NO.5-3 それは、誰も気づいてくれない悲しみの運命

 少し時間を開けて、三日後私は改めてカレンデム家の王都屋敷に。


「先日は、大変お見苦しいところを見せして……本当にすみません」


 あのときの自分を思い出して、恥ずかしそうに顔を紅潮させるエリカ。からかってやりたいけど、今はしない。エリカが完全に立ち直るまでお預けね。


「気にしなくていいですよ。あんな大変な状況では誰でもそうなると思います」


「……あんなみっともない姿を晒すわたくしでも、アリアは励ましてくれました。本当にありがとうございます」


 エリカにこんなまっすぐに感謝されるとなんかくすぐったいので、私は誤魔化しながら本題を切り出す。


「そんなの、気にしなくていいですよ。それより、次のステージはいつにするつもりですか?」


「またそれですね……どうしてそんなに急がせるのですか」


「そりゃ、ねぇ……早いとこ前回の失敗を上書きしないといけないでしょう?」


 ここでもエリカの家の力が役に立つ。普通の平民なら自分で次のチャンスを作るなんてできない。前世の私の場合、あの最悪のコンクールの後、次のチャンスが来るまで半年も待たないといけなかったよ。


「はぁ……仰ることは理解していますが、今のわたくし……本当にできますの?恥の上塗りになりかねませんよ」


「当然です。私はエリカさんの力をよく知っていますから」


 私の真意を探るような目で見つめられると、恥ずかしくて思わず目をそらしたくなるが、ここが正念場だ。エリカに私の本気を示さなきゃ。


「……そう仰ってくれるのはとても嬉しく思いますが、今は何をやればいいのか思いつきません。これならば、という着想がないと言いますか、うまくいくヴィジョンが見えないと言いますか……」


 まぁ、そんなところじゃないかと思ったよ。だから今の自信喪失気味のエリカにちょうどいいアイディアを持ち込んだ。


「それなら、これをやってみるのはいかがでしょうか。今のエリカさんの心境にぴったりな曲だと思います」


 ここに持参した総譜をエリカに渡す。他にも関連資料をいっぱい用意したが、それはどこまで必要なのかを見極めてから出すのがいいだろう。


「チャイコフスキー、ですか。なんと言いますか……感情が剥き出しになることが多いから、わたくしはあまり好きじゃないのですわ」


 えっ、そんなバカな。悲恋話が大好物なエリカはチャイコフスキーの『ロメオとジュリエット』などがすごく気に入ってるはず。学院オーケストラの稽古でもそれを何度もやったし……交響詩で感情的になってもいいけど、交響曲ならダメだって言いたいの?……あっ、はいはい、あれね。例の高位貴族の処世の心得ってやつね。めんどくさー。


「まぁまぁ、そんなことを言わずに。この曲はどういう趣旨で書かれたのかを考えると、これを選んだ理由がわかると思いますよ」


「まさかそんなことを、譜面に書かれていないことに見向きもしなかったアリアさんに言われるとは……でも、んー……心当たりがないですわ。アリアさんは一体何を仰いたいのですか?」


 あれ?まさか、わかんないの?この『交響曲第四番』には作曲者本人による、非常に詳細な解説が残っている。それでエリカも今の自分の状況にぴったりだとすぐに理解してくれると思ったが……あっ、そうか。この世界は地球のように情報の伝達が発達しているわけではないから。ウェンディマールではまだその話が伝えてきてないかもしれないね。


「なるほど、エリカさんはご存知じゃないのですね。なら私が解説いたしましょう。チャイコフスキーがパトロンのメック夫人への手紙の中で、この曲についてとても詳しく説明してくれましてね……」


 ここは用意した資料の出番だね。チャイコフスキー本人による『第四番』への解説は地球ではとても有名な話だから、エリカがなにも知らないのは想定外だが、足りない部分を私が補足説明すれば問題ないだろう。


