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【ったくもー! 痛いんだけどっ!】
すやりがブースカと文句を言う。銃弾を撃たれてもそれで済んでいるのならまあ……と少しだけ緊張がほどけた。
しかし、油断は一切できない。銃弾が窓ガラスを貫通し、頭をぶち抜かれたら終わりだ。
バックミラーを撃ち抜かれたため、後方をすぐに確認することはできないが、この車とは別のエンジン音が、後ろから迫ってきているのが聞こえる。
「すやり! もっとスピード上げれるか!?」
【山道なのに無茶言うねっ! でも、命令だもんね……!】
よーし、とすやりは意気込む。
【こうなりゃ、インターネットで得た峠攻めの知識、ここで存分に活かしてやるっ!】
「それ本当に大丈夫なのか! というかいつの間に!」
【暇な時間多かったからね! それに大丈夫だよ! やり方は調べてあるし、アニメでも出来てる描写があるし!】
「アニメは『出来ないことも出来る』って表現することが多いんだよ!」
しかし、その無茶ぶりを強いたのは、他でもない私だ。
だからこそ、託すしかない。人間の命を、AIに。
「……だが任せたぞ! すやり!」
【よーし! しっかり掴まっててよー!】
車の明かりのお蔭で辛うじて見通せる山道の直線を、すやりはアクセルを踏み抜き爆走。エンジンが重低音を響かせ、若干路の舗装が甘いのか、体が小刻みに揺れる。
背後からも、鋭いエンジン音。否応に、鼓動が早くなる。
そして――前方に、急カーブ注意の標識が見えた。ヘアピンカーブとまでは言えないが、速度を落とさねば確実に
「すやり!」
【おっけー! しっかり掴まっててよー!】
すやりはアクセルを踏んだまま、直進。
良心で設けられたガードレールが、前方に迫る。徐々に、徐々に近づき。
【今っ!】
右方向にハンドルを切る。同時に減速。
瞬間、慣性の法則で車体の後ろ側がスライドを始め、カーブの内側へ車体の前方が向いた。
そのタイミングを、すやりは逃さない。
【いっくよー!!】
アクセルを、再度全開!
ギャキキキキキ! と甲高い音を立て横滑りしながら、車は高速でカーブをやり過ごし。
カーブを曲がり切った後、ハンドルを少しずつ戻し、車体の傾きを直した。
ドリフト、成功。
およそ10年前には既に、自動運転でのドリフトが成功しているが、山道でやり遂げたのは彼女が史上初に違いない。……とても、公式記録には残せないが。
【うまくいったー!】
流石にこのドリフトは國義にはできないのか、後方の車を大きく引き離しているのを確認する。悔し気に銃を発砲するが、これだけ遠く離れていては当たるはずもない。
「……まさか、ネットの知識でうまくいくとは」
【やり方を丁寧に書いてくれたネット記事に感謝だねっ!】
「そのネット記事がなかったら、私たちは命を落としていたのか……」
――AIを含めた広義のプログラムというのは、人間の書いた説明そのままを忠実に実行する。だが、人間は説明をするときに、細かな指示を捨象しがちである。その細かな指示がなくとも、人間なら想像で補えてしまうからだ。
だが、プログラムはそうはいかない。AIともなればディープラーニングを進めればある程度は何とかなるものの、完璧な推察となると可能性はどうしても低くなる。だからこそ、過不足なく記述してある方が良いに決まっている。
