4月1日③:長男と、次女と六男で九重家

時刻は朝七時半。

七時から朝ご飯を食べ始めた面々が出かける為、慌ただしく動き出し始める。


「今日は飲み会。晩ご飯不要でお願いします。じゃあ、いってきます」

「いってら双馬〜」

「私は定時帰り予定!三波を拾って帰るから、七時半ぐらいかも!」

「桜と一緒に帰る。晩ご飯は…楽しみにしている、音羽」

「うん。行ってらっしゃい。桜姉さん、三波兄さん」


それぞれ音羽が作った弁当を鞄に入れて、仕事へ出かける。

奏はドアの影に隠れて複雑そうにしていたが、起きている面々は出かける三人を見送り玄関まで。

見送った後は、それぞれ予定の時間までのんびりするのだが…そうも言っていられないらしい。


「あー!」


階段をドタバタと降りてくる音。奏でも9歳となり、ある程度落ち着いた子供になった方だ。

けれど、あの子はまだ違う。


「そーにい達の見送り間に合わなかった!」

「ごめんね。にーにがゆっくり階段を降りていたから…」

「いいよ。階段はにーにかねーねとお手々を繋いで歩くことが約束だもん!明日はもう少し早起きしたらいいだけ!」


六男「九重司ここのえつかさ」はまだ元気いっぱいの五歳児。

幼い彼はまだ目を離したら何をしでかすか分からない年代。

誰かが常に一緒という約束を結び、四六時中誰かと共に過ごす生活を送っている。


「いい子だね。司。じゃあ、お見送りに間に合う時間に起きるとしたら、何時に起きたらいいかな?」

「今は、しちじ、さんじゅっぷん…だから、しちじに起きる?」

「うん。じゃあ、明日は七時に起きてみようか」

「うん!目覚まし七時にセットするね!」

「お願いするね」

「お願いされました!」


そして、基本的に司と行動を共にするのは長男「九重一馬ここのえかずま


「よっす、一馬」

「ああ、深参。来ていたんだ。朝早いねぇ」

「奏との約束があるからな。志夏、司は頼んだ!」

「任された!司、顔洗いに行こ!」

「うん!志夏ねえね!」


志夏に指示を出し、二人きり。

向かい合う姿は鏡の前に立ったように瓜二つ。


「具合はどうだ?」

「今日は平気。体温も平熱だよ」

「それならいい。後、違和感がある場所は?」

「今のところは」

「薬は?」

「朝食がまだだから、終わったら飲むよ」

「よし」

「…兄さん達、廊下で何やってんの?」

「「健康チェック」」

「廊下でやらなくていいじゃん…リビングでやりなよ。司、先にリビング」

「はーい!」


顔を洗ってきた司を連れた志夏が戻ってくる程度の時間が経過していたらしい。

志夏は司をリビングに送り込み、廊下で話し込む二人の様子を伺った。


「深参兄さん。それなら私が代わるから、そろそろ奏の相手してあげて。いい子で待ってくれているんだからさ」

「あ、いけね…じゃあ志夏、ここは…あ、一馬!」

「ん〜?」

「ん」


ポケットから取り出した物を、一馬に手渡す。

深参が持っていたのは使い捨てカイロ。


「春でも冷えるからな。一応持っとけ!」

「至れり尽くせりだねぇ、深参」

「これぐらいは普通だよ。ありがとうな、志夏。よろしく!」

「任された」


深参がリビングに向かい、奏に声をかけ始めたのを見計らう。

一馬が一人きりになる時間は滅多にない。

元々彼自身が病弱で入退院を繰り返し、家にいないというのも理由になるのだが…一番の理由は、司の存在。

司の面倒を基本的に引き受けている彼の側には、司が常にいる。


そんな司がいない時は、弟妹の誰かが必ず一人がいる。

その虚弱さ故に、一人にするのが心配だから…一人でいるところを見かけたら、必ず誰かが側に付き添う「暗黙の了解」が原因だ。


「健康チェック、終わっているんだよねぇ。割り込むのが遅かったかも」

「大丈夫だよ。それより、何か話があるんだろう?」


だから、密談の時間というのはなかなか確保できない上に、確保できたとしても非常に短い代物。

