Schubert: Symphony No.5 D485

 クナスブチ商爵家次期当主デュモルのデビュタント・コンサートは予定通り、クナスブチ屋敷のホールで開催される。私が作成した原稿をデュモルが読み終わったら、クナスブチ商会が取り扱うアキエタニア発祥の新しいお菓子の披露目を挟んで、次は私とSWPOの出番だ。


 このシューベルトの『交響曲第五番』に対するリリーちゃんのコメントは気に入ったよ。「いい意味で無個性無主張」、そして「私の今までのイメージと合致してる」。まさしくその通りじゃないか。アリアとして転生してからそれなりの時間が経ったけど、私はまだ完璧に適応している自信がない。まだまだ本当の自分をさらけ出すには早い。それで私はこの前にやったベートーヴェンの『交響曲第八番』のように、譜面に忠実で自我を出さずにやり通すつもり。それにデビュタントの場である以上、今日の主役は私じゃない。だからこのやり方が正しいだろう。


 『第五番』はシューベルトの交響曲の中では、演奏される機会の多さと言えばおそらく『未完成交響曲(D759)』<*1>と『ハ長調交響曲(D944)』<*1>に続くの三番目。私がこの世界に来てからやった曲、場合が特殊のサン=サーンスの『交響曲第三番』を除けば、モーツァルトの『第39番』とベートーヴェンの『第八番』はどっちも古典時期終盤からロマン時期序盤の過渡期の作品だ。シューベルトの『第五番』もそう。基本的に古典時期の、ハイドンやモーツァルトの交響曲のようにできている。しかし一方でベートーヴェンの影響も見受けられる。第三楽章はメヌエットと題しているが、その実態はほぼスケルツォだ。そう、ベートーヴェンの『第一番』でもそんな感じだ。まぁ私のイメージではシューベルトの作品は時期によって様々の影響を受けるから。ベートーヴェンから受けた影響だけでも複数の時期に分けられるくらいだ。


 第一楽章は木管だけの柔らかい長音から始まる。『第五番』ではクラリネットを使わないので、この木管のハーモニーはいつものより若干温和になってるような気がする。トランペットもトロンボーンもティンパニも使わないから、編成ではまさにモーツァルト時代のように。長音の後は生き生きと入ってくる第一バイオリンがメロディを担当するが、ここは音量バランスに少し気を使う必要がある。背景の第二バイオリンとヴィオラ、そしてオウムのように主題を繰り返すチェロもいるのに、第一バイオリンへの音量指示は他の楽器と同じくピアニッシモ(非常に弱く)。本当にそのままやるとメロディが飲み込まれちゃうので実際はもう少し強めにやってもらう。


 この時期までの作品は、音量指示が結構大雑把なところがある。この場面は勢いよくにやって、とフォルテ(強く)にすると全楽器のパートに同じフォルテが記入される。それからだんだん作曲者がもっと明確に自分のイメージを具現化するために細かく指示を出すようになる。例えば、ここは大音量で行きたいからフォルテを弦楽のパートに書く。でも同時に背景を構成する木管は強くやり過ぎるとバランスが悪いなぁと思うのでメゾフォルテ(やや強め)と書く。だからこの『第五番』をやるときは指揮者のさじ加減で音量バランスを調整する必要がある。一方でそれを逆手に自分の解釈を入れて、曲を様々の違う姿に仕上げることもできる。私にとって印象深いの『第五番』の録音なら、マゼールのパフォーマンスは色彩豊かで艶やか。ケンペなら澄み通る音色が非常に心地良い。こんな風に指揮者が自分のパレットで色を作れるのが楽しいよね。


 歌うように麗しげな第二主題だが、明るくて活動的な一面もある。でもそれは第一主題にも当てはまる。両者の間に鮮明な性格の対立が見られない。だんだん勢いが強まり、クライマックスのあとは雲行きが怪しくなるところで第一主題に回帰して提示部は終わり。一度最初から繰り返したら展開部に。


 展開部は先に第一主題、後に第二主題を投入する、シューベルトらしい単純な作り。第二主題が使われたのは最初の三つの音だけだから、集中して聴かないと気づかないかもしれない。それからの再現部はよく注目されるところだ。普通なら第一主題は最初と同じ調性で登場するが、ここでは下属調になってる。基本的に古典時期の作風を踏襲するシューベルトだが、こと調性の転換に関しては独自の見解がある。こういう掟破りの一面も彼の魅力の一つなのね。