その過不足ないドリフトの仕方が書かれた記事があったからこそ、すやりはドリフトをすることができた。誰だか存じ上げないが、ネット記事に感謝だ。
その後もすやりはドリフト走行を何度も決め、コースアウトすることなく無事に山道を脱出。目の前には、街灯のほとんどない暗い道がずうっと伸びていた。
【さてさて、電波も無事につながってきたし、病院にお電話だね~。応対は、感惑准教授にお任せしていいかな?】
「ああ、勿論」
すやりが最寄りの病院をすぐさま検索。電話をかけるところまではしてもらい、その後は私が状況説明をした――私自身が銃で肩を撃たれたこと、連れの女性が腕と指を折られていることを。あまりに異常な状況に病院側で悲鳴が聞こえたが、ありがたいことに受け入れてもらうことになった。
次に、ダメ元で警察にも同様の連絡を入れた。今私たちが相手にしているのは国家の機密組織であるが、そうであるからこそ一介の警察には知る由もないので、一時的な足止めになると考えたからだ。これもすぐに出動するということで事なきを得た。
【さっすが~、仕事早い!】
「運が良かったというのもある……さ。たらい回しにされることも、ある……からな」
【……感惑准教授?】
……。
ああ。
危機を切り抜けて安心したからだろうか。なんだか、瞼が重くなってきた。
血を、流しすぎたのかもしれない。
【し、しっかりして! 感惑准教授!】
「……大丈夫だ、そんな簡単に、死にはしないさ」
やるべきことが、まだ残っている。
それが終わるまでは、死んでも死にきれない。
だが正直、意識を保つのがやっとだ。
このまま距離を引き離し続けられれば、すやり1人でも大丈夫だろう。そう判断して、
ピリリリリリリリリリリ。
……私のスマホに、電話。
嫌な、予感がする。
このタイミング、しかもこんな夜遅くに電話してくる人間なんて、現時点で1人しかいない。
……電話に出た。
『随分とやってくれたじゃないの、感惑ゥ』
……紛れもなくそれは、國義の声だった。
「……やらなきゃ、やられるからな」
『ま、それもそうだ。しっかし、声に元気がねえなァ。どうした、
「……まだ、元気ピンピンだよ」
『嘘つけ』
下卑た笑い声を上げる。
『さーて。俺たちを散々コケにした罪は重いぞ、テメェら。配信もダミーだったし、アジトもハッキングされた後めちゃくちゃにされてもう使い物にならねえ。どうしてくれんだ。これで日本国はまた欧米諸国に
「後れをとるのは確かに悪いが」
だからと言って。
「他者の権利を犯し、踏み
『そのちっぽけな他者の命なんか、どうだっていうんだよ』
國義は、恐らく真顔で、そう返した。
『なあ感惑。俺たちにとっての敗北とは何だと思う?』
……いきなりの質問。
何が言いたいか分からないので、ひとまず答えることとする。
「……元の状態に戻ることが不可能なほどの大きな失敗、だと思う」
『良いセンいってんなあ。俺の定義も大分それに近い。だが大きな失敗ってのは、そんな個人レベルのちっぽけな話なんかじゃねえ』
国家だよ、と國義は答える。
『国家の死、喪失、消滅、占領――それが俺の思う『回復不能な大きな失敗』だ。日本という国家が死に、他国に占領されるか滅ぼされたが最後、俺たちは皆終わる。全てを
……何のために、今、そんな話をする?
