が怪我したらどうするのさ! ……えっと安川さん、大丈夫だった?」


 慌てて安川を空中でキャッチ。図らずともお姫様抱っこの形になってしまった。


 するとカスケードは申し訳なさそうに「すみません兄貴、つい……」と反省した顔を見せ、安川は「……あ、ありがと……カッコいい少年……」と頬を染めている。なんで助けた相手から特大の精神攻撃を受けないといけないんだ。


「アルク……お前そういう趣味があったのか……」


「安川……流石にそれは……」


 オマケにティア様ともう一人の黒服は引き攣った顔で僕と安川を見てるし、もう泣きそうだ。


 そしてそんな僕を救ってくれたのは、もはや閑話休題メイドになりつつあるメイだった。



「――――み、みなさん、一度落ち着いて話し合いましょうニャ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る