チャプター3

NO.3-1 現状の整理と展望

 眠れない夜。胸騒ぎがして、ベッドから降りて水を飲む。なんとなく庭を眺めると、信じられない光景を目にする。


 急いで部屋から飛び出して、血だらけのお父様を介抱する。


「お父様!どうしたの、その怪我!」


「くっ、ヘマしちまった……」


「今すぐ人を呼んできますから!」


「待て!……それより、お前に話さなきゃならないこと、ある」


 話がぶっ飛びすぎてまだ信じられない。なんと、指揮者はお父様が世を忍ぶ仮の姿。うちは代々闇に潜む人類の敵と戦う魔法使いの一族だって!?


「本当は俺の代でこんな戦いを終わらせたかったが……こうなった以上、今すぐお前に『指揮魔法』を教えなければならん」


「……指揮、魔法……ですか?」


「そうだ。俺たちが使う指揮の技、実は『指揮魔法』由来だから、今まで勉強してきたお前ならすぐに使えるようになるはず。こんな魔法、できればお前には知ってほしくなかった。普通に音楽を楽しんで普通の人生を過ごせばいいと思ってた……しかし俺の怪我が治るまでみんなのことを守れない。もうお前に頼るしかないのだ」


 不謹慎だが、魔法が使えるようになると思うと、心が躍る。


「まずは、お前が一番得意そうな炎魔法だ。燃え盛る炎をイメージして、左手で『もっとっ!』のジェスチャーを……そして奏者にキューを出すように視線で着弾点を指定、タクトを振り下ろして発動……!」


 お父様の言う通りに、左手の手のひらを自分に向かって力を込め、庭にある大きい岩を睨みつけて……右手のタクトを振り下ろす!


 すごい!火の玉が直撃して、岩に黒い焦げ跡を残した。


「上出来だ。練習すれば威力と精度があがるから、後で自分でやれ。時間がないから早速次の魔法を教える。風魔法はまず左手でテンポを上げる指示を出すときみたいに円を描いて……っ危ない!」


 突き飛ばされる私がさっきいたところに、何本の闇の槍に串刺しされたお父様の姿がある。


「ぐはっ!」


「そんな!お父様、お父様ぁ!……うそだっ!こんなの、悪い夢よ……」


 その瞬間世界が眩しい光に包まれて、周りの何もかもが色褪せて、存在感をだんだん失われていく。


「………………えっ?」



――――――――――――――


 まだ空が薄暗い。いつもより早い時間に目覚めたみたい。


「――――――ひどい夢……」


 なぁにが指揮魔法よ。恥ずかしすぎる……もしこの夢のことを誰かに知られたら、もう相手を殺して私も死ぬしかない……


「これも全部、あの天使モドキのせいよ……魔法が使えるようにしてくれてもいいじゃない。ちょっとだけでも」


 多分最近校庭で魔法科の実習を見かけて、すごく楽しそうで羨ましかったから、こんなわけのわからない夢を……


 それにしても、夢の中では自然にスタンニスラウのことを「お父様」と呼んだね。現実では今でもまだ完全に割り切れないのに。夢の中みたいに素直に呼べなくてどうしても違和感を覚える。


 このまま二度寝してもいいけど、もう完全に目が覚めたし……布団から抜け出そう。せっかくの時間だ。シャルカちゃんが来るまで、現状とこれからのことについて考えよう。


 改めて考えると、この世界の私は本当に恵まれている。


 一番嬉しいのは、地球での最大な課題だったオーケストラとの信頼関係は、この世界では多分問題にはならないのがわかった。アリアにはSWPOという強力なカードがあるから。今でもSWPOとならかなりいい感じの連携ができるし、たとえ私がちょっと失敗をしても、SWPOはボスの娘を簡単に見限ることはしないだろう。


 この先SWPO以外のオーケストラと共演することもある。初めての相手ならまた一から信頼関係を築くことになるが、地球にいた時ほど苦労はしないだろう。あの時の私は(あの変態セクハラ野郎のせいで)コンクールで一回派手にやらかした生意気な小娘だった。でも今はSWPOのアシスタント指揮者としてすでに第一歩を順調に踏み出した。前世の私と違うのは肩書と実績だけ。しかしオーケストラの方から見ると信用は全然違う。本当、最初の一歩が肝心だね……


 前世であれほど悪戦苦闘したのに最後までできなかったことが、この世界ではなんの苦労もせずに手に入れた。そう思うとすごく複雑な気持ちになるが、そこにこだわると目的と手段を履き違えることになる。私の目標はあくまで自分が思う理想な音楽を形にして、それを観客のみんなにも共有させること。初対面のオーケストラに認めてもらえないのは途中の障害の一つでしかない。その障害が知らないうちに排除されたなら、私はただ幸運に感謝するだけでいい……いや、幸運ではなく、これは管理者のおかげだね。パトロンの真似事をやっていると自称するだけあって、あいつは私に足りないものをピンポイントに用意してくれた。あいつには色々文句を言いたいが、この点には本当に感謝してもしきれない。


