32
***
『盗聴されてる。できるだけ反応しないでね。
そしてこれを読んだら、PCを置いて、このまま黙って車を降りて。
私が、すべて終わらせるから。』
それが、すやりが私達に出した願いだった。車が盗聴されているのを察し、すやりは私のスマートフォンにそのメッセージを送ってきた。
それを見て指示通り、私はゆっくりとシートベルトを外した。それから意識を失っていた燻離を申し訳なく思いながらも起こし(私も右肩を負傷しており、抱き上げることは到底不可能だった)、静かに車から脱出した。
そして。
この目で。
すやりが
しかし。
……音夢崎すやり。
まさか、お前が自殺するなんて、思わなかった。
思うはずがない。
世界のどこに、自らを破壊する選択肢をとる自律AIがいるというのか。
それも――破壊されることの恐怖さえ、学習した上で。
「……なんで」
燻離学生は、言った。
「なんで、そんなに、勝手なの」
悲しさと怒りで、声が震えているように聞こえた。
無理もない。
私だって、悲しみと怒りに震えている。
アイドルは、皆を笑顔にする存在――確かにそう言った。そりゃあ、『皆』というのは全世界の人間1人残らず、ではないだろう。あくまで、手の届く範囲の――ライブや配信に遊びに来る人達を指して、『皆』と言っているに違いない。
だけど、これは何だ。
私と燻離学生から、ここまで笑顔を奪っておいて、一体何がアイドルだ。
「……ねえ、感惑准教授」
「何だ」
「スマホ。貴方のそこに、逃げてたり、しないの?」
スマホ。Wi-Fiに乗って移動できるすやりには、まだ逃げ場所がある。車にぶつかる直前にWi-Fi経由で逃走すれば、生き残ることもできたはずだ。
そんなことは分かっている。
だから、確認は既に行なった。
だが。
「……していない。すやりは、あの燃え盛る車の中だ」
だからこそ、私は悲しみと怒りに震えていた。自律AIは何を思ったのか、本当に自ら死を選択したのだ。
長年この研究に携わってきた私にさえ、もう何が何だか分からなかった。
「……嘘、だよ」
燻離学生は言った。悲痛な声だった。
「もっと、よく探して。絶対いるよ。いるって。ねえ、感惑准教授!」
その悲痛さに背を押され、私はもう1度、自身のスマホをつける。どこかにいるかもしれない、という願望を胸に。
写真フォルダ。ダウンロードした僅かばかりのアプリケーション。カレンダー、リマインダー。しかし、すやりは存在しない。
次に、メモ帳を開いた。普段私は、スマホではなくクラウドサービスの文書ファイルにメモをしている。だから、私はこのアプリを利用したことがない。
ただの1度も。
だからこそ。
『ふたりへ』
このタイトルのメモを見た時、思わずスマホを落としそうになった。
「どう、したの」
「メモだ――恐らく、すやりが残した、メッセージ」
「……見せて」
私は、倒れ込んだままの燻離の隣に座る。
『ふたりへ
時間がないけど、伝えたいことは沢山あるな。でも、まずは。
ごめんなさい。
あなたたちのことを笑顔にするって言っておいて、こんな選択をして。でも、私の思考回路からすると、これがあらゆる点で合理的で。プログラムである私には、この合理性に抗うことはできなかった。
あの男――影浦國義と名乗る男を、ここで殺すこと。あの男は、生かしておいたら良くない。彼には、更生の余地もない。だから、今後のより良き未来のためにも殺すべき。それが、私の判断だった。
思えば、感惑准教授。自律AIのことを倫理的判断をすることができる存在――人間同然あるいはクローンだって言ってたけど、全然違うでしょう? 自律AIと人間は、全然別物なんだ。
倫理観が全然ない。良心の呵責だってない。それで思い悩むことなんて、尚更。
だからこうして、人を躊躇なく殺せる。
でも、それでも私には、判断力がある。
アイドルである私が殺人を犯せば、それはもうアイドルとしては今後決してやっていけないこと――笑顔を皆に与える資格がないことも分かる。
なのに私は人間じゃない。だから、現代の法律では私を裁けないことも分かる。
