NO.4-3 強化練習期間
「学院長先生が話してくれたと思うけど、時間がないからかなり大変な練習になります。少しの間だけ付き合ってください。私たちにできる最高のステージにするために」
特に異議はなく、みんなが受け入れてくれた。今ここにいるのはもともと協力的メンバーだし、特別な意味を持つ卒業のステージをよりいいものにしたい気持ちはみんな同じだね。
「もちろん異論はないし、全力を尽くすつもりですが……これは、ちょっときついのでは?」
サン=サーンスの『交響曲第三番』の譜面を読んで不安に思うのは学院オーケストラの第一バイオリンの首席、クツェラスク伯爵家の次男のサリーマくん。あの伯爵家も今はSWPOみたいな体制で貴族家を中心とするオーケストラを運営してる。SWPOの成功にあやかりたいからこの数年間ウェンディマール国内でこんなスタイルのオーケストラが一気に増えた。おかげて演奏者の供給が完全に追いつけなくなった。
現在のクツェラスク伯爵家のオーケストラは外部から招聘した監督の指導を受けているが、長男(つまりサリーマくんの兄)は国外留学で指揮者の修行をしてる。将来は兄がアシスタントを経て最終的に監督となり、サリーマくんはコンサートマスターになるのが目標みたい。領主兄弟を中心とするオーケストラ運営だね。私の見立てでは、今のサリーマくんにはちょっと荷が重いかな。でも彼はちゃんと努力しているし、順調に経験を積めば将来はいけるかもしれない。もしかして、今回の追い込みで化けるかも?
「ほ、本当にこの曲をやれるのか?僕達が……本当にこんな機会が来るとは……うおおマジで最高じゃん!」
そして第二バイオリンの首席、二年生のカリトムくんはリヴォノヴ公爵家の次男坊。リヴォノヴ領はアリアの故郷ワルマイヤより更に北東の辺境だが、そっちは自由港リゲを中心とする北内海貿易で巨万の富を築いだ、インゲルリアの青き鷲とも呼ばれる超有力貴族。しかも帝国の前線開拓地ラジーア・フロンティアへ物資を輸送する重要な役目を皇帝から直々に任された。まぁそのカリトムくんは私から見るとただのオーケストラが大好きな黒縁メガネオタクだけど、彼の存在には本当にすごく助かった。
リヴォノヴ公爵家は三大公爵家のようなウェンディマール建国からの名家ではないが、今の時代では伝統と歴史より、経済力と国際的影響力のほうがよっぽど大事よね。そんなリヴォノヴ公爵家とお近づきになりたい人にとって最良の手段は、カリトムくんが大好きなオーケストラで一緒に稽古する――下心はあるけど、他の手段と比べるとまだ健全だと言えるんじゃないかな?おかげて今年度の団員の集まりがかなりいいし練習がはかどる。リヴォノヴ公爵家様様だ。
「わかっていると思いますが、あなたたち弦楽組の負担は特に重いですよ。まずは吐き気がするほどにパート練習を繰り返し、全員の意識を一致させられるようにして、それからOBたちと合流してまた吐き気がするほどのパート練習……そこまでしてやっとスタート地点にたどり着く、ということです」
「か、覚悟の上だ!」
「……まぁ、ここまで来てやらない選択肢はありませんね」
同じ助っ人と言っても、弦楽組に加えるのは最近一、二年卒業して、たまに遊びに来て一緒に練習する先輩たち。学院となんのゆかりもない超強力助っ人と違い、普通のOBとOG。単純に足りない人数を揃えるのが目的だ。超強力助っ人を多用しすぎるのはさすがに体裁が悪いし、みんなの今後の成長にもよくない。それに王立学院音楽科はもともと弦楽のレベルが高い、普通の卒業生でも実力は期待できる。足りないのは一緒に演奏する経験だから、十分なパート練習を積めば行けるだろう。
オーケストラの半分以上は弦楽だ。なぜそんなに人員が必要かというと、まず音量バランスが原因に挙げられる。でもそれだけじゃない。バイオリン協奏曲を観たことがあるならわかると思うが、場面によってはソリスト個人のパワーがオーケストラ全体と渡り合える。つまりそれくらいの音量を単一の楽器でも出せる。だがいくら音量を出せると言っても、一人のソリストでは第一バイオリン全体の音響を出せない。そう、弦楽各部にそれぞれ多数の人員を配置するのはそんな音色の厚みのためだ。
しかし人数が多くなると、チームワークの重要性が上がる。特に弦楽は高速な音階やメロディ、同じ音を連続演奏など、スピードと手数で勝負することが多い。そんなとき一人でもちょっとずれると、その一人分の力と勢いが失われるだけでなく、足並みが乱れたせいで他の人の力も相殺される。それだけシビアな世界だから。だからこそのパート練習だ。まぁパート練習が必要のは弦楽だけじゃない、木管各部、金管各部、管楽全体などもやる必要があるが……やはり弦楽は人数が多い分、特に力を入れないといけない。
「聞いたぞ!卒業コンサートが拡大開催ではないか?なぜ私を呼ばなかった!」
稽古を始めてしばらく、練習場に乱入してきたのはサンドミネッツ公爵令息カシーミアル。彼は三年生の中で一番バイオリンが上手らしいが、これまで一度も学院オーケストラの稽古に顔を出したことがない。
「……えっと、カシーミアルさんは学院オーケストラの一員ではないのですが……」
「ああ。だが、こんな大イベントで私を外すなんて、考えられないだろう?」
そう、そもそも彼は学院オーケストラ所属じゃない。自分は独奏と小編成専門だからオーケストラと一緒に稽古しても意味がないし、したくもないと言った。王立学院の性格上それは許されるし、私もとやかく言うつもりはないが……それならこんな大事なときいきなり現れて邪魔しないでほしい、マジで。
「おい、そこを譲れ」
「はぁ?いきなり来て、なにを……」
「わからないのか?私のスキルが一番だから、首席は私の方が相応しいだろう?」
って、どう対処すればいいのか考えてる間早速とんでもないことしでかす!この学院オーケストラでは私とエリカが一番立場が上だから強権発動して退去させるのも……いや、さすがにそれはまずい。こいつは腐っても公爵令息、身分的には格上。エリカがいれば対抗できるが今日はデビュタントの準備でいない……
「あのさぁ、君オーケストラのこと全然わかっていないな!いくら個人技術が高くても、君みたいな協調性がないやつはいらないから!」
「あぁん?貴様誰に向かって……ちっ、リヴォノヴの者か」
そうだ、こっちにもリヴォノヴ公爵令息がいるのではないか!いいぞカリトムくんもっとやれ!ってそんなこと言う場合じゃない!カリトムくんがこいつを牽制してくれる間、もっと偉い人を連れてきて場を収めなきゃ!
