音楽評論誌『王都カランカオーの風に乗せて』154号(4月22日刊行)

(ヘッドラインニュース)


『咲き返る公爵令嬢!逆襲の金星、ザロメア劇場に降臨!』


 先週のデビュタント・コンサートで残念な結果を残したが、モラウーヴァ公爵家の令嬢エリュシカ・カレンデムさまは予想よりも早くステージに復帰しました。本誌のインタービューによると、雪辱に燃えるエリカさまは自らNZTOのスケジュール変更に要望を出したらしいです。しかもそれを「リベンジコンサート」だと公言して、先週の失敗を取り戻すことに強く意識しています。


 前半のプログラムはチャイコフスキーの『交響曲第四番』。曲の中で鮮明に描かれる光と影の二面性をエリカさまが完璧に表現できました。デビュタントの時のように途中で乱れることなく、ちゃんと制御を保ちました。そしてNZTOの長所である個人技術を十分に活かせて、非常にダイナミックでインパクトのあるパフォーマンスになりました。


 後半は同じくチャイコフスキーの『フランチェスカ・ダ・リミニ』です。交響詩の中でも濃厚で劇的な一面が強いと知られているこの曲を選び、しかも意図的に後半に配置したことは意外でした。エリカさまとNZTOの華麗なコンビによって、もともとインパクトが強い作品がより一層華やかに演奏されました。


 ステージの後エリカさまへのインタービューで、「自分が観客に伝えたい事をこの一曲に凝縮させた」と話しました。しかもそれは曲の違う箇所に仕込んで、「励ましてくれた一番の友へ」と「謂れのない言葉を向けた不届き者へ」、両方それぞれに届けることができました。本人はとても満足したご様子です。ちなみに、カーテンコールではエリカさまがその「一番の友」であるアリアさまに笑顔を向けて大きく手を振る様子が見られました。


 初手の失敗によってエリカさまの地位が不安定になると予想されましたが、すぐにその懸念が取り除かれました。これからはアリアさまとともに、我が国を代表する新鋭として活躍することが期待されるでしょう。



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(どうしても反論から入りたがる、ケセミネウスの理詰めコーナー)


 僕は所用でアキエタニアに行ったので、エリカ氏のデビュタントの場に居合わせることができなかった。今になってそれが残念でならない。これほどに話題になった逆転劇なのに、僕にだけそれが実感できない。嘆いても仕方ないので僕なりにこのステージで体験したことを述べよう。


 実を言うと、エリカ氏がリベンジコンサートに選んだ曲目はどちらも僕の好みから外れる。陰鬱だし、感情的すぎるし、何より何度も同じフレーズが繰り返される所が好きじゃない。そのせいで無駄に長くなりすぎたとさえ思ったことがある。しかしエリカ氏はあまり冗長と感じさせずにうまく捌けた。音量の繊細なコントロール、適度な速度変化でメリハリをつけるなど、様々な工夫が見られた。特に音色に対する強いこだわりを感じ取れた……いや、個人技術が高いNZTOの優位性を思う存分に発揮させた、というべきか。第一楽章のホーン、第二楽章のオーボエ、後半のフルートなどがすごかった。第三楽章の中間部で3つのパートに分ける所も鮮やかだった。


 『第四番』の方もすごく良かったが、今夜の『フランチェスカ・ダ・リミニ』は、僕がこれまで観た中での一番の出来だと言っても過言ではない……というより、僕の認識を正してくれた。そもそも演奏される機会がそう多くないし、僕の先入観もあって、今まで分析できるほど観たわけでもない。譜面で見た時、中間部の後半何故テーマをそんなに繰り返すのがわからなかったが、エリカ氏の演奏を観てやっと理解した。うまく処理すれば、フレーズが重なってどんどん高まるようになる。違う方向から来た波が重なり合う尖帽波<*1>のように。いやー、何故今まで気づかなかったのが不思議なくらいに単純だったな。ははは。本当に、音楽は奥深い。そして食わず嫌いは良くない。


