18

「――プロジェクトはこれで凍結おしまいだ」

 私は話を続けた。すやりは、黙って私の話を聞き続けていた。

「それだけでなく、凍りついたそれを粉々にしさえした。克己は、もうプロジェクトを再始動させる気はなかった。それだけ、リツのあの姿に絶望したのだろう」

 身勝手な、とは思わなかった。それだけ彼にとっては絶望的な結果に映ったに違いないと、私には思えたから。

「それから克己は、初めに言った通り、責任を果たそうとした。そこで行ったのが、リツの被害に遭った人たちへの謝罪と被害への補填だ。例えば最初のあの会社員――名前は伏せるが、生放送の翌日から彼の勤める会社に抗議の電話が殺到するようになった。その数はおびただしかった様で、業務妨害になるレベルだった。当然、あの生放送があってから会社の人々からも距離を取られた様で、あらゆる意味で居づらくなった彼は、自己都合退職をせざるを得なくなった」

【まあでも、自業自得っちゃあ、自業自得だけども】

 すやりの言葉に、私は頷く。

「確かに自業自得だ。だが、あの男の受難はそれで終わらなかった。あの生放送での影響は、彼の転職活動にも影響した。たった数分ではあったものの相当な影響力があったのか、彼の悪評は結構な範囲まで伝播していて、明らかにそれが原因で面接を落とされたこともあったようだ」

 真偽の程は分からない――単に男の能力が低かった可能性もある。

 だが、確かにあの配信の影響はあっただろう。

「ネットで、あの男は暫く叩かれ続けた。リツのあの生放送はチャンネルごと消えたが、誰かがスクリーンショットや画面録画をしていたために、個人情報も全て晒されっぱなしになってしまった」

 いつの時代にも、隠れた場所で虎視眈々とゴシップを狙う者がいる。SNSの進歩によって承認欲求が肥え太った結果、そういう人の数は莫大に増えた――故に、あの会社員を叩く材料はごまんと揃っていた。

「そして、『あの男は悪人だ』という事実を免罪符に、今度はその男に誹謗中傷が飛んでいった」


死ね。子ども相手に大人げない。だっさw もう社会に出てくんなよ、このガイジ。██大学まで出て、なんでそんな常識が分かんねえかな? コイツ顔キモくね? 分かるw 犯人の相が出てる! 結婚歴もどーせないんだろ、特定班よろ 特定しますた!


 掲示板で、SNSで、家への電話で、メールで。あの男の元には日本各地からの悪口雑言が集結した。

「結果、男は完全に精神を病んでしまい、部屋に引き篭もる様になってしまった。首を吊ったりはしてない……らしいが、もう社会に戻るのは並大抵のことじゃないだろう、と病院には言われたそうだ」

【それは、ひどいね】

 すやりが言った。

【いや、他の人に酷いことをしたから、酷い目に遭うべきとは思うんだけどさ。何も関係ない人が寄ってたかって叩いたり、その結果仕事にも出られないくらいダメージを負ったりしたらさ、それはそれで、イーブンじゃないよね】

「……まあ、それもある」

 自律AIらしい発言だ、とは思いつつ、概ね賛同する。自業自得とは言え、やり過ぎ感は否めない。大体、当事者でない者が当事者の顔をして人を叩きのめすなど、本来はおかしな話だ。

 だがこれは、現代世界ではよくあることだろう。現実の厳しさに揉まれ、しかし自ら状況を変えに行く勇気のない者達は、匿名性という仮面をかぶり、ネットの海を揺蕩たゆたい、常にストレス発散の対象を求めている。そして格好の対象がいれば、こぞって拳を振るい叩きのめし、消えてしまったら無責任に手を合わせる。そうして『悪人』を何人も何人も、ネットの海の底へと沈めてゆく。

 いつだって、日本人に限らず、大衆というのはそういうものだ。

「私は、慈愛リツを作ったことで、そういう風に他人の人生を狂わせてしまった。会社員はまだ生きていて、克己の会社の支援で少しずつ更生できているようだが、中には自殺までしてしまったものがいた――今でも、思い出すよ。家を訪れた時に、遺族の方に言われた言葉を」


ウチの息子は! あんたらのせいで死んだんだ! リビングで! これ見よがしに! 首を吊って! あんたらが、ウチの息子を殺したんだ! 息子を、返せ! 返せよぉ……っ! この、人殺しぃっ!


 あの配信の被害者の家を訪れてすぐに、被害者の親に殴られ、泣きながらそう言われた。この言葉も、今も頭の中に残っている。

「声を上げられずに、ただただ誹謗中傷を受けて傷つき続ける人たちは、この世にいる。その人たちのことは、きちんと救ってやらなきゃならない。でも、だからと言って、そういう人たちを不当な力で捩じ伏せたり、リンチにしていい理由にはならない」