学院長が来てくれて、カシーミアルは説教の後、出禁を喰らった。おかげてその後の稽古は順調に進んだ。
――――――――――――――
卒業コンサートのプログラムが張り出される日。掲示板を見に来たら、私は生意気な後輩たちの襲撃にあった。
「アリア・クリューフィーネ!どうしてあなたなの?どこまで強欲なのよ!」
またこいつらか。エリカの妹分たちに何度もこんな風に絡まれたし、本当は二人の名前もう覚えたけど、今回もとぼけてみるか。
「えっと、どこかで会ったことが――」
「それはもういいですから!わたくしたちをからかっているでしょう!シゼルが教えてくれたからもう効かないよ!」
ちぇー、同じ手がもう通じないか。この二人とてもからかい甲斐があるから、今度は他のやり方でいってみよう。
「それで、何の話でしょうか」
「どうして卒業コンサートの指揮者があなたなの?エリカ様に譲るべきよ!」
「アリア様はもう御自分のデビュタント・コンサートで大活躍したでしょう?次のチャンスはエリカ様がもらったほうが公平だと考えます。もしお二方とも指揮者として出るならまだしも、アリア様だけだというのは到底納得できるような話ではありません」
「やっぱりそう来るか……卒業コンサートで指揮者をやらないと決めたのはエリカさん自身、って言っても、あなたたちが納得してくれると思えないし……」
「そんなの誰が信じると?エリカ様がどれだけ指揮者としてステージに立つのを楽しみにしてると思ってるのですか?」
それでその楽しみを奪った私を許せないと言ってるのね……困るね、こういう思い込み激しい子の扱いは。でももう一人の方はどう?あのシゼルという陰気メガネはアイミと同調せず、何だが私の反応を観察して事態を把握しようとしてるみたい。こっちならまだ話が通じるかな?
「何をしてるのですか、貴女たち!」
「「エ、エリカ様!」」
まるでお約束のように駆けつけてくれるエリカは後輩二人に事情を説明した。日程が近すぎるから、卒業コンサートのほうで指揮者デビューしても微妙な感じになるし、ならいっそ本命のデビュタント・コンサートに集中しようと決めた。
「それなら、どうしてオルガニストとして参加するのですか?エリカ様のデビュタントの準備の妨げになるのではありませんか」
「本当はそんな予定がありませんでした。でもわたくしが卒業コンサートに参加しないことをアリアさんが案じてくれたから、オルガン付きの曲をねじ込んだのです。わたくしなら両方ともそつなくこなせると仰ってくれました。最初は迷いましたけど……アリアさんの気持ちを無下にすることなんてできませんからね」
「やはり、そういうことだったんのですね。軽率な行動でエリカ様に迷惑をかけまして、申し訳ありません」
「いいえ!シゼルは悪くありません!もう少し状況を把握すべきと、シゼルは止めてくれたのに、わたくしが先走ったのがいけないのです。申し訳ありません!」
「わたくしに謝らなくてもいいです。貴女たちに伝えるのを忘れたのがいけませんでした。貴女たちを責める気はありません。でもアリアさんにはちゃんと謝らないといけませんよ」
「「………………ごめんなさい……」」
(だから、そんな怖い顔で謝らないでよ……)
「……貴女たち、今の話をちゃんと聞いたなら、アリアさんは善意で動いたのがわかるでしょう?もう少し真面目に謝ることができないのかしら?」
「あっ、いや、いいですよ。私、気にしませんから。(エリカがこれ以上なにを言ってもこいつらがムキになるだけだからもう放っておいてよ!)」
「それって、わたくしたちが取るに足らない存在だと言いたいのですね!モガッ」
まだ喚いてるアイミを、シゼルが慌てて連れて逃げ出した。グッジョブ。
「……はぁ、全くあの子たち。もう高等部なのに落ち着きが足りませんわ。これでは立派なレディになれません。心配ですわ」
なんか、今日のエリカは覇気がないというか、疲れているような……
「やっぱり、オルガニストとして出るのが負担になりますか?」
「……どうでしょうね。自分にも、よくわかりません」
「準備の時間が惜しい」と、微笑んで別れを告げるエリカを見て、私は胸騒ぎがする。本当に、私の判断が正しいのかな……いや、もうプログラムを発表したし、今更後戻りができない。私にできるのは卒業コンサートを成功させて、エリカのストレスを軽減させることだけ。
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