第5話
――――結論から言うと、ゲートの先は異世界の日本という国に繋がっていた。
さらに細かく言えば日本の愛知県、さらにさらに言えば豊橋市という街の大池公園という場所に、僕達一行は転移したのだ。
名前の通り大きな池がある――言い換えればそれしかない公園で、近くには人間のおばさんが犬の散歩をしていた。
最初に驚いたのは、この世界には魔素が存在しないこと。大気中に魔素がないということは体内で練った魔力を体外に伝達する術――謂わゆる『魔法』が使えないということだ。
仮に魔法を使うとしたら、自分の周囲を魔力――またはその元である魔素で満たし、その上で魔力を出力するという方法。
これは現実的ではなく、それこそ魔王レベルの膨大な魔力が必要になる。つまり僕らが使える能力は基礎的な身体強化や身体変化など、己の体内のみで完結・循環する魔力操作のみである。
そして二つ目の驚き。それは人間がたくさんいることだ。
僕達がいた世界――つまり魔界では魔力を操れる魔族や魔獣、獣人が人口の大半を占めていた。人間もいるにはいたが、それは魔界の外――魔素が薄い辺境に暮らす少数種族という形だったのだ。
それがこっちでは世界の覇権を握ってるとは驚きである。
「――――んで兄貴どうしやす? とりまこの世界の簡単な情報はゲットしたんすけど、シレンダ姐さんの魔力残滓は欠片も見つかんないっすよ」
池を一望できるガゼボ。その四つ並んだベンチに腰掛けたカスケードが口を開いた。
「だよねぇ。そもそもこの世界じゃ魔力残滓なんてすぐ霧散してるだろうし、やっぱ人に聞いて探すのが現実的かなぁ」
「ですよねー…………にしても魔王さ……じゃなくてティア様、楽しそうっすね」
僕達の視線の先、大きな池の水際ではしゃぐ二人に目線を移す。
ティア様は池に両足を浸けながら、見ず知らずのおじさんに教えてもらった水切りという児戯に夢中になり、そのすぐそばではメイがせっせと平たい石を集めている。
「そうだね。あんな楽しそうなティア様、何十年振りに見たかな」
ティア様が石を投げるたび、巨大な水飛沫が上がり池が割れる。おじさんが教えてくれた水切りとはかけ離れた自然災害みたいになっている。
「なんでセンチメンタルになってんすか兄貴。『ティア様の喜びは僕の喜び』っていつも言ってたじゃないっすか」
「僕そんなこと言ったっけ⁉︎ 口に出したことないけど⁉︎」
「なはは、図星なんすか」
やられた。能天気に見えるカスケードの誘導尋問なんて予想してなかった。
「ま、細かいことはいいんじゃないっすか? とりまティア様が楽しんでるのは事実なんすから」
「…………そうだね」
そのはずだ。だけど心がモヤモヤするのは何故だろう。
「あ、それと一応報告なんすけど、この世界の貨幣らしき物をゲットしました。この一枚だけっすけど」
カスケードに振り返る。そこには銀色の丸い物体に空いた穴を覗き込むカスケードがいた。その銀色には何か文字らしきものが刻まれている。
「でかしたぞカスケード、重畳だ」
「再現度高いっすね! けどティア様に聞かれたら怒られますよ?」
「男同士の秘密にしといて」
「ういっす」
なんて馬鹿なやり取りをしていると、池の方から「おーいアルクー! お前も池割りやってみよー! 存外楽しいぞー!」と声を掛けられた。やはり水切りは別の遊びに進化していたらしい。
「じゃあ僕もやってくるよ。カスケードもやる?」
「俺は遠慮しとくっす。てかもうちょっと情報集めてくるんで、兄貴は俺なんて気にせずティア様と遊んでてください」
案外ツレない返事が返ってきた。普段の軽い態度からは想像できない有能な鬼人である。
「分かった。大丈夫だと思うけど、くれぐれも無茶はしないでね」
「モチのロンっす!」
そう言って姿を消したカスケードに、僕は「ありがと、カスケード」と一人呟いたのだった。
翌日。
「――――えー、それでは何か案のある者は挙手せよ」