 暫定的な最終目標は……あの作曲禁止の悪法をどうにかすることとしようか。それを実現するためにはまず帝国の政策に口出ししても許されるほどの名声と地位を手にしなければならない。根回しなどに使う金銭も必要かもしれない。あとは音楽活動で同じ考えを持つ人を増やして、世論を作り上げ……どうしても長期戦になるので地道に力を蓄えるしかない。


 そういえば、現在の皇帝は六年前当選したとき、お父様の一票で大勢が決まったみたいなものね。その貸しで皇帝に働きかけ、作曲禁止令の廃止に持ち込むことは可能なんでしょうか?……ん、厳しいかな。作曲禁止令を作ったあの馬鹿皇帝もゲルマニクス国王だったね。自分の先祖の勅令を撤回させるのはしたくないだろう。やっぱり地道にやるしかないよね……


 そういえば、お父様が復帰したし、これからアシスタントの私はどうなるの?公演するチャンスを得られる?まさかと思うが、マエストロが戻ったからもう用済み……いや、さすがに考えすぎか。でも、私の扱いについでは改めて話し合ったほうがよさそうね。今日はお父様がいない。診察のため昨夜から丸一日神殿に拘束されるらしい。先にSWPOの団員たちに話を聞いてみるか。



――――――――――――――


 アシスタント指揮者に就任してからの、私の初めてのSWPOとの稽古が終わった。近いうちに公演する予定のベートーヴェンの『交響曲第三番』と『エグモント序曲』をやってみた。別に私が公演するわけでもないから特に指示や要望などを出すこともなく、とりあえず最初から最後まで一通りやっただけ。まぁ最初だから無難に終わらせたほうがいいよね。


「プチパーティーだっ!」


 夜が更けてそろそろ寝ようと思うとき、ノックもなしにドアが開かれた。こんなことをする、そしてやっても許されるようなやつは一人しかいない。


「前回からずいぶん経ったのに、アリアちゃんから全然話に出ないから、仕方なくこのあたしが代わりに開催を宣言する!」


 トレイとワインで両手が塞がるも器用にドアを閉めるシャルカちゃん。そういえば私がこの世界に来てからまだ一度もやってないね。いつも楽しみにしてるシャルカちゃんがついに痺れを切らしたか。


「おお。たしかに久しぶりよね。ごめんね、最近いろいろあって完全に忘れたよ」


「もし後でアンドレイさんが確認したらアリアちゃんが言い出したことにするのは忘れないでね。じゃじゃーん!今日はアキエタニア産のいいやつを用意したよ!よく見てねこの色!なんとも美しい!」


 見せつけるように、シャルカちゃんがテクニカルに片手でワインを開けてトレイに載せたグラスに注ぐ。神秘的な深い紅の輝きを放つ、見つめると吸い込まれそう。ワインはアリアが大好きな嗜好品。前世の私も落ち込む時よくそれで気晴らしにした。でも今の私はそのワインを見ると、いきなり全身に悪寒が走る。


 私の前世の、音楽と関係ない記憶はもうほとんど残ってない。でもこれだけははっきりと覚えている。コンクールで敗退した夜。小洒落なバー。何度も私のやけ飲みを止めるマスター。路上で目覚めるも、体がうまく動かない私。迫りくる恐怖、襲いかかる衝撃。後悔、無念、未練……これは、アリアにはないはずの、致命的な破滅の記憶。


 胸が苦しい。息ができない。視界がゆがむ……


「アリアちゃん!?大丈夫?」


 慌ててトレイを下ろしてこっちに近づくシャルカちゃんに抱き付いて、しばらくすると私の体の震えがだんだん収まる。


「シャルカちゃん……ごめん。多分、私……もう二度とワインを飲めない。飲めなくなったの……」


「はぁ?どうして?あんなに好きだったのに……」


「どうしようもないのよ……私、夢の中で、ワインのせいで取り返しのつかない過ちを……だから、ワインを見ただけですごく怖くて、震えが止まらないの……」


「ゆ、ゆめのなかぁ?どういうことなの?」


「……本当にごめん。私が、うまく説明できたらいいけど、自分でもよくわからないよぉ……」


 私を気遣って何もないように装ってるけど、シャルカちゃんはプチパーティーができなくなってがっかりしてる。シャルカちゃんがいつも楽しみにしてるちょっとした贅沢だから。そうか、今日だけの話じゃないよね。私が二度とワインを飲めなくなったなら、今後開くことがもうなくなるか。私の都合でこうなったから、代替案を提示するのも私の責任よね。


「もう平気よ。そろそろ始めよう」


「え?私はいいけど……その、大丈夫なの?ワインを見るだけでもつらいよね?」


「今は大丈夫。多分、見るだけなら平気」


 今後一切アルコールを飲まないと決意したら、不思議と具合が良くなった。


「そっか。でもプチパーティーしても、あたしだけ飲むのは……」


「ワインが飲めなくても、ぶどうジュースなら気分だけでも味わえるじゃないかな」


「わかった!今すぐ用意するからちょっと待ってね!」


 素早くジュースを取って戻ったシャルカちゃんといっぱいおしゃべりして、楽しい夜を過ごした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る