 第二楽章は優美な低速楽章。大人しい、穏やかな主部(A)と、瞑想的、なにかに希望を託すような中間部(B)で構成されるA-B-A-B-Aのロンド形式。二回目の主部の最後が憂鬱な短調に変化するところが、なんというか……こんな感じで予想外の場所で短調になるのはすごくシューベルトらしいと思う。例えば『ピアノ二重奏曲(D812)』の第一楽章再現部。第二主題がまさかハ長調ではなくハ短調を基盤で構成するなんて。初めて聴いたときの私がぞっとした。「いつ、どこで爆発するかわからない心の闇」のような感じがしたから。そう言えばこの世界ではシューマンがシューベルトの住所で『ハ長調交響曲(D944)』を発見したとき、かなりやばい感じのメンヘラ日記も見つけた。地球ではシューベルトは貧乏ながらも楽天的な生活を送ってきたと言われているが……私はこの世界の、人知れずに闇を抱えてたほうがしっくりくるね。


 一般的な低速楽章と比べると、この第二楽章の各楽器の運用はかなりカツカツな感じになってる。総譜を見ればわかると思う。ロマン時期以降の低速楽章は譜面がスカスカになることが多い。トロンボーンなど小回りがきかない楽器なら全然出番がないこともある。でもこの『第五番』の第二楽章は音符の密度が非常に高い。8小節以上の休止はどの楽器にもほぼない。まぁホーン以外の金管も打楽器もないから、自然にこうなる感じはあるけど……同じ時期や前の時代の作品と比べても明らかに密度が高いね。各楽器に平等に出番を用意したみたいな感じだね。


 第三楽章の題名はメヌエットと書いてあるけど、どっちかと言えばスケルツォだと思う。演奏指示はアレグロ・モルト(非常に早く)と来た。fpとfzといった、一瞬だけ強くする音量指示を連発するのもスケルツォっぽい。でも曲の大枠から見ると、すべての段落が一度繰り返しの仕方など、古典なメヌエットっぽいところもある。この時期は転換期だから両方の特徴を同時に持つハイブリッド型の作品が多いね。


 この第三楽章をモーツァルトの『交響曲第40番』の第三楽章と似ている部分がある。そっちは純粋なメヌエットで双方の性格はかなり違うけど……調性は同じ、編成も一致してる。主部の暗い雰囲気も同じ。でもそれ以上に特徴的な共通点は、どっちも下行の半音階をはっきりと使った。この時代ではまだコモンな試みではないよね。


 ソナタ形式の第四楽章だが、第一楽章と同じに、第一と第二主題の間に鮮明な性格対立がない。楽しくて活発な二つの主題を繋げる推移部はかなり攻撃的な性格、場をかき回して橋渡しの役割を果たす。小節最初の二つの音がスラー(途切れさせずに)、最後の二つの音がスタッカート(切り離して)となる軽やかなモチーフは第一主題だけでなく、第二主題でも使われる。とにかくこのモチーフは第四楽章のどこにでも現れる。後は第二主題の最後にある、羽根がゆっくりと落ちてくるような三連符の連続もすごく印象に残る。


 提示部を一度繰り返して、展開部に入る……と言いたいところだけど、正直これが展開部なのかはかなり判断に迷う。第一楽章の展開部以上にシンプル、しかも二つの主題とも関係が希薄。かなり自由に書いたんだね。再現部に繰り返しこそないが、最後に盛大なコーダがなくそのまま終わるのは、なんとも古典時期のやり方っぽい……というか、繰り返しを入れると完全に私がやったモーツァルトの『第39番』の第四楽章みたいになるのね。


 演奏が終わり、カーテンコールの時間はデュモルと一緒に観客に答礼……こうして私の初依頼は無事完遂した。



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<*1>シューベルトの後期の交響曲の番号は様々の事情があって非常にややこしいです。誤解を招くことがないようには、この表記の方がわかりやすいじゃないかと思います。『ハ長調交響曲(D944)』はシューマンが1839年に発見しました。『未完成交響曲(D759)』のほうは未完成のままお蔵入りして1865年になってようやく初演されました。この二曲の作曲時期と世に出された順番が逆になっている、そしてD759は未完成のため、どっちの番号が先かは人によって変わります。更に事態をややこしくさせるのは未完成ではあるが一応最後の終止線が引かれた『ホ長調交響曲(D729)』と、手紙の中にしか痕跡がない幻の曲『グムンデン=ガスタイン交響曲』の存在です。それでシューベルトの『交響曲第七番』と言えば該当候補は3つもあるという悪夢のような混乱を生み出しました。

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