 もう一つ僕の推測があるけど、NZTOが劇場オーケストラということも、ここまでドラマチックに仕上げることが出来たじゃないかと考えている。しかし前にWRTOのステージを観た時は別にそういう感じはしなかった……やはり僕の考えすぎか。



<*1>この世界の言葉。三角波のことです。



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(王立学院音楽科主任クノービネのまるでやる気を感じない適当コーナー)


 あれほど大きな失敗の直後に、エリュシカ様がすぐに巻き返しを図るのに驚きました。危ういとも思いましたが、無事再起できたことに誠に嬉しく思います。


 デビュタントでも公言されたし、エリュシカ様が好きな作曲家はブルックナーというのはよく知られている話だと思いますが、実はチャイコフスキーも相当気に入ってるのがご存知じゃない方が多いではないでしょうか。エリュシカ様は学院オーケストラと練習する時もよく『ロメオとジュリエット』や、『白鳥の湖』の抜粋をやります。『フランチェスカ・ダ・リミニ』を練習するのは見たことがないが、きっとお好きなんでしょうね。先週は好きな曲を選んで失敗しましたが、結局は好きな曲で立て直しました。そう思うと非常に感慨深いです。やはり音楽の勉強と精進にはモチベーションが大切ということですね。


 ともかく、エリュシカ様が挫折に屈することなく、立ち直ったことに誇りに思います。



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(常に上から目線、些細なミスでも容赦なく叩く、ビュリーアールの辛口コーナー)


 いやー、爽快だったな。一週間の内にここまで評価が変わるとは。実に面白かった。これだから音楽評論の仕事を辞められない。鬼気迫るとも言える気合の入ったパフォーマンス、先週のエリカ嬢とはまるで別人のようだ。一体どうやってあんな短期間で立ち直ったのか、非常に興味深い。アリア嬢の応援と助言に助けられたと、インタービューではそう言っているらしいが、自分はエリカ嬢が友の厚意に甘んじんているなど厳しく言うつもりはない。己を見失った先週とは明らかに覚悟が違うから。吹っ切れたのようにも見える。もしかしたら、デビュタントの失敗は今後エリカ嬢が更に上の段階に行くために不可欠な部品の一つ何じゃないか、とさえ考えるようになった。


 エリカ嬢はまだ二回目のステージ、NZTOの体質問題も直ぐに改善できるようなものではないから、勿論今夜のパフォーマンスにも雑な所はあるが、それを全く気にならないほど素晴らしいステージだった。このシチュエーションに感情豊かなチャイコフスキーを選んだのも絶妙な采配だ。それで演奏者の感情が音楽に乗せてはっきりと感じ取れる特別なステージになった。『交響曲第四番』では実力を発揮できなかった悔しさ、そして一週間の間どうやって耐え難い苦痛と向き合えたかが垣間見えた。『フランチェスカ・ダ・リミニ』になると今度は親友への感謝と愛情、そして評論家の批判に対する怒りと殺意……そう、殺意だ。それほどまでに強烈な感情が、あの曲の最後に確かにあった。まるで喉元にナイフを突きつけられるような気分だった。こんな自分でさえ少しは恐怖を覚えた。きっと、悪口を沢山書いた我々に地獄を見せてやりたいから、この曲を選んだに違いない。


 演奏者たちに非の打ち所がないので、今回は別の相手を叩こう。カーテンコールの時、顔色が悪い腑抜けどもがちらほらいたのを見かけた。さもありなん。あんな軽い覚悟で音楽評論の真似事をやってるからこうなるんだ。好き勝手に批判したからには、その殺意とも言える強烈な感情を受け止める義務がある。そんな事も理解していないなら手を出すべきではなかったな。


 自分は前回の発言を撤回するつもりも謝罪するつもりもないが、代わりに今夜のエリカ嬢に最上級の賞賛を送ろう。

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