Last Chorus.
33
あのとんでもない夜の出来事は、やはり世間に公表されなかった。というより、何もないことにされた、という方が、表現としては正しいのかもしれない。
人里離れた車の衝突事故も、その近くの山中にある謎の施設も。病院で起きた人質事件は、頭のおかしい強盗の仕業として片付けられ、患者はほぼ全員無事に生還した一方で、肝心の強盗たちの素性は一切合切報道されなかった。今頃、陰謀論好きのSNS投稿者が、あれやこれや
まさか、口にできるはずもないが。
事件から少しした頃――まだ肩の傷を癒すために入院していた時。私の口座に多額の現金が振り込まれていた。振込名には何も記されておらず、しかしそんなことをするのは『国』――中でもあの組織しかいないだろうと結論づけた。
実際それは正しかった。
そう断言できるのは、口座を確認したのと同日、男が入院していた私の病室を訪ねて来たからだ。
その男の顔は間違いなく、あの死んだ影浦國義と瓜二つだった。
驚く私に彼
「これは最後の連絡であり、最後通牒でもある」
「以後一切、口を慎め」
「その限りで、もう我々はお前に関与しない」
「口に出したら――あとは分かるな?」
一方的に言い終え、すぐに男は去った。
……きっと彼が、『現在の
何故ならあの組織の
では。
『先程訪れた彼』は何代目――否、何号なのだろうか?
『すやりに殺された彼』は?
……『すやりに殺された彼』の人生とは、一体何だったのだろう。
『彼』のしたことを許している訳ではないが、こうして『次の影浦國義』を目にしてしまうと、どうしてもそう思ってしまう。
やり場のない感情を抱きながらも、私はこれ以上、この件に足を踏み込まないと決めた。もう、あんな目に遭うのは御免だった。
こうして呆気なく、しかし平穏に全ては収まった。
私は、何事をも成せなかったが、ただ生き延び。
燻離学生は、3度『
音夢崎すやりは、ライブの実施予定日が過ぎても現れることはなかったが、存在まるごと消されることはなく。
世間では、誹謗中傷で人が死んだ事実も風化し、また誰かが誰かを
『国力増強推進事務局』は変わらず、国力を増強させるべく暗躍することだろう。
この病院でしっかり養生したら、私はこれまでと変わらず、大学に戻り研究を続けようと思った。……少しくらい、学生のことを真面目に見てもいいかもしれない、とも思いつつ。
これで、物語は終わり。
そう思っていた。
だが。
人生がこの先も続くように。
この話にはまだ、続きがある。
***
2ヶ月後。
教壇に復帰した私は以前の通り、AI学の授業を行なっていた。AIに関して慎重であるべき、という論調は前より増して強くなったと思う。あんなことがあっては、まあ当然だが。
だがこの日の授業は、まるで集中してできた気がしなかった。
いつもと変わらぬ授業風景。真面目に授業を受ける学生。レコーダーだけ置いて寝る学生(そのレコーダーはスイッチを切ってやった)。『逆評定』を信じて、出席した証明を書いてから、授業を抜け出しサボる学生(ただしこの証明書は、出席した証明にはしないつもりだ。大体、「出席した者はこの紙に名前を書くように」としか言っていない。これはすやりから身に付けた知恵のようなものだった)。
そうした、本当にいつも通りの学生たちの風景。
その中に混じって、合歓垣燻離が座っていた。
前と同じように、彼女はただ真面目に座って授業を受けていた。腕を包帯で吊り、指も固定されてまともにペンすら掴めないような彼女。その顔には憔悴の跡が見てとれたが、どこか憑き物でも落ちたかのようにスッキリしている感じもあった。
無事に退院できたことに安堵しつつも、今度は何の用だ、と思ってあまり集中できない。
なんとか授業を終えると、周りの学生がゾロゾロ帰っていく中、燻離学生はズンズンと近づいて来て、私に言った。
「この後、質問がありまして。研究室にお邪魔しても良いですか?」
「……ああ」
真面目な生徒の願いを――いや、周囲にはそう見える申し出を、准教授の私がこの場で無碍にする訳にはいかない。私は渋々了承するしかなかった。
***
授業後、そのまま研究室へと向かい、燻離学生を招き入れ、扉を閉める。
「……久しぶりだな」
「ええ、お久しぶりです。感惑准教授。教壇に戻られたようで何よりです」
「そちらも、無事退院できて良かったよ」
他人行儀な社交辞令を終えてから、私は単刀直入に切り出した。
「今度は何の用だ……どうせ、私にするのは質問ではなく、命令だろう?」
「失礼ですね。……でも、まあ。私、あの時はあんなことしましたからね。その反応は当然だと思います」
そう言って燻離学生は。
私に、深々と頭を下げた。
「反省しています。あの時、脅すようなマネをして、ごめんなさい」
「……い、いやいや」バツが悪くなって、私は宥めるように言った。「あの時は、ああいう事情があったからな。仕方ないことだ」
「……ありがとうございます。正直、許してくれないとも思ってました」
「そんなことはない。今は、ああいうことが悪いことだと分かってくれさえすれば、それで良いんだ」
私のその言葉に、ふふ、と燻離学生が微笑む。どこか、悲しげな笑顔ではあったが。
しかし何がおかしいのだろう? 怪訝そうな顔の私に、「ごめんなさい」と言ってから、燻離学生は言った。
「まるで、すやりみたいなことを言うんだな、と。もしかしたら、感惑准教授のそういう所を、すやりは受け継いでたのかな、と思って」
「……」
なんだか、色んな意味で複雑な気分になった。
咳払いを1つ。気を取り直し、私は尋ね直す。
「で、話が逸れたが、何の用だ」
「はい。そのことなんですが――」
そう言って、燻離学生は。
真っ直ぐな目をして。
真っ直ぐな声で。
「Vアイドル――音夢崎すやりの自律AIを作って欲しいんです」
最初に私の部屋に訪れた時と全く同じことを、言った。
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