チャプター4
NO.4-1 卒業コンサートへ向けて
懐かしい夢を見ている。
なぜこれが夢だとわかるのかと言うと、周りの人みんな頭に白いモヤがかかっている。顔が見えないし名前も思い出せないけど、なんとなく私がみんなのことをよく知っているような気がする。
そうか。これは大学の卒業式のときの夢だ。センチメンタルな同級生が涙を流している。他はこれからどこかに遊びに行くかとワイワイ騒いている。
「やっと式が終わったね。卒業おめでとう」
「先輩!来てくれましたのね」
白いモヤのせいで顔が見えないけどわかる。いつも私たちに気をかけている、仲がいい先輩だ。先輩もかつては指揮者を目指していたが途中で断念、今はこの近くに音楽教室を開いてピアノの授業をしている。
「どころであの子はどこ?この後はあなた達の卒業を祝う予定だけど」
「私も見ていないです。ちょっと探してみますね」
作曲科の人に尋ねると、私の大好きな親友のあの子は式の途中で抜け出したらしい。次はどこを探せばいいかを考えている最中、スマホに返信のメッセージが来た。
「えっと……急にインスピレーションが降りて来たから、今手を離せないって言っています。一段落したら合流するから行く先を教えてほしいと」
「……卒業式なのに、何やっているのよ。あの子は本当にブレないよね」
まったくいつも自由なやつだね。ここで待っても仕方ないし、先輩と一緒に店に移動。今日は先輩の奢りだから、普段行かないちょっと高い焼肉の店だ。
「……それでいざステージに上がると、いきなり頭が真っ白になって……自分があんなに緊張するなんて思いませんでした」
「初めてあんな大きなコンクールに出たから、仕方ないよ。次の申込みも済んだよね。気持ちを切り替えましょう」
次のコンクールであのセクハラコンサートマスターに絡まれて最悪な結末になることを、あのときの私はまだ知らなかった。
「先輩の言ってることが正しいのはわかっているつもりだけど……はぁ、もしかして、私……本番になるとダメなタイプじゃないかな」
「まぁ、そんなに深刻に考えなくてもいいよ。もしあなた達が本当に路頭に迷うことになりそうなら、私のところで雇ってあげるから」
「……あれ?でも先輩前に言ったじゃないですか?あの子のピアノの腕はギリギリ音楽教室の雇用基準に達しているけど、私はギリギリ届かないって」
「ピアノはね。あなたのフルートならギリギリ届いている……かも?」
(かも?って、そんなんで雇用していいの?私のピアノよりフルートのほうが評価されてるなんて、知らなかった……)
楽器演奏の練習は指揮者の修業にも非常に有用。自分が思う通りの音色を出す仕方を学べるし、演奏者の目線で物事を見ることができる。両方ともオーケストラとの意思疎通に役立つ。だから私もピアノとフルートの練習これまで真面目にやってきたが、どっちもあまり才能がないみたい。
「だからね、あなた達には失敗を恐れずにチャレンジしてほしい。特にあなたには、私の夢も背負わせているし」
先輩が指揮者を諦めたのは私が大学のオーケストラとの練習を見て、自分の限界を感じたからだと言っている。最初は私をからかうための冗談だと思ったけど、本当にそう思っているみたい。
「……しかしあなたたち、本当に音楽一筋なのね。最後まで浮いた話一つもないとか、逆にすごいわぁ。よくそんな灰色の大学生活を過ごせたなぁ~」
「あれ?先輩、もしかして、酔ってる?」
よく見たら、水ではなくお酒を飲んでる。いつの間に頼んだの?
