Beethoven: Symphony No.8 Op.93
「ベートーヴェンの偶数番号の交響曲は、まるで巨人たち(奇数番号)の間に挟まれる小人のように見える」――よく覚えてないがどこかでそのフレーズを見たことがあるような気がする。私的に、そのフレーズに当てはまるのは『第四番』と『第八番』だけ。まず『第六番』は、明らかに小人じゃない。どっちかと言えば巨人のほうだろう。あれは19世紀の音楽発展に極めて重要な影響を与えてるし。『第二番』のほうは、まぁ……私の中では『第一番』があまり巨人ってイメージがしないから。
まぁ「小人」だと言っても、それは貶してるわけじゃないと思う。単純に曲の性格と特徴からそんな風に表現したいだけだろう。ほぼ同じ時期で作曲された『第七番』という巨人の影に隠されている『第八番』がまさにそんな、極めて洗練で可愛らしい曲。ベートーヴェンの作品の中で、私が可愛らしいという表現を用いたいのは本当にごくわずかだからね。多分ベートーヴェン本人もそう思っていたんじゃないかな?少なくとも彼の中では『第八番』は特別だったと思う。『第八番』の初演に観客たちの反応は悪くないが、注目の大半は同日で演奏された『第七番』のほうに行った。ベートーヴェンはこの結果を「まぁ予想通り」だと言った。「『第八番』があまりにも優れているから」と。
『第八番』の第一楽章に序奏がなく、最初からはっきりと本題に入る。明るく、活発な第一主題に劇的な音量変化が見られる。しかも同じフレーズを一度強度を変えて繰り返すという、古風なやり方を。あの一瞬だけまるでハイドンやモーツァルトの時代に逆行したかのように。『第八番』はまさにそんな、新しい時代を切り拓いたベートーヴェンの一般的イメージとは正反対の、懐古的一曲。この冒頭部だけでなく、ほぼ最初から最後までそんな感じがする。特に第三楽章でその傾向が強いかな。
そんな複雑な背景だからか、この第一楽章の第一主題は、特に演奏者の解釈によって鮮明に変化するところだ。音量のコントロールに重心を置き、意図的に古典時期の芸風に寄せる人もいれば、速度指示がないのにフレーズの最後に大げさな減速をかけたり、あえてロマン時期の流儀で捌く人もいる。当然そのどっちにも寄らずに、譜面に忠実でやろうとする人もいる。今の私のように。私はまだこの世界に馴染んでいるとは言えないから、悪目立ちしないように今回はなるべく個性を殺して、淡々とやると決めた。
第二主題は優雅で軽やかな調べから入る。まずバイオリン二部で一回、次は木管にパスしてもう一回やると、雰囲気が急変。躍動感があるモチーフが影から飛び出て、徐々に勢いを強めて場を支配する。これらの要素が混ざり合い、盛り上がっていき、最後は特徴的な連続8度下行で提示部が終わる。今回は譜面に忠実でやろうと決めたし、ここで一度提示部を繰り返す。
展開部は大体提示部最後の連続8度と最初のモチーフで構成されるが、基盤が短調となり雰囲気がガラッと変わった。ここではプレッシャーをかけて、より攻撃的な姿になる。展開部の後半から再現部の冒頭のところは特に音量バランスに気を配る必要がある。木管が目立ちすぎるのを避けたいし、低音弦が再現部を切り出すところをオーケストラ全体の波に飲み込まれるのもまずい。この時期の作品に個別の楽器に音量指示を出さないから、自分の裁量で理想なバランスを作る必要がある。
ベートーヴェンの交響曲第一楽章にコーダが長いやつが多いような気がする。特にこの『第八番』と、姉妹作の『第七番』や、『第三番』のコーダが長い。それも再現部の延長のようなものではなく、完備の独立したパート。だから私はこの第一楽章の総集編を最後に飾るつもりで、大事に、丁寧に終わらせた。
次の第二楽章だが、姉妹作の『第七番』と『第八番』、どちらにも低速楽章がないのが一大特徴となっている。でも『第七番』の第二楽章はアレグレットの皮を被ってるけど、その実態は低速楽章だと私が思う。対してこの『第八番』の第二楽章は名実ともにアレグレット。『第八番』は正真正銘、低速楽章がない交響曲なのだ。
明瞭なリズムから始まるのは、まるでおもちゃの兵隊の行進みたいに軽快な調べ。この第二楽章ではトランペットとティンパニの出番がないから、この行進は勇ましいというより、面白おかしいのイメージがする。ピアニッシモ(とても弱い)からいきなりフォルティシモ(とても強い)に切り替える鮮明な音量変化、そして強烈な8度下行、どっちも第一楽章から引き続き投入する要素だ。第二楽章の終わりもこの8度下行で仕上げたと思うと、なかなか印象的なモチーフだ。でもこの8度下行は第三楽章では完全に姿が見えなくなり、第四楽章になると逆に連続8度上行になる。そこがちょっと不思議に思っている。