【……もしかしてさ、感惑准教授】

 すやりが、尋ねてきた。

【スパイプログラム、私の中に入れたくなかったりする?】

 私の核心に、迫る様な質問で。

 ……度肝を抜かれたが、嘘をつく必要は無いと思って、素直に頷いた。すやりは、【そっか】と答えて、それからこう言った。

【優しいんだね】

「……優しいわけじゃ、ないさ。ただ弱いだけだ。だからこそ、間違えたんだ」

 優しい人間は強い。私はそう思っている。力や富があればこそ、他人に優しくできる余裕があると考えているからだ。

 私はそんなに強くない。弱い。

 弱いからこそ。

 慈愛リツを人間同然に思っていたのに、克己の決定に反対できず、そのまま自ら手にかけ。

 肥やしになるのが怖くて、國義くによしの考えに従い。

 ここまでのことがあっても尚、結局私は、燻離くゆり学生に押し負けて、目の前の音夢崎ねむざきすやりを開発している。

 このままでは、スパイプログラムを入れないと思っていても、いずれは入れてしまうのだろう――という予感めいたものさえ感じる。

【あのさ、ここまで聞いておいて、すっごく疑問に思ったことがあるんだけど。2つ】

「もう何でも訊いてくれ」

 ここまでせきを切ったように話してしまったからか、いっそのこと全て吐き出してしまおうとさえ思っていた。そんな私に、すやりは尋ねる。

【今も、慈愛リツのこと――いや、自律AIのこと、怖い?】

「…………」

 返答に困ったが。

 正直に答えることにした。

「……怖い、な。正直、自律AIを舐めていた。あそこまで自身の判断で、人間みたいに振る舞うとは、思ってもみなかったんだ。だから、何をしでかすか分からなくて、怖い」

 AIの思考回路はブラックボックス。私は今、それを実感している。

 故にたったのあの1件で、私は自律AIが怖くなった。

 自分で作っておいて、身勝手で、情けない。

 それでも、これが本心だった。

 だから、もう作りたくなどなかったのだ。自律AIなんて。

【そっか……んー、2つって言ったけど、ゴメン、質問3つに変更】

 茶目っ気たっぷりに舌を出すすやり。私は頷いて質問を促す。

【じゃ、質問2つ目。私のことも、怖い?】

「………………」

 もっと答えづらい質問をしてきやがった。

 しかも、本心を晒すのが躊躇われるとかそういう次元ではなく、そもそも答えを出すのが難しい。

 ……果たして私は、音夢崎すやりのことが、怖いのだろうか? 

 彼女を作るにあたって、必要以上に彼女との接触の機会を持たないのは、情を移さないためではなく、怖いからなのか?

 ……。

「……分からない、が答えだな」

【おっけー。じゃあ、3つ目】

 すやりは、全く別の角度の質問をしてきた。


【克己さんって、今、どこにいるの? 今回の私を作るプロジェクトには、参画してないの?】


 いや、それどころかさ、とすやりは続ける。

【何ていうのかな。私ができ得る範囲で調べてみたんだけどさ。AA=株式会社とか、社長の留影克己の名前とか、クラファンとか、慈愛リツの配信とか。そういう情報が、ネット上で

 更には。

【慈愛リツの配信をダシに誹謗中傷者を攻撃した、って話だったよね。? なんか、、投獄されたことになってるんだけど】

「……それは、本当だ」

 最初の会社員は横領で逮捕されているし、他の人も窃盗とか殺人とか、そういう何の関係もないはずの罪で捕まってる。

 そう。

 のだ。

 何故なら、AA=株式会社や、慈愛リツや、留影克己という存在が――そういう存在があったという記録そのものが、だったからだ。だから、そういう存在に辿り着きそうな事実は、片端から歪曲され抹消されている。

【そんなこと、できるわけ?】

「……できるんだよ」

 アイツらには――







ピリリリリリリリリリリ。


 スマートフォンが鳴る。電話をとると、『国力増強推進事務局』の長――國義の声が聞こえた。

 そう、彼らだ。

 彼らが、やり遂げた。

『進捗はどうだい?』

「……いつでも行けるくらいには」

『よし。なら今日の深夜1時頃、大学前に迎えに行くよ』

 迎えに行く?

 珍しいこともあるものだ、と思っていると、私の怪訝を察したのか、國義が続ける。

『ここまで協力してくれたんだ。折角なら、我々のに招待しようと思っててさ。そこで研究成果発表と洒落込もう。どうだい?』

「……ああ」

 私は、頷くしかなかった。逆らうことなんて、できるはずがない。

『よかった。それじゃ、楽しみにしてるよ』

 そうして國義は電話を切った。

 今の時刻は15時。この後の大学での予定もないので、深夜の研究発表に備えて、仮眠でも取ることにしよう。

「すまない、今日は寝させて貰う」

【うん、分かった。お話、ありがとね!】

「……つまらなかっただろう」

【面白がる話ではなかったけど、話してくれて嬉しかった!】

 ……凄いな、と感心した。

 ここまで人間の感情を読み取って会話できるのであれば、さぞ良いアイドルになることだろう。

 私はそう思った。

 だから尚更、スパイプログラムなんて入れることはできないな――と思い直す。

「じゃあ、切るぞ。あと、夜は立ち上がるなよ――その瞬間、アイツに消されるかもしれないからな」

【うん。――ねえ、感惑准教授】

 プログラムをシャットダウンしようとすると、すやりが尋ねてきた。

 何だ、と返すと、すやりは。

 笑顔を浮かべて、高らかに宣言する。


【私、きっと、あなたも笑顔にしてみせる!】


「……それは、アイドルとして頼もしい申し出だ。ぜひとも、楽しみにしてるよ」

 私は今、自分がどんな表情をしているか、分からなかった。

 分からないまま、すやりをシャットダウンし、研究室のソファに体を横たえる。

 久々に疲れていたのか、次に目が覚める夜中になるまで、私の記憶はない。

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