NO.5-2 NZTOの裏話

 騒がしい二人の後輩は放置して、エリカのお母さんに別れを告げて帰り道に。今日はシャルカちゃんも連れてきてないから、貴重な一人の時間。一応貴族の娘の私が独り歩きして大丈夫なの、と思われるかもしれないが、ここ王都カランカオーは治安が良いからたまに他の家の令嬢も一人で出歩くのを見かける。護身用の首飾り型魔道具もつけてるし安心……じゃないかも。この魔道具が作動したらいったい何が起きるか、何故か誰も教えてくれない。なんか怖い。


(思えばこの世界に来てからずっと忙しくて、まだゆっくり休んだ日がないね……そろそろ昼だし、どこかでごはんを食べて、その後は商業区画でウィンドウショッピングがいいかも……)


 そんなことを考えながら歩くと、ザロメア劇場の壮麗な入場ゲートが目に入った。昨日エリカはここで躓いたから、やっぱり挽回するにもここで立ち直るしかないよね。


 そんなときゲートの向こうから懐かしい声が聞こえる。


「ってお嬢じゃねぇか。こんなところで会うなんて奇遇だな」


「……奇遇って、ここはあなたの職場なんでしょう?それと、そんな裏社会のボスの娘みたいな呼び方で私を呼ぶのはいい加減やめてください」


「えー?お嬢は、お嬢だろう?お嬢のことを、お嬢って呼ばないとなんと呼べば……」


「……わかったから、お嬢お嬢って連呼しないでください。もう……」


 劇場のゲートで遭遇したのはツェルムンド楽爵。37歳独身、いつもこんな風にふざけている、パッとしないおっさんだけど、これでも腕が立つバイオリニスト。今はNZTOの第二バイオリン首席だが、昔はSWPOの第二バイオリン首席。この前のお父様が復帰した、私がベートーヴェンの『第八番』をやったコンサートでは、協奏曲のソリストとしてツェルムンドさんを招いた。理由はお父様曰く「万が一俺の体調が崩れて急に中止になってもよそに迷惑をかけない」。その言葉からわかるように、ツェルムンドさんたちは移籍したけど今でもSWPOの身内扱い。


 新ザロメア劇場オーケストラことNZTOは成立してまだ三年目の新しい楽団。前のザロメア劇場が破産したとき最終的にモラウーヴァ公爵が劇場の新しいオーナーになったが、ゴタゴタしたせいで旧劇場オーケストラは解散、劇場の運営が不可能になった。後にエリカが指揮者になりたいことを知って、公爵はザロメア劇場を再建して劇場オーケストラを孫娘に使わせると決めた。それも最初からエリート中のエリートで構成する楽団を目指す。やるからには高みを目指さないと、の精神だね。初期団員はほうぼうからヘッドハンティングして最高の人材を集める。うちのSWPOからもツェルムンドさんたちが公爵の頼みで移籍した。そういう経緯だから、自ら進んで移籍したわけじゃない彼らは今でもSWPOの一員扱い。


「お嬢がここにいるってことは、もしかしてエリカの嬢ちゃんを会いに?」


「まぁ、さっき会ってきましたよ」


「そうか。嬢ちゃんの様子は……あっ、いや、言わなくていい。お嬢の顔を見てもうわかった」


「相変わらず察しが早くて助かります」


「まぁね。そうだな……この後時間あるか?どっかで昼飯いっしょにしても?」


「いいですよ」


 ツェルムンドさんもエリカのことで相談したいよね。私もちょうどその話がしたいし。これで団員の目線から今回の件をどう見ているのかを知ることができるね。


「よっしゃ。じゃクリスちゃんを呼んでくるから、お嬢はここで少し待ってくれ」


「サージルくんは呼ばないの?仲間外れ?」


 三年前SWPOから引き抜かれたのは三人。ツェルムンドさん、クリスティーネさん、そしてトロンボーン首席のサージルくん。


「あいつ今いないぜ。あいつのじいちゃんが倒れたから、今はワルマイヤに帰省中」


「あっ、それで昨日のステージもいなかったんですね、道理で……」


 ワルマイヤはウェンディマール北東の片田舎。遠いし、道路のコンディションも悪い。王都からだと一週間以上かかる。


 二人を待つ間評論誌の続きでも読もうか。おっ、やっと卒業コンサートの関連記事を見つけた。エリカのデビュタントを叩くより、こっちのほうにもっと注目してもいいと思うけどね。カリームさんを目の敵にしてるあのWRTOの監督のコラムもあったね。昨日のあれでも強引にカリームさんのせいにしようとするのはどういうこと?エリカの悪口は書いてないけど、なんか公爵さまに媚びるみたいな感じでキモい……


「アリアさま、お久しぶりです」


 クリスティーネ楽爵。元SWPOで、今はNZTOのオーボエ首席。クリスティーネさんはサレンジア生まれのゲルマニクス人。詳しいことは知らないが、没落したゲルマニクス貴族の血を引いているらしい。だからなのか、その外見は非常に人目を引く。スラリとした長身に、神秘的なサラサラ銀髪クールビューティー。相変わらずかっこよすぎる。王都音楽評論誌の「お姉さまと呼びたい楽士」投票企画のナンバー1は伊達じゃない。