「ひぐっ、酔ってないってば~って実際どうなのぉ?本当はいるけど、みんなに隠しているだけとかぁ?」
「いないよそんなの。前も言いましたけど、私たちは先輩の恋バナを聞くだけでお腹いっぱいなんですよ。今度はどんなのろけ話を聞かせてくれるのですか」
いつものように、先輩の追求をかわすために話をすり替えると……何故か先輩が涙目に……
「聞いてよ!あの男!先週のデートでまたっ!胸の大きい人ばかり見ていたのよ!私がそばにいながら……!」
あっ、やばっ。また地雷を踏んじゃった。どうして同じ過ちを何度も繰り返すのよ。私のバカ。
「落ち着いて、先輩!あ、暴れないで!」
「うわーん!胸なんて飾りなんですよぉ!えろい人にそれがわからんのですよぉ!」
――――――――――――――
「あの後マジで大変だったよね……」
あの子が来てくれなかったらやばいかも。私一人では酔っ払いの先輩を抑えられないからね。
先輩今どうしているのかな?結局私はなにも成し遂げられずにあの世界を去った。本当にごめん……
シャルカちゃんに支度を整えてもらい、いつもの朝の食卓に。ちょうど食べ終わるところでドアベルが鳴った。来客かな。こんな朝から珍しいこともあるね。
対応に行ったメイドさんがシャルカちゃんに耳打ちして、そしてシャルカちゃんが私に伝える。どうして私に直接言わないで、付き人を通して伝える必要があるのがわからない。
「アリア様、今のは学院からの使いでございます。卒業コンサートで相談したいことがあるので、登校したら学院長室までお越ししていただきたいと」
学校の呼び出しが馬車で屋敷まで来るとは。さすがは異世界って感じがするね。
――――――――――――――
学院長の執務室に着くと、エリカも呼び出されている。
「卒業コンサートの予定の大幅見直し、ですか?」
「そうじゃ。来月上旬の週末二日で、初日は前半独奏後半小編成、そして二日目は君たちとオーケストラにしたい」
もとのスケジュールでは卒業コンサートは土曜日一日だけ。独奏曲から室内楽、最後は私と学院オーケストラがチャイコフスキーの『くるみ割り人形』<*1>の抜粋をやる予定。もう時間の余裕あまりないのにそんな大きな変更をするの?
「これまで我が校の音楽科の授業は独奏と室内楽を中心にした。生徒の構成を見るとそれが正しいじゃが、どうしてもオーケストラのほうが疎かにしてしまう。今期は幸い君たち二人がいる。ぜひ我が校のオーケストラの実力を見せてほしいのじゃ」
まぁ、大体想像通りの話ね。私とエリカがいる今はまさに、王立学院オーケストラがアピールする好機。今なら私たちの知名度があるし、私たちが在学してる間の合同練習によって学院オーケストラの練度がずいぶん上がったし。それでも最初は例年通りの卒業コンサートにする予定だったのは私たちにプレッシャーをかけ過ぎたくないかな。おそらく先月の私のデビュタントが成功したからこの話が出てきたのね。でもこんなギリギリのタイミングで変更するくらいなら、最初からにしてほしかった……
これまでの王立学院オーケストラの実力はぶっちゃけ、大したことがない。学生たちそれぞれの技術に問題はないけど、一つのグループとして練習する時間が圧倒的に足りない。王立学院は貴族子女が教育を受ける場所。音楽科に入る貴族子女は就職するために学ぶじゃない。将来社交界で文化人の一面を見せるためだ。音楽文化が盛行するこの世界ではそれが非常に大きなアドバンテージになる。茶会や夜会の場での演奏を想定するなら、人数が多く調整が必要なオーケストラより、場所を選ばない機動性が高く比較的簡単に演奏を始められる独奏と室内楽のほうが向いてる。そりゃお茶会でいきなり「あなたの演奏を聴きたい」と言われると、すぐに用意できるオーケストラなんてありはしない。まぁ最初からやるつもりで事前にこっそり控えてもらったなら話は別だけどね。
そこを踏まえて、学院では独奏と室内楽の練習時間を多めにして、オーケストラの集合は週に二回だけにした。対して王都公立学校のオーケストラは毎日練習がある。公立学校音楽科の学生たちはほとんど将来オーケストラに就職するのが目標だから、部活感覚もしくは道楽でオーケストラやってるうちとの温度差が激しい。アリアの記憶によると、一年生の頃はマジでひどかった。あの頃はあまりやる気のない学院のOBが指揮者として指導してたから……二年生からアリアとエリカが指揮するようになり、本気で指揮者になりたい私たちの熱意が伝わったから若干マシになった。