ささっと用件を伝える必要がある。


「一馬兄さん…」

「何かな…」

「夜に双馬兄さんの愚痴大会があると思うから、適当に宥めておいて」

「えぇ…また怒らせたのかい?」

「情報伝達、忘れていてさ」

「志夏は普段しっかりしているのに、肝心な所は抜けているよね…。普段なら「しょうがないなぁ…」で引き受けるけど、今日の双馬は飲み会でしょ?貸し一ね」

「あれ、嫌なの?」

「超嫌。できるなら深参に押しつけたいぐらい」


まずは普段のこと。志夏の頼みは大体いつもこれ。

本来なら一馬もしょうがないなで済ませる。

体調を理由に普段から双馬と深参、桜や三波に家の事を任せている分、そして志夏や音羽、奏や司の要望になかなか応えられない自分にできること…弟妹のお願いは基本的に無償で聞くようにしている。


けれど今回は話が別だ。

一馬も人間。決して聖人ではない。

嫌な事だって一つや二つある。

具体的に言えば、酔っ払って帰ってくる双馬の相手とか。


「酔っ払った双馬兄さん、ずっと抱きついてくるだけじゃん。無害だよ」

「たまに耳とか指を囓らなければ、無害だよ」

「…いつもお守り、ご苦労様です。今度、双馬兄さんと音羽に内緒でラーメン食いに行きやしょうや、兄上。好きでしょう?」

「わかっているじゃないか、志夏。ありがとう、報酬はそれでいいよ」


いつもならここでおしまい。

けれどまだ話があることは、志夏の目線で一馬も理解している。


「それから…五時で猫の手を借りたい。虎の子は必要ないかな」

「…例の件、進展したんだ」

「うん。収穫を確実にしたいから力を借りたいんだよね。できる?」

「嫌」

「一馬兄さん、イヤイヤ期?」

「そんなものは高校進学を機に卒業したよ。あのね、志夏。君がいう猫…どんな存在か理解している?愛玩動物のように可愛い存在ではないんだよ」

「でもそいつ、名前は猫科。しかもファンシー」

「…なぜそこまで」

「それぐらい調べられる。これから調べたいことはそんな私でも調べられない界隈だから、力を借りたいの」

「全く…随分ギリギリを走っているね。いいよ。僕の同行を条件に紹介する」

「話が早い。助かるよ」

「…でも、相当危ない真似をしていることは理解を示してほしい。次の標的は君になる可能性だって、あるのだから」

「わかっているよ、一馬兄さん。それじゃあ、よろしくね」


先に志夏がリビングに向かう

志夏は冗談を交えていたが、最低限の会話でやりとりを済ませていたと…双方共に考えていた。


「…朝から聞くにはなかなか重い話だね」


しかし、話す時間が短くとも内容は軽くない。

階段に腰掛け、一息ついた。

志夏の気持ちはきちんと理解できる。

もしも自分も同じなら、きっと同じようにするとも考えている。

彼女に協力ができるなら、できる限りのことを最大限に行いたい気持ちもあるけれど…それ以上に、これ以上は何もしないでいてほしい気持ちの方が大きい。


「かずにーに?」

「ああ、司。どうしたの?ご飯は?」

「かずにいと一緒に…どうしたの?具合悪い?」

「大丈夫。少し疲れただけだから、階段に座って休んでいたんだ」


志夏と入れ替わるように、一馬の所にやってきていたのは司。

心配そうに見上げる司の頭を、安心させるように撫でて…ゆっくりと立ち上がる。


「安心して、司。僕は元気だから」

「そっか。じゃあ、朝ご飯食べよ!おとねーねが、待ってるよ!」

「うん」


司に手を引かれ、リビングへ向かう。

今はもう、これ以上考えないようにしよう。

思考を日常に切り替えて、九重一馬は「九重家の長男」として過ごしていく。


いつも通り、どこにでもある日常で。

いつも通り、九人兄妹で。

いつも通り、仲良しの日々を送る。

そんな九重家の朝が、幕を開ける。

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