NO.3-2 コンサート・ハーフ&ハーフ
「ありえない……一日6時間だけって、全然足りないじゃないか……」
学院が終わった午後。屋敷の別館にあるSWPO用のミーティングルーム。SWPOの首脳陣が集まったが話し合いが始まらなくて、頭を抱えるお父様がブツブツと文句を言っている。
「お父様、やっぱり健康が一番大事ですよ。神殿の言いつけをちゃんと守りましょう」
「そんなことはわかってるが……はぁ……他に方法はないか……?」
昨日の診察で、神殿の治療官はお父様の生活習慣に呆れたらしい。仕事に没頭すると寝食を忘れるなんて日常茶飯事。側から見ると完全に過労だが本人に全く自覚がない。それを矯正するためについに最終手段を取ることに――治療官一人をお父様の担当にして、この屋敷に配置して常に監視して健康管理する。かなり窮屈な生活になるが、これも自業自得だよね。
「一日の仕事時間もですが、途中に休憩時間を挟むように制限を設けられるのも問題ですね」
「そうだな。正直、一昨日のステージ終わった時少しめまいがした。その判断に従うべきか」
「それでは、今週のコンサートはどうしますか?」
コンサートマスターのセルジェンクさんの問に、お父様が少し考えてから答える。
「……やはりこうするのが一番か。アリア。前半か、後半かをお前に任せたい。引き受けてくれるか?」
「えっと、つまり……私とお父様がそれぞれ半分を担当する、ということですね?」
「そうだ」
アリアのデビュタントのようなアクシデントではなく、コンサートの途中で指揮者が計画的に交代するのは非常に珍しい。でも全く見ないわけでもない。例えばソリストが自分で協奏曲を指揮する場合、後半でオーケストラの本来の指揮者と交代することもある。他の例なら、昔ネットの映像で見た映画音楽のコンサートで指揮者途中交代のケースがある。「星の戦い」のパートで、指揮者は暗黒卿のコスプレをしてライトなセーバーの形をするタクトで指揮して、その後の別の作品のパートに入ると他の指揮者が担当することに。おそらく着替えが面倒だからそうなったんだろう。
「わかりました。ぜひやらせてください」
「どうせこの後プログラム変更の知らせを出すから、今なら曲目の変更もできる。何かやりたいやつがあれば遠慮なく言ってくれ。できればベートーヴェンあたりが望ましい」
この週末のコンサートに演奏する予定だったのはベートーヴェンの『エグモント序曲』、『バイオリン協奏曲』、そして『交響曲第三番』。実にお父様らしい、凛々しい曲で構成されている。そういえば一昨日やったのはブラームスの『第三番』だね。今の時期のテーマは「英雄」ってことかな?前半か後半か自由に選べると言われているが、私の中ではもうほぼ後半に決定。協奏曲をやるとソリストとの兼ね合いなどもあり、面倒事が多いから、できればもう少しこの世界に慣れてからにしたい。
『交響曲第三番』はベートーヴェンの交響曲の中でも代表的な一曲、いわゆるメジャーの中のメジャー。私も前世でやったことあるし、すぐにリハーサルを始められる。でもなんだが、ちょっとそういうヒロイックなやつをやりたい気分じゃないというか……まだ曲目変えられるならそうしようか。私がやりたい曲に変更できると言っても、コンサートの全体的統一感というかテーマ性というか、そういうところに配慮すべき。ここは時代背景が離れてるやつを選ばないようにしよう。
「……それなら私は後半、ベートーヴェンの『交響曲第八番』をやってみたいと思います」
「『第八番』だな。わかった。楽譜の用意は?」
「問題ありません。一昨年使ったものは保管してありますから、すぐに出せます」
お父様の質問に答えるのはステージマネージャーのリンクスさん。指揮者とオーケストラがパフォーマンスに集中できるように、照明、ステージの配置、楽譜の管理など裏方仕事を滞りなく済ませるのは彼の役目。地球でも大量生産の現代まではこんな風に楽譜を再利用することが多いらしい。受け継がれる譜面に前回のときの指揮者の細かい指示などが書かれてることもあるが、まぁなにか特別なことをやるつもりがないならそのまま使っても問題ないだろう。
「なら曲目はこれで決まりだな。プログラム変更の告知……いや、その前に、アリア。お前には学院があるし、本番までの時間もそんなにないから、早速稽古をつけるか?」
「はい。できればそうしたいんです」
「そうか。なら今日の練習時間は全部お前の好きなように使っていい。リンクスはまず『第八番』の楽譜を手配してくれ」
「わかりました」
楽譜の用意が完了次第練習開始だから、それまでに考えをまとめたい。今回はどんなパフォーマンスにしようかな?そもそも、私はどんなパフォーマンスを目指したいのか?『第八番』を指定した時点である程度イメージが出来上がったけど、実は私はまだ少し迷っている。
一昨日のお父様のパーフォーマンスを思い出す。あのブラームスの『交響曲第三番』、本当にすごかった。急激な音量調節。限界まで引き出した音色のバリエーション。自由自在に変動するテンポ……あんな大胆な表現ができるのは、指揮者とオーケストラがお互いのことを知り尽くしているからだと思う。
お父様とSWPOの絶妙な連携、まさに阿吽の呼吸と言える。そこから地球の一つ前の世代、20世紀後半と同じような雰囲気を感じる。カラヤンのベルリン・フィル、チェリビダッケのミュンヘン・フィル、ハイティンクのコンセルトヘボウ、ムラヴィンスキーのレニングラード・フィル、ショルティのシカゴ交響、など……そんな絶対的権威者による、10年、20年以上の超長期政権が当たり前だった時代。あの巨匠たちと同じ、うちのSWPOもお父様が引退しない限り監督の交代なんて考えられない。長い期間をともに歩んできたからこそ、そんな境地に至った。今の私には到底無理だ。自分の技量がまだ足りないのもあるが、SWPOともそこまでの関係を築いていない。そう考えると途端にすごいプレッシャーを感じ始める。お父様が序曲と協奏曲をやった後に私が後半をやると、両者のパフォーマンスが直接比較されるのではないか?『交響曲第八番』を選んだのは早計だったかも……?
ダメだ。ここでネガティブになっても仕方ない。考え方を変えよう。なぜ21世紀に入ると監督の交代スピードが急に上がったのか?私の所見を言わせれば、それは観客たちが新しい刺激を欲するから。様々なジャンルの音楽の躍進と、新しい技術による音楽媒体の発展。人々は今まで以上に便利に、贅沢に音楽を楽しめるようになった。それはクラシック音楽のシェアが急激に伸長する多数のライバルに奪われるのを意味する。飽きっぽくなった観客たちを引き止めるには、古き良きやり方では力不足だ。だから数年ごとに監督を交代させ、オーケストラとの組み合わせをシャッフルすることで新鮮味を保つ。新しい時代で生き残るのにそれくらいやらないとダメだよね。だから私のパフォーマンスがお父様に遠く及ばなくても別に構わない。人前に出せる基準さえ満たせばいい。お父様のと違う、他の指揮者によるパフォーマンス自体に意味があるのだ。
そう。こんなことで悩まなくてもいいんだ。深呼吸して、平常心を取り戻そう。これからちゃんと準備すれば、なんの問題もないはずだ。
それからSWPOに稽古をつけて、次の日からリハーサルもして……あっという間に週末のコンサートの、私の出番が来た。
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