同じ王都の教育機関の中で、うちは王都公立学校どころか、近年音楽科を増設したばかりのカレポリ技術職業学校のオーケストラと比べても明らかに実力差がある。求めるものが違うから、王立学院オーケストラの実力が低いのは学院の性格上仕方ないことだけど……当事者たちにとっては面白くない話。学院長と先生たちだけじゃない、私たち指揮者組にとっても同じ。
「せっかくのお話ですが、わたくしは辞退させていただきたいと思います」
「ぬっ、なぜじゃ?君たちにとっても悪い話ではないじゃろう?」
「わたくしはまだデビューしていないし、初めての公式の場での指揮はやはり自分のデビュタントがふさわしいと考えております。そのデビュタントは卒業コンサートの三日後です。正直に申し上げると、わたくしはデビュタント・コンサートで手一杯になると思います。卒業コンサートの準備に手を回す余裕なんてありません」
そう。ついにエリカが自分のデビュタント・コンサートでステージに立つことが決まった。聞いた話では、説得の決め手はやっぱり「アリアさんにもできたから」。エリカは大好きのブルックナーの『交響曲第七番』をやるけど、本当に大丈夫なの?『交響曲第七番』は超大作だ。体力と精神力の消耗が非常に激しい。私がやったモーツァルトの『交響曲第39番』とベートーヴェンの『交響曲第八番』どちらも演奏時間は30分<*2>くらい。ブルックナーの『交響曲第七番』ならその倍以上の70分<*2>くらいある。それで単純に負担も倍くらいになるならまだいいけど、実際は曲が長ければ長いほど負担が曲線的に跳ね上がる。しかもより複雑な構造と大きな編成だから尚更。
体力と集中力が低下すると自然とミスしやすくなる。それは指揮者側でもオーケストラ側でも同じ。プロでもミスするときはミスする。大切なのは失敗から速やかに立ち直ること。自分がやらかした場合引きずって萎縮しないように。他の人がやらかしたなら怒らないし動揺しない。でもそればかりは経験がものを言うから、私たち若手にとって特に難しい。演奏時間が非常に長い『交響曲第七番』なら、きっと何回もそういう場面に直面するだろう。デビュタントの凄まじいプレッシャーの中でエリカは平気で対処できるかな?ああもう、他人事なのに、どうして私がこんなにも心配しなきゃならないの……
「うむ……それなら仕方ないか。アリア嬢のほうはどうじゃ?」
「……そうですね。コンサートの準備にいくつ頼みたいことがあります。パーフォーマンスの質を高めるために必要なことです。まず練習時間を増やさないといけません。皆さんに納得いただけるように学院長様から説明をお願いします。もし無理ならこの件は考え直したほうがいいかと」
「わかっておる。無様を晒すくらいなら、やらないほうが良いと言いたいじゃろう。練習時間を増やすのは当然じゃ。他にわしにできることがあれば何でも言ってみよ。協力は惜しまぬ」
「ありがとうございます。例年通り卒業生たちを呼び戻す予定となっていますが、それでも人数が足りません。曲目が決まったら助っ人を頼みたい方のリストを作成して、学院長様から話を通してもらえれば幸いです。まだ確定ではありませんが、おそらく学院の卒業生以外の方々の助力も必要でしょう」
今の王立学院音楽科は一学年30人くらい在籍している。一年生は卒業コンサートに出ないが、二年生と三年生だけでも60人いるし、大編制の曲をやらない限りいけるじゃないか……と思ったら大間違い。60人の中に20人近いがピアノをやってるから。つまりオーケストラを編成するなら三分の一くらいは最初から戦力外。しかも万年欠員の楽器がいくつもある。チューバなど貴族的に不人気な楽器は頼めるOBさえいない有様。
「わかった。交渉はこちらでやろう。卒業生だけでは難しいのも承知しておる。明らかに年齢が合わない者でなければ、今回はそれで良い」
おお、思い切ったね。学院長は音楽専門ではないがこちらの事情をよく把握しているから、話が早くて助かる。
「さすがは学院長様でございます」
「お世辞は良い。こちらにできるのはこんなことくらいじゃ。ステージに立つ君や他の者たちのプレッシャーとは比べにもならん」
こうして、卒業コンサートの拡大開催が決まった。
~~~~~~
<*1>『くるみ割り人形』が作曲されたのは1892年、1890年以降は作曲禁止令でアウトなこの世界では存在しないはずなのに、何故かギリギリ間に合った扱いです。1893年お亡くなりになったチャイコフスキーの最晩期作品を欠かさないようにする、管理者の温情かもしれません。他に最晩期作品がギリギリアウトな時間の作曲家がいれば多分同じ扱いを受けます。
<*2>楽曲の実際の演奏時間は繰り返しの省略や指揮者の速度指示で大きく変動するからあくまで目安です。
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