第三楽章は見方によってはベートーヴェン晩期の大きな謎にもなりうる代物だ。「音楽の大衆化を生涯の目標とするベートーヴェンがメヌエットではなく、スケルツォを交響曲に導入したのは、メヌエットは貴族宮廷的な音楽で、スケルツォのほうが大衆の生活に近いから」――よく本などで見るその説を、私はちょっと深読みしすぎているんじゃないかと思ってる。なぜなら、それが真実という前提で見ると、メヌエットを採用した、ベートーヴェンの晩期作品である『第八番』は非常に異質な存在になる。メヌエットを採用したのは『第一番』もそうだけど、あれは名目だけで実質スケルツォみたいなものだし。こんなまろやかで、華やかなメヌエットは本当に、色んな意味で「ベートーヴェンらしくない」に思える。
この第三楽章から考察すると……「今のはやりに乗るには何をすればいい」とか、「どうすれば観客受けが良い」とか、そんなこと一切考えないように書いたのがこの『第八番』だと私が思う。まさにやりたい放題。だからベートーヴェン本人が『第八番』を特別視するし、最初から人気が出るのを期待していないだろう。
まぁ同じメヌエットと言っても、モーツァルト時期のものとは大分雰囲気が違う。管楽器の華麗絢爛な音色を思う存分に活かすところが注目すべきと思う。特に主部の最後のトランペット<*1>、それとトリオのホーン<*1>が印象的かな。金管楽器<*1>の役割が重くなるとここまで変わるとは。もちろん木管の見せ場もある。主部後半のファゴット、そしてトリオでホーンと綿々と続く会話を演じるクラリネット……こんな風に様々な楽器にスポットライトを当てるのがこの第三楽章だ。
第四楽章は最初から最後までハイペースで走り抜ける。第一主題は凄まじい量の三連符や六連符で構成される、非常に慌ただしい。ここも『第七番』の第四楽章と並べて一緒に見たくなる。あれも似たような感じの、とてもせっかちなものだから。両方の違いというと、『第七番』の第四楽章は祝祭に集まった群衆の馬鹿騒ぎと舞踊のようなものかな。対してこの『第八番』なら、性格と要素の共通点が多いので第四楽章は第一と第二の延長線上に捉えてもいいと思う。第二楽章を私はおもちゃの兵隊の行進だと喩えたが、第四楽章ならそのおもちゃの兵隊がワチャワチャドッタンバッタンの大騒ぎかな。
楽譜を見るとここはかなり神経を使うパートだとわかると思う。あの密集する大量な音符をうまく捌けるかどうかは弦楽全体の練度にかかっている。少しでもずれると、形が崩れてまるで不定形の粘体生物みたいにぐちゃぐちゃになる。アリアの記憶では学院オーケストラと稽古したときこのあたりの出来がかなり悲惨だったね。幸いSWPOならそんなことを心配しなくてもいい。特に言わなくても大ベテランたちがなんとかしてくれる。SWPOと一緒にやれるなんて、私は本当に幸せ……って、そんなこと考える場合じゃない!ここだ!いきなり現れる強烈なCシャープ、とても粗暴で侵略的、観客の注意を引く存在だ。これで注目してもらったところで一気に盛り上げる。この思いがけずのCシャープは後でまた三回現れるから、アナリストたちが第四楽章を読み解くのに外せないポイントだと考えるのもわかるね。
第二主題最初は愉快に歌うように、このまま穏やかに進むかと思ったら、途中から急に駆け足になって、階段を登ったらすぐに降りる。やっぱり落ち着いていられないのがこの第四楽章だ。こんな感じの静から動の転換は私が好きな第四楽章第二主題のタイプかも。例えばチャイコフスキーの『交響曲第五番』、あれも私は大好きな第二主題だ。こういうのをやるといつも気分が高揚して無自覚に加速をかけたくなり、自分の気持ちを抑えるのが大変なくらいだ。
これからの展開はかなり自由な形式だ。一旦第一主題に戻り、ロンドのA-B-Aのようになるかと思ったら、特徴的な連続8度上行跳躍を挟んでもう一度A-B-Aをやる。その後は展開部に該当するようなCのパートだから、この楽章をA-B-A-C-A-B-Aのロンドソナタ形式と言う人もいる。この後は例のCシャープを連発してからの、短調に変化した第一主題が登場する。このあたりが全曲一番圧迫感が強く、そして一番乱れている箇所。制御に細心な注意を払わないと。この難所を乗り越えると一瞬の全休止に入り、終わりの始まりを告げるようなホーンの独演から、盛大なフィナーレで曲の総仕上げとする。
振り向いて、観客席に一礼すると、この世界での二回目のパフォーマンスも無事終わらせたのにやっと確信できた。
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<*1>厳密に言うと、『交響曲第八番』が登場する時代ではまだ現代のホーンとトランペットの前身にあたる楽器が主流でした。今ではベートーヴェンの交響曲を演奏するとき基本は普通のホーンとトランペットを使いますが、あえて前時代のナチュラルホーンとナチュラルトランペットを投入して、当初に一番近い音色で再現しようとすることもあります。YOUTUBEなどで映像を漁るとそういうパフォーマンスも見当たります。
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