NO.2-2 異世界の音楽史やばすぎてビビった

 図書室を後にして、校門で迎えに来てくれたシャルカちゃんと合流。馬車に乗って南区画の神殿に向かう。前世で聞いた話では振動がきついらしいので警戒してたが、この世界の馬車は魔法で制御されているみたいから意外と快適。でもアリアの一般人程度の魔法知識ではどういう仕組みなのか全然わからない。


 馬車で移動している間、この世界について判明したことを振り返ろう。アリアが住んでいるこの国はウェンディマール王国と言う。そして王国のさらに上には、この大陸全土を治める帝国の存在がある。


 神聖オーラニア帝国。このオーラニア大陸の五大王国が外交併合に合意し、他の国や都市国家をまとめて一つの巨大帝国になってからすでに二百年。構成国それぞれ高度な自治権を持つゆるい体制だけど、一応形式上大陸全土を統一したことになる。王国の間の小競り合いも、災害や伝染病、農民反乱もあったが、概ね平穏無事の二百年だと言える。経済の繁栄によって文化と芸術が発展し、その中で特に際立つ進歩を遂げ、そして最も人々に愛されるのが音楽。今では音楽は帝国の皇帝選に影響力を持つほど大きな存在となっている。


 神聖オーラニア帝国の皇帝は五大国の国王の中から選出される。構成国の内政に干渉できないが、帝国の外交、皇帝直轄領の運営、自由都市の税収の一部など大きな権限を得る。代わりに帝国を外敵から守る義務を背負い、そして数多くの構成国の間で揉め事が起こるとき公正に仲裁しなければならない。最初皇帝選に投票権を持つのは五大国の国王、三人の大主教、そして自由都市リューベングの都市長。しかし三十七年前、大主教の一人の重大な不正とスキャンダルが摘発され、大主教領は取り潰され皇帝直轄領になった。翌年の皇帝選でその大主教が持つ一票の扱いは議論の末、ちょうど同じ時期で開催のローサリンガン帝国音楽祭の優勝者に託すことになった。帝国音楽祭は十五年に一度だから皇帝の任期も合わせて十五年に改定した。


 帝国の最高権力者を決めるトータル九票の中の一票、それが今の帝国における音楽の価値だと言えるだろう。と言っても、これまでの優勝者は勝手に投票せず自分の出身国の意向に沿うようにしている。六年前の帝国音楽祭で優勝したお父様もウェンディマール王の指示通り、王のいとこである隣国ゲルマニクスの国王に票を入れた。自分の一票とウェンディマールから二票を集めたことでゲルマニクス王は今期の皇帝に選ばれ、ウェンディマール王はいとこに恩を売ることができた。ちなみにウェンディマールも五大国の一つだから国王は皇帝になる資格はあるが、ウェンディマール王は義務が増えるのがいやだから最初から皇帝になりたくないらしい。


「手続きをしてきますので、アリア様はこちらでしばしお待ちを」


 見舞いの手続きが終わり、シャルカちゃんと神殿の裏から病室エリアに入る。サレンジア伯爵の娘が見舞いに来たと聞いて、神官たちは興奮気味で個室まで案内してくれる。


 六年前のローサリンガン帝国音楽祭の優勝者はアリアの父、当時まだワルマイヤ男爵のスタンニスラウ・クリューフィーネと、後にSWPOになるワルマイヤ・フィルハーモニアオーケストラ。スタンニスラウは国の英雄となり、褒美として王都の近くに新しい領地をもらい、伯爵に陞爵、そして「ウェンディマールの至宝」と呼ばれるようになった。帝国音楽祭でスタンニスラウが指揮したのはブラームスの『ゲルマニクス・レクイエム』――あっ、『ドイツ・レクイエム』のことね。ややこしいからこれから自分の脳内なら地球での呼び方で統一しよう。音楽祭の時お祖父様の元にいたアリアはその『ドイツ・レクイエム』を聴くことができなかったが、伝説となったパーフォーマンスだから色々と噂を聞いた。あれは多分、一種の「再現できない」パーフォーマンスだと思う。