昨日のガゼボのベンチで、ティア様が真面目な顔で僕達に視線を巡らせていた。
議題は雨風を凌げる家屋の入手方法と、この世界での金銭の確保についてだ。
……と、二つのテーマに分かれてはいるが、要はお金を稼ぐ方法である。
魔界にも貨幣制度はあったが、それは魔鉱石や食糧などの物々交換の補助的な役割としての制度だった。等価交換できない場合に貨幣で補ったり、報酬として一時的に貨幣を与え、それを必要なタイミングで魔鉱石と交換してもらったりなどである。
要はこの世界の貨幣が最終的に金との交換券だとしたら、魔界では魔鉱石が金の役割を果たしていた。
別にこの世界に長居するつもりはないが、シレンダさんが見つかるまでティア様を野宿させるわけにはいかない。
つまりこれは目先の最優先事項である。
「はい」
「よしアルク、述べよ」
僕の挙手にすかさずティア様が指を差す。
「この世界では働ける年齢に達した者は皆何か労働をし、その対価として金銭を稼いでいるそうです。家を得るのも、食糧を得るのも、金銭が全てとのことです」
「ふむ、どこの世界でも根本は同じか。……それで?」
「はい、これはカスケードが得た情報ですが、働くためには戸籍や住民票とやらが必要らしいのです。詳しくはまだ分かりませんが、恐らく個体ごとを識別・登録する書類のような物かと思われます」
「そうか。でかしたぞアルク、カスケード。重畳だ」
その言葉にカスケードが俯く。隠してはいるが肩が震えている。
「ん? どうしたカスケード。何かあったのか?」
「い、いえ、すみませんティア様、まじでなんでもないっす」
ティア様が訝しむような視線をカスケードに送っている。ここは助け舟を出そう。
「ティア様、取り敢えず労働班とシレンダさんを探す捜索班に分けるのが得策かと。幸い食糧に関してはカスケードが大量に持って来ているので、餓死の心配はないかと思われますので」
「ふむ、流石アルク。わしが見込んだ側近だ。その案を採用しよう」
よし、上手く誤魔化せた。カスケードも一安心だろう。
見るとカスケードが僕に頭を下げている。何というか憎めない鬼人だ。
しかし次にティア様の口から出た言葉に、僕達は騒然とした。
「では労働班はアルク、それとメイに任せよう。カスケードはわしと共に人間の多い場所で聞き込みをするぞ」
「「なっ⁉︎」」
「ん? 何か意見があるのか?」
思わず声を上げたカスケードとメイにティア様が首を傾げる。するとすぐに二人が抗議の声を上げた。
「ち、ちょっと待ってくださいティア様! 労働は俺とメイっちがするっす! 兄貴はティア様の側近なんすよ⁉︎」
「そ、そうニャ! アルク様はティア様の参謀ニャ! 一緒にいなきゃダメニャ!」
二人からの、恐らく初めての抗議。ティア様は目を丸くし、分かりやすく驚いている。
――だがそれは僕も同じだった。
自惚れではないが、てっきり僕も二人の述べた采配になると思っていた。過去500年、寝る時以外は常にそばにいたから当然だ。
それが今のティア様はそれを忘れてしまったかのようだ。
「むぅ、そうか? ならばアルク、お前はわしと行動を共にせよ」
「…………はい」
声が震える。胸が締め付けられる。自分が無価値だと言われたようで、この場から逃げ出してしまいたい。
だがそんなこと出来るはずがない。だから僕はずっとそうしてきたように、自分の感情を抑えつけた。
「そうと決まれば行動を開始するぞ。……と言っても、まずは人間の集まる場所に行くのが得策か。この場とはこれで離れるとしよう」
ティア様に続き立ち上がる。軽く目眩に襲われるが、バレないように立ち直る。
「…………兄貴……」
こうして僕達は本格的に行動を開始した。
体に当たる風が、少し肌寒く感じた――――。
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