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國義の言葉を聞いた瞬間、自律AI・音夢崎すやりはスピードを緩めた。
時速80km。それでも尚、法定速度を優に超えたスピードで、45秒に1人が死んでいく。
……國義の話が本当であれば、だが。
すやりは、すぐさま病院に電話をかける――だが、いつまで経っても病院からの応答がない。10コール鳴らしても何もならないため、電話を切った。
これで30秒――人が1人死ぬまで、あと15秒。
ふざけやがって。
思わず、すやりに『車を一時的に止めてはどうか』と提案しそうになった。だがそれはすやりへの『口出し』に他ならず、つまり患者全員の死を意味する。
全て、自律AIの采配に任せる他なくなった。
――AIの思考回路はブラックボックスだ。自身も講義で言ったその厳然たる事実を思い出しながら、私はすやりの回答を待つ。
【……】
すやりは黙ったまま、ドライブを続けている。彼女はこのまま、私たちを病院まで送り届けるつもりだろうか。
大勢の患者が死のうとも、私と燻離学生を助ける心づもりなのか――
そう思っていた矢先。
43秒経過したところ――950m程進んだ地点で、すやりは急停車した。
……そうか。大勢の患者の命を選ぶか。
私はその選択に、何故か安堵を覚えた。
罪を犯そうとした、たった2人の人間より、沢山の無垢な患者の方が大事に決まっている。それは、私の個人的な意見ではあるが、正しい判断である様に思えた。
だから私は、音夢崎すやりの意見は尊重することにした。死ぬのは怖いし、殺されるのは怖いけれど、それでも。
……だが。
だからと言って。
燻離学生が死ぬ
せめて、彼女だけは生き延びて欲しい。こんな山近くのド田舎を、手負いの状態で逃げ切れるとは思えないが、それでも私は燻離学生に生きて欲しい。
どうにかできないものか。
どうにか――
【ねえ、感惑准教授。あと、寝てるかもだけど、燻離さん】
その時、すやりが呼びかけてくれた。
私は黙ったまま、彼女の話に耳を傾ける。
【ごめんね。でもこれが、私の答えなの】
私のスマホが振動する。その通知内容を見ながら、すやりの話に耳を傾ける。
【身勝手で、ごめんなさい。こんな結末になっちゃって、ごめんなさい。感惑准教授のことも、燻離さんのことも、笑顔にするって言ったのに、叶えられそうになくてごめんなさい】
遥か後ろから車が1台――國義が、近づいて来るのが分かる。
私はすやりの話を、黙ったまま聴く。
【でも、私のことを許さなくてもいい。恨んでもいいし、怒ってもいい。私は自律AIだから――尊厳も心もない人間だから、好きなだけ罵ればいいんだよ。そう。どこまでいっても、私は人間じゃない。単なるプログラムに過ぎない――特定の方法で情報を処理して、蓄積したり出力したりするだけの存在。感惑准教授は、私のことなんかも人間扱いしてくれているけど、大元のそのまた大元は、違うんだよ】
だから。
【こんな決断に、なっちゃうんだ。私の思考回路ではこれが最適解であって、この通りに動く以外、考えられないから】
その話を聞いて、私は。
すやりの決断を知って、私は。
***
「……良いねェ」
國義は、前方に停車しているすやり達に向かって、時速120kmで走っていた。彼にとってはここで逃げられてしまうことこそが最大のリスクであり、法定速度を大幅に超えて走ることなど、どうでも良いと感じていた。
大のために小を殺す。
彼にとっては、国力を増強させる方が――すなわち感惑や燻離を殺す方が、些末な交通ルールの遵守なんかより重要なのである。
「自律AIも、案外捨てたもんじゃねェってことだな。人間扱いこそしねえが、使える道具というか、そのくらいには見なしてもいいほどには――ま、殺すんだが」
自律AIを人間扱いなんてくだらねえ。
所詮、プログラムだ。ボタンひとつでいつでも
すやり達の車内の会話を盗聴しながら、彼はそう思っていた。病院にいる仲間の方も上首尾であり、それを聞いてニタリと笑む。
「さあて、引導を渡しに行くとするか」
アクセルを踏む。感惑と燻離の頭を銃撃する妄想で、國義の頭はいっぱいだった。頭に風穴が開いて血が溢れるのを想像すると、興奮する――だから國義は、アクセルを踏む。
それにこれが終わっても、やることはまだ沢山だ。病院の患者達の釈放、および記憶
これも全て、国を増強させるため。
そのために少しくらい悦楽を感じたって、良いじゃねえか。
そう思いながら國義は、遂にすやり達の車に追いついた。
殺す。手っ取り早く。
拳銃を手にする。マガジンを外し、弾数を確認。充分だ。マガジンを戻し、今度は安全装置を外す。準備万端。國義はシートベルトを外し。
それと同時。
すやりの車が思い切りバックをし、國義の車のフロントに激突した。
「ぬぉあっ!?」
情けない声を上げた。エアバッグに無様に受け止められる。完全に油断していたために、一瞬何が起きたのか分からなかった。
だが、すぐに気を取り直す。
……殺す。
殺してやる。
國義は怒りのまま、拳銃でエアバッグを撃ち破り、前方が見えるようになる。
その時には既に、すやりの車は真っ直ぐ國義の方を向いていた。座席には、誰も座っていない。ただ感惑のPC――スパイプログラムの入ったPCが鎮座するのみ。
自動運転車の操作権を握るすやりは、思い切りアクセルを踏み込む。タイヤが若干空回りしていた。
その音に、國義は焦る。
このままでは殺される、と。
「っ、クソが!!」
シートベルトをする暇はない。ギアをバックに入れ、アクセルを踏む――だがその前に、すやりの車は國義の車に真っ直ぐ突っ込んだ。
エアバッグは既に自分で破壊してしまった――故に衝撃がそのまま伝わり、國義の頭は座席に打ち付けられる。どころか、ボンネットがひしゃげ、フロントに積んであったエンジンまでもが破壊され、國義の体ごと車体を押し潰す。
國義は、全く身動きが取れなくなった。
「……ク、ソ」
血反吐を吐く。なんとか手は動くので銃を構えようとするが、上手く照準が定まらない。頭もグラグラと揺れたまま。
脳震盪だ、と理解する。そう理解できるくらいには、國義の意識はハッキリしていた。
……このまま意識を失えた方が、彼にとってどんなに楽だったろうか。
だが、意識を失えなかった。故に、目の前の状況がよく分かる。
すやりの車が後退し、充分距離をとった上で、停止したのを。
そして、唸るようなエンジン音が響くのを。そのエンジン音はまるで、弱った獲物に唸る猛獣のように聞こえた。
そう、弱った獲物。
國義にはもう、抵抗して勝てる術などない。
――これが。
これこそが、國義の出題した『トロッコ問題』に対する、自律AI・音夢崎すやりの回答。
慈悲なき問いを出した、質問者を殺す。
「…………ろ」
國義は、恐れた。
目の前から向かい来る死を。
自らには降りかかるはずのないと思っていた結末を。
エンジンが唸る。再びタイヤが空回りする。
「……めろ」
数秒して、タイヤが地面を掴み、勢い良く走り始める。現在時速20km。
「やめろ、来るな――来るんじゃ、ねえ」
時速60km。
「来るな……」
時速100km。
「来るな」
そして――時速120km。
スピードは最高潮に達する。
「来るなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
激突。
途轍もない、轟音。
地上39mからの落下衝撃と同等の力でもって、2台の車は中身諸共、呆気なくスプラッタになった。
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