「そう、ですか……なるほど。確かにこれは、今のわたくしの置かれている状況に似ているところはありますね。しかしこんな話、わたくしこれまで一度も聞いたことがないのに、アリアさんは一体どうやって知りましたの?」


「まぁ……この前話した、心境の変化ってやつですね。あれから色々調べ物をする過程でこの話を知りました」


「……どうして、アリアさんはわたくしにここまで親切になれるのですか?わたくしがいないほうが都合がいい……そう考えたことがないのですか?」


 音楽の世界でも、他人を蹴落とすのが一番手っ取り早い。求めるのが地位、名声と金銭なら、たしかにそれは有効な手段。でも邪魔者が消えたところで、別に自分の演奏の腕が上がるわけじゃないし、曲に対する認識が深まるわけでもない。より良いパーフォーマンスを目指すならそんな手段はなんの役にも立たない。だからそんな非生産的なやり方、私は大嫌い。しかしこの世界は綺麗事ばかりじゃないのも知っている。毎年有望な若者がたくさん卒業して業界に入るのに、ポストは有限。まずは活躍できる舞台に上がらないとなにも始まらない。


 例えば、もし私が今NZTOのポストに近いところにいる、そして生活切羽詰まっているなら……私でも悪魔の誘惑に負けるかもしれない。エリカを励まず、逆に手酷く裏切れば、彼女の心にさらなるダメージを与えて再起不能させることも可能だろう。「スキを見せたほうが悪いんだ……こっちはもう手段を選ぶ場合じゃない。エリカには悪いけどこのまま消えてもらう……」って感じで。でも今のアリアはどうなの?SWPOのアシスタント指揮者の地位は安泰。駆け出しとしては順調に前に進んでいる。別に現状に満足しているというわけではないが、自分の魂を売る必要性は全く感じない。それくらいの余裕はある。


「エリカさんは、いつもそう言っているのではありませんか。『どこまでも競い合いましょう』、って」


「えっ?でもそれは、ただわたくしがそうなりたいと勝手に思っているだけ……わたくしがそれを言うと、アリアさんはいつも微妙な反応を示すのではありませんか」


「あ、あはは……微妙な反応、というか……そんなこと真正面から言われると、すごく恥ずかしい、というか……」


「……つまり、本当はアリアさんも同じ思いを抱いてる、と言うことですね?」


「……うん、まぁね」


 視線を落として頭を掻く私を見て、意気消沈しているはずのエリカが急に上機嫌になって、満面の笑みを浮かべる。


「わかりました!アリアさんの提案通りにしますわ!そうと決まれば、他の曲目も考えないとね……そういえば、同じくチャイコフスキーの作品で、この『交響曲第四番』とほぼ同じ時期にちょうどいいのがあるような気が……あった!これですわ!」


 エリカが本棚から取り出した楽譜のタイトルを確認したら……鏡を見なくても、自分の顔が引きずってるのがわかる。


「エリカさんは、どうして……その曲をやりたいと思うのですか?」


「あら、アリアさんなら、わたくしがこの曲を選んだ意図くらいわかると思いますが」


 んー……まぁ、なんとなくわかるけどね。


「……エリカさんはさぁ……もしかして、怒ってます?」


「逆に聞きますが、仮にアリアさんがあんな風に好き勝手に書かれたら、怒らないでいられる自信がありますか?」


 あっ、読んだのね、あの胸糞悪い音楽評論誌。そっか。それなら、もう誰にもエリカを止められないよね。


「気持ちはわかりますけど、その……ほどほどに、ね」


 多分来週あたりで開催するだろう、エリカのリベンジコンサート。大変なことになりそう……怒っていると言うより、静かに燃えているエリカを見て、私は嵐の到来を予感する。



~~~~~~

この回のタイトルは話を読むだけでは意味がわからないかもしれませんが、例の『交響曲第四番』に関係することです。チャイコフスキー本人による解説がご存知じゃない方でも大丈夫。次の楽曲パートに出ますので。

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