 出身地からもわかると思うが、クリスティーネさんは昔からのメンバーじゃない。お父様がサレンジア伯爵になったことによって編制拡大したSWPOに入団。ワルマイヤ時代からいた団員と比べると新参者だったが、優れた実力と強烈な存在感があるから、NZTOに移籍までの短い間でSWPOを代表するメンバーの一人になった。


「お久しぶりですね、クリスティーネさん。ますますかっこよくなってません?」


「まぁ。冗談がお上手ですね」


 興味なさそうな言い方の割にまんざらでもない顔してる。クリスティーネさんはインタビューでその美貌やスタイルについて聞かれるといつも「音楽の話しません?」って不機嫌そうに返すけど、実は容姿が褒められるのがめっちゃ嬉しい。SWPOのみんなはもう気づいてる。


 昼食は二人のおすすめで劇場の近くのカフェテリアに。ここはNZTOの溜まり場でもあるみたい。他のテーブルの客に、私達の話が気になって聞き耳を立てている団員らしき人がいる。


 どう切り出したらいいのかわからないのは向こうも同じみたい。最初は近況などを話題に少し雑談した。


「さっき評論誌を読んで思ったけど、NZTOを目の敵にしている記事がまた増えたような気がしますね。見た感じ、他にも何人かのライターを雇って書かせているみたい」


「あいつもしつこいな。あんな中身のない罵詈雑言は逆効果にしかならないのに、どうしてそれがわかんねぇのかな」


「おかげて監督はやる気がみなぎるし、この前ウェンディマールで初めてのグランド・オペラも評判が良かったです。しかし、昨日のことはまずかったですね」


 来たよ。話が全然進まないと思ったら、クリスティーネさんがいきなり本題を切り出した。


「……ぶっちゃけ、昨日のステージをどう思います?NZTOの重鎮のお二方から見れば」


「まぁ、嬢ちゃんの対応もまずかったが、戦犯はうちらのほうだな」


 周りの席で聞き耳を立てる人の中に軽く頷く人がちらほらいる。これをNZTOの主流の意見だと考えてもよさそうね。


 これまで集めた情報を見ると、昨日のステージはおそらく、トロンボーン首席のサージルくんの不在によって歯車が狂い始めた。普段なら乗り越えられないような状況ではないと思うが、エリカはプレッシャーに負けて、冷静に対処できなかった。そして動揺が広がり、最初の火事もまだ消火できてないのに、もう他のところに火がつく。あっちこっちから炎上して、あっという間に大惨事。やはりこれを単なる偶発的事件で見ちゃいけない。問題の本質はかなり根深いと思う。


 NZTOはエリートの中のエリートによるオーケストラを目指すと言っても、結成三年目の今ではまだその目標までの道のりが長い。いくらモラウーヴァ公爵様でも、よそのオーケストラの戦力を大きく損ねるようなヘッドハンティングはできない。例えばうちのSWPOに対して、もし公爵様が上級貴族の権威を振りかざすなら、三人とは言わず30人を引き抜くのも可能だろう。でもそうなるとSWPOは壊滅同然。公爵様の評判も地に落ちる。だからNZTOの団員募集はターゲットとなるオーケストラに配慮しながら、最適な人材だけをピンポイントに集める方針で進めた。


 しかしそんなやり方では、オーケストラに必要な人員を集めることは到底できない。足りない数を補うのは、国内外から厳選した若手。優秀な若者だと言っても、楽団の中核となった、ヘッドハンティングで獲得した最高な人材と比べるとまだまだ青い。将来を見据えるならNZTOは非常に高いポテンシャルを持っている。しかし今だけを見ると、NZTOはかなり歪な構造になってしまった。各パートの首席と他のメンバーたちのやり取りを見るとそれがよくわかる。


 この前サージルくんと会ったとき彼は愚痴をこぼした。同じパートの後輩たちが飲みに行ったのに誘ってもらえなかったって。23歳のサージルくんはNZTOの若手たちと年の差がほぼない。でもSWPOに10年在籍した大ベテラン(まだワルマイヤ・フィルハーモニアオーケストラであったあの頃はとにかく人手不足だから子供のサージルくんでも即戦力だったね)だからNZTO創設のときトロンボーン首席として迎え入れられた。彼の話によると、後輩たちにはフランクに接するつもりだがなかなか打ち解けないらしい。未だにパート練習のとき他のメンバーが萎縮する。まぁ、私にとってのサージルくんは昔近所に住んでだ内気で頼りなさそうなお兄さんだけど、NZTOの後輩たちから見ると彼はローサリンガン帝国音楽祭で優勝したレジェンドの一人。雲の上の存在だと思われるのも仕方ないか。一番年が近いサージルくんでさえこんな感じだ。他のパートはもっとひどいだろうね。