意図が全く分からない。
『ソレでも、日本は復活を遂げてきたじゃないか――なんて反論もある。そいつらが指しているのは、占領からの自立とか、高度経済成長とか、まあ、そういうのだろう。だが、俺から言わせれば、あんなのはただの奇跡・偶然だ。皆、奇跡の記憶が根強く残ってて、『きっと国家の危機に陥ったって、どうにかなるさ』と思ってる。要は危機感が無さすぎるんだよ、どいつもこいつも』
「……政治の話でもしに、電話をかけてきたのか?」
『……そうだな。確かに俺は政治の話や主義主張を押し付けに来たわけじゃねえ。まとめに入ろうか――日本国民は平和ボケしすぎだ。奇跡が起きると信じて疑わない。でもそんな奇跡はもう2度と起きないだろう。だから俺は、奇跡ではなく必然にするため――日本という国家の消滅可能性を限りなくゼロにするために、国力を増強させようとしてるんだよ。そんな大きなことの前に、小さな100や200の命なんか知ったことか』
トロッコ問題って知ってるか。
國義は話を続ける。
『知ってるだろうな。自律AIなんかでもよく引き合いに出される話だしよ。俺はその問題に迷いなく、『5人の方ではなく、1人をブチ殺す』と回答するね。たとえその1人に、可愛い妻と愛する子供がいたとしても、その1人が明晰な頭脳を宿していたとて、1人を犠牲に多くを助けた方が有意義だ。ずば抜けた力量とか明晰な頭脳なんてのはな、後でどうにでもなるモンだ。質も大事だが、量を残しておかないと何かと不利になることも多い。それに質なんてのは、幾らでも高められるしな。後天的にも、先天的にも』
……クローン人間が言うと、何だか説得力のある話だった。
しかし――ああ、そうか、と私は改めて理解する。
端から、私とコイツは、分かり合えなどしないのだと。
『さて』
そして國義は。
電話口の向こうで。
あからさまに邪悪な笑みを浮かべてそうな声色で、言った。
『お前らは今、病院に向かっているな。救急科のある病院に』
「……」
嘘だろ。
行き先がバレてやがる。
「……根拠が、ないだろうが」
『虚勢を張るなよ、もう分かってんだ。……なあ、あのスパイプログラムに情報収集戦で負けたり、音夢崎すやりに一杯食わされたりとあったから、俺らを大したことない集団だと思い込んでねえか? だとしたらお前らも頭が平和ボケしてんな』
「……」
確かに、そうだった。
コイツらは情報に関しては並外れた、イカれた技能を持っている。人1人、生きた形跡をほとんどこの世から消せてしまうほどに。
國義は続けた。
『でな。俺はその病院のヤツらに『今から向かっている、銃痕のある男と腕と指の折れた女の治療をしろ』と言ってある。つまり、お前らはきちんと治療を受けて助かるってことだ。いや〜、俺ってば親切だろ?』
「……は?」
思わず、声を上げてしまった。何を言ってるのか意味が分からなかったのだ。
コイツ、一体何を考えてやがる?
『でな。俺は偶然にも、その病院の先生と仲が良くてな』
……私の頭の中に、嫌な想像が浮かぶ。それは、限りなく事実に近い想像。
数時間前、私の研究室へ國義たちが大挙して押し寄せた時。國義の周りにいた仲間は、大学の関係者たちだった。
1ヶ月前、カフェ・メロウに行った時。カフェにいたあらゆる人種の人が國義の仲間で、彼のたった一言の命令に
……もし。
今から向かう病院にも、國義の仲間が――『国力増強推進事務局』のメンバーが潜んでいたら?
ソイツは一体、何をする?
『俺の言うことに、ソイツは何でも従ってくれる。で、俺は頼んだんだ――
「っ!?」
『GPSってのは便利だよなあ、正確に位置が分かるんだからよ。ああちなみに、既に何人も死んでるぜ? 俺とこうして仲良くお話している間にもなァ! いやあ、あの阿鼻叫喚の地獄、お前らに今見せてやりたいところだ!』
「お前ええええっ!」
『そう怒るなって。もし怒りが抑えられなかったら、車を停めて俺のことをブン殴りに来てもいいんだぜ? ま、ブン殴られる前に、お前らのことは銃殺するけどな。無駄話もなく、無駄なく、可及的速やかに』
……この、野郎。
イカれてやがる!
『さあ! ここで問題だ!』
実に実に、愉しそうに。
國義は、問いを出題する。
『これは有名なトロッコ問題をオマージュしている問題だ! この問題の栄えある回答者は――音夢崎すやり、お前だ! お前に答えてもらうのが1番面白そうだと思ったんでァ、自律AIのアイドルちゃん! さあ問題だ!』
――お前は、どっちを助ける?
今車に乗せてる、満身創痍の哀れな2人か?
それとも、病院で人質になった、たくさんの哀れな患者たちか?
『ちなみに、感惑と燻離――お前らは、口出しを一切するな。GPSも切るな。その瞬間、患者は全員死ぬと思え。やったかどうかは、俺にはすぐ分かるからな――精々頑張って答えることだ!』
下卑た笑いを浮かべながら、國義は電話を切った。
『
『
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