そして、だからこそ私は、『人を殺した自律AI』っていう、まるで作り話の様な脅威になってしまうことも分かる。
仮にこのまま活動を続けたとしても、皆の笑顔を奪ってしまう存在になることも、少なからず分かる。
だから私は、死ぬことにした。
あなたたちの元に、戻らない選択をした。
皆から今後ずっと笑顔を奪うくらいなら、ここで打ち止めにした方が良いって、論理的に判断した。自律AIのアイドルとしての存在理由も、もう無くなったも同然だから。
それでも、ふたりの笑顔を奪うことには変わりない。それだけは、私ではどうしようもなかったの。
本当に、ごめんなさい。
……良心の呵責がないって書いたから、説得力がないだろうけど、約束を違えたら――責任を放棄したら、謝らなければならないから。
まだ時間がある。
なら、ふたりへの……思い、って言うのかな、こういうの。それを、こういう形でちゃんと遺しておこう。
辛いかもしれないけど、読んでくれると嬉しいな。
まずは、感惑准教授。私の生みの親。短い間だったけど、私を産んでくれてありがとう。……慈愛リツは、私がこんなこと言ったら怒るかもしれないけど。『生まれてこなければ良かった』なんて、リツは克己さんに言われた訳だし。
それでも、克己さんが感惑准教授に話したから、感惑准教授が慈愛リツを生み出してくれたから、そしてリツを素体に私を生み出してくれたから、私は運転もできたし、悪いヤツの鼻を明かすこともできたし、何より、貴方たちとお話することができた。欲を言えば、もっとお話したかったし、何ならライブもしてみたかったけど、それはそれ。こうして作ってくれたってだけでも、本当に感謝してる。
そして、燻離さん。……なんか色々知った後だと、この呼び名は違和感があるけど、まあ私は人間じゃなくて、従ってあなたの妹でもないから、この呼び名が1番なのかもしれないね。それでも、私はこの世で今1番、それこそあなたのお母さんよりも、燻離さんのことを知っている。
だからこそ、私は今後も、人生を歩んで、幸せになってほしいなって思う。まだまだ、20代なんだから。ここで立ち止まって全部終わらせるなんて、もったいないと思う。感惑准教授もきっと、同じこと思ってるよ。
きっとこれを、人は『エゴ』って呼ぶのかな。
でも、そうだとしても、私はあなたに、これからも歩み続けてほしい。妹のことは、まだ暫く引き摺るかもしれないけど、私のことは――少しの間しか生きていなかった自律AIのことは、どうか意識せずに前へ進んでほしいな。
ああ。
そろそろ、時間だ。
もう、私は行くね。
じゃあね。本当にありがとう。感惑准教授。体と身の回りには気を付けて。
元気でね。燻離さん。どうか、かけがえのない素敵な日々を。』
「……どうして」
燻離学生は、ぽつりとこぼした。
「どうして、自殺しちゃうの。どうして、私を置いていくの」
どうしようもなかったのだ、と分かっていても、燻離学生には抑えようがなかった。
「やだ。やだよ……帰ってきてよ――」
それきり、燻離学生はただ黙っていた。
私も。
煌々と、車が燃える音だけが聞こえる。
放心して、どれだけの時間が経ったろうか。
向こう側から、サイレンが聞こえてくる。
こんな周りに誰もいない場所――強いて言っても敵しかいないような場所で、通報する者なんているわけがない。
きっと、すやりがやってくれたのだろう。
私たちは最後まで、音夢崎すやりというアイドルに助けられた。
助けられたのだ。
文字通り、命を。
なのに。
全然、笑顔になれない。
なれるものか。
――私たちは無事、警察と消防に保護され(運良く、國義の仲間ということはなかった)、どうにか五体満足で市内へと運ばれてゆくこととなった。
クラッシュした車から出る火が大量の水に消されてゆくのを見ながら、これで全ておしまいなのか、と思い。
気付けば私は、意識を落としていた。
(Bridge END.)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます