4月1日②:三男と、長女と四女

朝七時。洗い立ての洗濯物が庭先で揺れ始めた頃。

この時間帯になると、早起き組以外の兄妹達が起きてくる。


最も、学生組は春休みの真っ最中である為…まだまだ起きてこないのが「いつもの流れ」なのだが…。

今日は珍しく、ねぼすけの二人がいつもの時間に起きていた。


「おはよう、かなで

「おはよ、音羽姉さん」

「今日は早いね。何かあるの?」

「今日は、奈緒ちゃんと美鈴ちゃんと学校に行って、新しいクラスを見に行こうって約束しているのと…それから、深参ふかみ兄さんにトランペットチューニングを頼んでいるの。いつもは夕方だけど、今日は朝しか来られないから、この時間にって」


四女「九重奏」は大事そうに抱えていたそれを持ち上げ、音羽に自慢するように見せてくる。

勿論、それの価値は音羽も理解している。

大好きな兄の後追いをして、その兄の初ボーナスまでの給料で買い与えられた奏だけのトランペット。


けれど、それを買う時にその兄はあるものを犠牲にした。


兄は、自分が大事にしていたものを売り…それを売ったお金を貯金に足して奏にトランペットを買い与えたのだ。

お遊び抜きでトランペット奏者になりたい夢があるのなら、早めに練習を始めた方がいいから。

公務員である彼は、かなりの無理をして…奏にそれを与えた。

が、「一緒に演奏する夢」があった奏は大激怒。とても仲がよかった二人は、今は顔を見ても会話すらしない冷え切った間柄になってしまっている。


「もぐもぐもぐもぐもぐもぐ…」

「相変わらずよく食うな…そういえば双馬兄さん。予定に今日は異動先で飲み会って書いてあったけど…今日帰り遅いのか?」

「ああ。なんで?」

「いや、帰り迎えに来て貰おうかなって思っていたから。帰り同じぐらいだと思ったし。勤め先、神栄市役所だろ?」

「今日から玖清市役所勤務だから電車通勤になる。車はさくらに譲った。そういう交渉は今月から桜に頼んでくれ」


「六時半になっていいなら大学まで迎えに行くよ。一回につきジュース一本ね!」

「破格すぎるだろお願いするわ。てか桜、なんで俺を誘ってくれなかったんだよ」

「教習所?」

「ん。お前と一緒だったら免許取る時も安心だったのに」

「三波がやさぐれていたからかなぁ。本当は一緒に取りたかったんだよ?でもあの時は声をかけるなって…」

「うぐ…」

「私もギリギリまで悩んだんだよ?それに一緒の方が楽しいし、楽じゃん。ほら、三波は私と一緒にいれば厄介事を回避!私は筆記を三波に教えて貰える!互いに利益があるんだよね!双方の面倒事は双方で全部かいけ〜つ!みたいな!」

「まあそうだけどさぁ…いつもだろそれ…」


ほわほわした空気は決して寝ぼけから発しているものではない。

長女「九重桜ここのえさくら」は、元々こんな感じで朗らかで緩やかな性格。

正反対の三波とは対照的であるからこそ、ウマが合うらしく…時間が空くと大体二人で一緒に過ごしている。

九人兄妹の仲では、一番仲がいいコンビだ。


「…桜姉さんと三波兄さん、双馬兄さんと奏って、兄妹仲良しコンビと険悪コンビが並んでる」

志夏しなつ姉さん。起きていたんだ」

「今日はお出かけの予定があるからね。皆おはよ〜」


次女「九重志夏ここのえしなつ」がマイペースに朝の挨拶をリビングにいた面々に投げかける。

食事をしていた面々は手を軽く振るだけ。朝の挨拶は大事だけど、同時に食事中のマナーも大事。

双馬も桜も三波も兄妹の中では「年長」に相当する。「年少」にみっともないところは見せられない。


「…あれ、皆如何にも仕事行きますみたいな感じだな。双馬兄さん」

「んー?」

「今日さぁ、何日か覚えてる?」

「何って、4月1日だろ」

「そうだけど、そうじゃなくて〜。今日は私の高校入学前の説明会。制服とかの受け取りもあるし、保護者もいるんだけど…」


志夏の一言に、食事を摂っていた双馬が手を止める。

最年長の立場上、留学していた三波はともかくとして、桜や志夏、音羽に奏…弟妹達の保護者として学校に出向いた回数は数知れず。

けれど、何においても慣れてきた頃に油断が生まれる。


「そうだよなぁ…音羽の方は把握していたが…油断した…。すまない志夏。予定はもう空けられない」

「え〜。じゃあ三波兄さんは?ニートでしょ?」

「…いつまでも人をニート扱いするな。今日から仕事だよ」

「マジか。桜姉さんは?」

「ごめん!私も仕事〜!」

「…一馬かずま兄さんは…朝から病院かぁ。やっちまったなこりゃあ」


「志夏、忘れていた俺が言うのも何だが…予定がある場合はホワイトボードに書いておいてくれっていつも言っているだろう?自分の予定だけでも精一杯なのに、他の八人の予定まで流石に覚えきれないから…」

「それは本当に申し訳ない。ただ、書くことを忘れちゃってね。えへへ」

「えへへじゃない。もう少しちゃんとしてくれ。とりあえず、深参が来たら行けるか聞いてみる。行けなかったら、申し訳ないが一人で行ってくれ…」

「はーい」

「ただいま〜」


噂をしたらなんとやら。九重家で唯一、別の家に住んでいる三男「九重深参」が到着する。

今すぐにでも作業に取りかかってほしい奏としては飛びつきたい帰宅ではあるのだが、今はそういう空気でもないのでソファに腰掛けて、話が終わるのを大人しく待ち続けた。


「長男坊と末っ子以外は全員起きているらしいな。皆さんおはようさん。で、何の話をしているんだ。俺の名前が聞こえたぞ「片割れ」?」

「志夏の入学前説明会。保護者の参加も必要らしい…」

「志夏お前また伝えそびれたな〜?」

「まあね」

「まあねじゃないだろうよ。ちったぁ反省しろ。三波以上で行けそうなのは俺ぐらいってところか?」

「ああ。深参、仕事の都合は?」

「今日は…四時から打ち合わせ。志夏、終わりは?」

「…ええっと、プリントでは三時終わり」

「お前確か土岐山だったな…家まで折り返すとギリギリの時間か。ま、リモートだし、適当にネカフェでも入ってブース借りるわ。志夏、そこは付き合えよ。好きなもの食っていいから」

「もちのろん。ありがとう深参兄さん」

「へいへい。けど、ちゃんとホワイトボードを活用しような…とりあえず、電話いいか?」


リビングの端で端末を開き、いつもの電話番号を呼び出す。


「響子。俺」

『俺さんは知らないわよ、深参君。どうしたの?』

「いやぁ、今日妹の高校入学前説明会らしくて、この後一緒に行くことになったんだ。志貴の病院付き添い、一人で頼んでいいか?」

『これぐらい大丈夫よ。妹さんの方を優先してあげて』

「助かる」


『それより貴方、打ち合わせは大丈夫なの?四時からじゃなかった?』

「道中のネカフェでやろうかなって。個室なら大丈夫だろ。後で会議参加用パススクショしてメッセに送ってくれ。あれだけ紙管理だから」

『任せておいて。音源データは?』

「クラウドに入っているからそこは問題ない。プレゼン資料も一緒だな」

『わかったわ。じゃあ、後でパスだけ送るわね』

「志貴の件含め、任せた」

『ええ。任されたわ』


通話の終了からちょっとだけ時間をおいてから、響子からメッセージ経由でリモートでの打ち合わせで使用しているアプリのアカウントパスと、会議室コードと入室用パスが送付される。

文章で改めてお礼を告げた後、深参は志夏の方を振り返った。


「これで俺の問題も半分解決済。志夏、土岐山か神栄周辺の個室ネカフェかレンタルスペース片っ端から探せ。これが見つからなきゃ意味が無い」

「へい兄上!」


「音羽!俺も朝ご飯食べたい!俺の分ある?」

「問題ないよ。用意しておくね」

「ありがと音羽〜!大好き〜!」

「知ってる〜」


深参は九重家の中でムードメーカーみたいな立ち位置になる。

良くも悪くも大人しい兄妹の中では一番賑やかで、家の中にぱっと明かりを灯すような存在なのだ。

彼が話せば、自然と空気が明るくなり…自然と兄妹達の顔に笑みが浮かぶ。

けれど、今日はまだ足りていない部分があったりする。


「深参兄さん…」

「ああ、奏。大丈夫大丈夫。約束はご飯を食べた後に果たすよ。せっかくだし奏も今食べちゃえ。俺も久しぶりに奏と食べたいし」

「しょうがないなぁ〜」


これでよし。今起きている面々はちゃんと笑えている。

大体いつも空いている桜の向かい側の席に深参が、その隣に奏が腰掛けて、音羽から用意して貰った朝食を一緒に食べ始めた。

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