4月1日④:外出前に一仕事
朝食を終えてしばらく。
「できたぞ奏。これでばっちりだ!」
「ありがとう、深参兄さん!」
約束通り調律を終え、深参は奏にトランペットを手渡す。
今すぐにでも吹いて調子を確認したいが、調律はともかく、演奏と練習は九重家の地下にある防音室の中でやるようにルールが定められている。
九重家は住宅街の中にある。こんな朝から演奏なんてしたら、ご近所さんから苦情が来るだろう。
「子供達だけ」で過ごしていることに対して、いい感情を抱いていないご近所さんは少なからずいる。
できるだけ穏やかに、そして慎ましく…静かに。
「…どうした?何か違和感があるか?」
「ううん!これから遊びに行く予定があるから、帰ってから防音室で弾くね!」
「ああ。そうしてくれ」
「でもなんでうちって防音室あるの?深参兄さん知ってる?」
「ん?あ〜。親父が作ったんだよ」
「でもお父さん、楽器弾かなかったよね?私が知らないだけで、弾いていたりしたの?」
「さあ、流石に俺も分からないや。でも、親父は双馬や志夏みたいに「何でもできる人」だったからなぁ…趣味で持っていたのかもしれない」
「そっか。お父さん、何の楽器弾いていたのかな」
音楽が大好きな奏は、自分がほとんど覚えていない父親が同じ趣味なことが嬉しいらしい。
どんな楽器を弾いていたか。どんな曲が好きだとか…色々考える彼女の横で、深参は顔に影を落とす。
それに気がつくのは、司の歯磨きチェックを音羽とやっていた一馬のみ。
気を遣って一馬が声をかけようとすると、その前に奏が深参へ話題を振った。
良くも悪くも、父親の話題はここまでらしい。
「そういえば、深参兄さんは家で楽器弾いてる?」
「あ〜、いや。最近仕事が忙しくて」
「そうだよねぇ。今日もお仕事だって言っていたし…。でも!練習を一日でも怠ると!ダメなんだよ!毎日触るだけでもいいからやって!触らないと楽器が「もう深参君に演奏して欲しくないなぁ…」って!心が離れちゃうから!」
「お、おう…!誰の受け売りだそれ!」
「音楽の先生。合奏授業の時、いつもこれ言ってる」
「変わった先生だな…」
「いい先生だよ。授業楽しいし、解説面白いし。クラシックの話も付き合ってくれるし!」
「そうみたいで安心だよ。楽しくやっているんだな、奏」
「うん!深参兄さんは?大学、聖清川でしょ?」
「ん。こっちも楽しくやってるよ。毎日課題だ練習だ公演だので振り回されているけどな」
「深参兄さん、作曲家なのに忙しいの?」
「まあ、奏者と組んでやる課題とかあるし…」
「志貴さん以外の奏者と組めたんだ」
「高校時代からの付き合いでな。互いに利害が一致しているし、気を遣わなくて済むから」
「深参兄さん、友達志貴さん以外にいたんだ」
「いるよ。悠真とか…ゆ、い…あ、やべっ」
「ゆい?」
とっさに口を塞いだが、流れで言ってしまった名前。
九重家では、その名前は気を遣って言わないようにしている。
最も、気を遣っている相手もうっかり口に出しそうになっている事は…深参も知らないが。
「ゆいのう。結納!あいつと結納した彼女さんとかも、友達だよ…」
「結納?」
「こ、婚約を確約する儀式…的な?」
「何それかっこいい」
「まあ、あいつは彼女さんのお父さんが外人さんだから…もう結婚しているけど、形式的にやって楽しませようって話らしいがな…」
「へぇ…私も将来するのかな」
「ぶっ!」
「ぶへっ!」
さりげない一言に、一馬と深参が同時にダメージを受けた。
別に今まで彼女の一人いないから、ダメージを受けたわけではない。
「…僕はまだ、弟妹の中から既婚者が出るだなんて…いや、昔の双馬は学生結婚も視野に入れていたし…でもでもでもでも…そういうのはまだ早いって…」
「いつかは…いつかはって思うけど…やっぱりこう突きつけられると…うぐっ…」
「…」
ブツブツと何かを呟く声は、その場にいた音羽も奏も聞き取れずにいた。
一馬が蹲る姿が心配で、司は近づこうとするが…何かヤバそうだったので、音羽が無言で止めた。
今の二人に近づくのは、何となく危険だと思ったからだ。
そんな中、戻ってきたのが志夏。
兄達の気持ち悪い姿に絶句していたが…何か「材料」を見つけたのだろう。
楽しそうににんまり笑い、悶絶する二人に近づいていく。
「起きて。準備できたよ、シスコン三号。大好きな妹の為にネクタイ結んでよ。ほらほら」
「誰がシスコン三号じゃ!?結ぶけどさ!」
「さんくす〜」
「深参兄さん、返事をしたら負けだと思うよ…」
飛び起きた深参が抗議する横で、音羽が何かをぼそっと呟くが…勿論彼には聞こえていない。
「ほら。ネクタイよし!」
「どうも〜」
「これで準備はできたんだな。志夏」
「うん。いつでも出発できるよ」
「じゃあ行くか。音羽、奏、司。シスコン兼ブラコン一号を頼む」
「いってらっしゃい!かみにーに!なつねーね!」
「誰が一号かな?!いってらっしゃい!深参、志夏!」
「一馬兄さん、音羽姉さんも言ってたけど返事したら負けってやつだと私は思うな」
音羽の言葉を真似して、奏が告げた言葉もまた…届くべき二人には聞こえていない。
聞こえているけれど、聞こえていないふりをしているのかもしれないが。
深参と志夏は玄関に向かい、改めて留守番する四人の見送りを受け、外出を始めた。
目的地は兄妹達が住んでいる
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