 最高の人材で作ったNZTOは将来間違いなくウェンディマールを代表するオーケストラになるが、今はまだそのポテンシャルの半分も出していない。歴史あるWRSO(ウェンディシュ王立交響楽団)や、同じ地域出身による強い連帯感があるSWPOと比べると、今のNZTOはどうしても扱いにくいイメージがある。なぜアリアのデビュタントが成功したのにエリカが失敗したのか、二つのオーケストラの性質の違いも大きな要因の一つだと思う。


「もしかして、エリカさんがこのままダメになったら、NZTOの存続も危うくなります?」


「いや、公爵様はそんな器の小さい人間じゃねぇ。でも今までうちの待遇は良すぎるくらいだからな。成果はちゃんと出しているつもりだが、うちらはエリカの嬢ちゃんのために集められた一面もある。このままずっと役目を果たせないなら、いくら公爵様でも今のように優遇はしねぇだろうな」


「それ以前に、私達は悔しいです。才能豊かな若者を導くのは年長者の責任なのに、エリカさまを支えることができず、本当に不甲斐ない……」


「若者って、クリスティーネさんだって十分若、」


「僕もそう思うね。これ以上公爵様の期待を裏切るような真似はできない」


「「監督!」」


 ツェルムンドさんとクリスティーネさんが席を立って挨拶する。相手は平民だから、一代貴族扱いの楽爵二人がそんなかしこまらなくてもいいけど、やっぱりいつだってオーケストラの団員にとって監督は目上の人だね。


「こんにちは、カリームさん。先月の『トロイアの人々』ぶりですね」


「アリア様、ご無沙汰しております。SWPO組の集まりだけど、僕がお邪魔してもいいかな?」


「ええ。もちろん構いませんよ」


 NZTOの監督、カリームさんは二十代後半の美青年。王都公立学校音楽科卒業後、指揮者の夢を諦めきれないから親戚に借金してオペラの本場ラテウムに留学。当地の大きなコンクールで準優勝してその実績でウェンディシュ王立劇場オーケストラ(WRTO)のアシスタント指揮者に就任したが、監督と反りが合わないから冷遇されてた。NZTO結成のとき、モラウーヴァ公爵はWRTOから移籍した団員が推薦したカリームさんも引き抜いてNZTOの初代監督にした。贅沢な予算と豊富な人材で最高のスタートが約束されたNZTOのポストを狙う人が多い中、まだ若手のカリームさんが抜擢されることで界隈が一時大荒れした。


 今のウェンディマールの指揮者の中で、お父様より一つ下の世代で最も活躍している、そして最も注目されているのは間違いなくカリームさん。カリームさんの実績ならもうとっくに楽爵の称号をもらってもいいと思うけど、これまで一度もそんな話が上がったことがない。まだ23歳、いつもあわあわしてるあのサージルくんでさえ近いうち楽爵になるらしいよ?楽爵授与の基準、お偉方の感情に影響されすぎ……まさかと思うが、NZTOの各パートの首席をみんな楽爵にして、監督だけが平民という構図にしたいのか?そんな幼稚な嫌がらせが本当に行われているなんて思いたくないね。


「エリカくんの件なんですが……僕のほうでも手を尽くすつもりだが、その前にアリア様の意見を聞きたくてね。ほら、あなた達は同い年だし、同じく女性ですから。なにか、僕にわからない大切なことを気づかせてくれるじゃないかと思ってね」


 エリカがNZTOと稽古するときもしカリームさんもいるなら様子を見てアドバイスをしてくれる。だからカリームさんはエリカにとって半分師匠みたいだと言える。様付けで呼ぶのもエリカがやめさせたらしい。でもカリームさんは本業がすごく忙しくてそんなに教える余裕がないとエリカが言ってた。


「んー、正直に言うと、役に立つような話は思いつきません。今のエリカさんが置かれている状況は、年齢と性別にあまり関係ないと思います。そして私たちにできることは限られています。大切なのは、エリカさんを信じることじゃないかな」


 改めて考えてみたら、NZTOの体質が不健全なのはずっと前から。別に今始まったことじゃない。エリカも当然それをとっくに知ってるし、平常心で臨めば十分対処可能だろう。アドバイスしたり、解決法を教えるのはあまり意味がないと思う。


「そうですか。下手に干渉するより、今は見守るべき、ということか」


「そうですね。こんなとき、目上の人からなにか言われると余計プレッシャーを感じるかもしれません」


 二回目のコンクールのあと、慰めの言葉をかけてくれる先輩に私はひどい暴言を吐いた。私のことを心配してくれるのはわかってるけど、精神が弱まっていたからつい強く当たってしまった。後で私が謝って仲直りしたが、そのことをずっと後悔している。今のエリカにカリームさんが近づくと同じようになるかもしれない。


「数日後私がまた様子を見に行くつもりです。とりあえずそれまでは見守りましょう」


 カリームさんたちは納得して頷いてくれたが、今話したのは実は彼らの動きを抑えるための建前。裏で私が手を回すつもり。私にできることがあるならやっぱりしてあげたいし、じっとして待つのは性に合わない。もしうまく行かなかったらそのときは謝って改めてみんなの力を借りよう。


 ちょうどいいアイディアがあるから、早いうちにそれを形にしてエリカのところに持ちかけよう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る