 親しい人の死によって、パーフォーマンスが特別なものに昇華する……というのは迷信に聞こえるかもしれないが、それを信じている人が多い。私もそう。そういう感じに近い例はいくつも知っているから。最近数年で聴いたパーフォーマンスであれば、ヤクブ・フルシャが恩師ビエロフラーヴェクの追悼コンサートで指揮したドヴォルザークの『スターバト・マーテル』かな。あれは、やばかった。あのステージの上に言葉では言い表せないなにかがあった、としか思えない。


 ローサリンガン帝国音楽祭でのお父様もそうだったと思う。ワルマイヤから出発の時、高齢と病のせいでアリアのお祖父様はすでに意識不明の重体。そして会場に着く時訃報が届いた。もう二度と会えないお祖父様への想いを込めた、お父様の『ドイツ・レクイエム』の演奏が終わったとき、涙を流していない観客がいないと言われている。


「あれ、シャルカちゃんは行かないの?」


「うん。おじさんはもう大丈夫だと聞いたし、それならあたしがいないほうがいいかなーと。家族だけの話もしやすいし。あたしは外で適当に時間を潰すから」


「わかった。じゃまた後でね」


 さて、これからいよいよ異世界のマエストロと初対面。アリアの父に会うだけなのに緊張する。昨日は少しだけ会話したこともあるけど、あんな状況だから私的にはノーカウント。


 ノックしてドアを開けたら、ソファーで仮眠しているお母様が起きた。ベッドで横になっているお父様は私を見るとニヤニヤと笑い、予想外のことを聞く。


「聞いたぞ。演奏終わったとき硬直したらしいな。危うくもう一回繰り返してしまうところで助けてもらったじゃないか」


 なんで神殿にいるお父様までそれを知ってるの?私が硬直したのはごく短い間。観客たちが気づくとは思えない。


「はぁ?それ誰から聞いたの?セルジェンクさん?それとも、他の団員さん?」


「あいつらが指揮者を売るような真似をするわけないだろう。ほら、これを読んでみろ」


 これは、最新号の王都音楽評論誌?昨日のコンサートのことがもう記事になってる?早すぎない?……ちょっと、このヘッドラインのタイトルって――


「なっ、なななっ、何が『真紅の新星』よ!まだデビューしただけなのに、人にこんな恥ずかしい二つ名を押し付けて……!」


「そうか?お父さんはかっこいいと思うがな」


「くすっ。お母さんも素敵だと思うわ」


 にやけているお父様と、楽しそうにしてるお母様……もう、二人とも他人事だと思って……


 評論誌を読み進めると、記事もコラムもほとんど私のデビュタント・コンサートのことしか書いていない。なんでこんなにも注目を集めたの?「ウェンディマールの至宝」の娘だから、ある程度は仕方ないと思うけど、さすがにこれはやりすぎなんじゃない?そりゃ昨日みたいなアクシデントは話題にしやすいでしょうけど……


「……なんなのよ!このビュリーアールってやつ!なんでこんなこと書いたのよ!」


 私の金縛りとセルジェンクさんの合図。演奏が終わる時の状況がはっきりと記事になっている。すごい観察力とは思うけど……普通こういうのは気づいたとしても言わぬが花でしょう?なんで暴露したのよ!しかも発行部数推定五千以上の音楽評論誌で!それに私はちょっと感極まって、動きが止まったけど、繰り返しの回数を間違えるほど間抜けじゃないし!記事を面白おかしくするためにあんな見当違いの憶測を……


「まぁそう怒るな。あいつは、俺たち楽師がいやなことを書くのが仕事みたいなものだからさ」


「そうそう。アリアもビュリーアールさんの記事あまり気にしないようにね。慣れるとどうってこともないわ」


「そうだな。俺もマニエラもあいつにボロクソ書かれたし――」


「あら。私はビュリーアールさんの記事に叩かれること今まで一度もないよ?」


「えっ」


 お父様が一瞬フリーズして、そしてすぐに原因を思い当たった。


 アリアの母、マニエラはソプラノのオペラ歌手。今では歳を重ね子を産んであまり主役を演じなくなったが、二十年前のマニエラは王都でまるでアイドルのように人気を博した。あの時のお父様はまだ弱小の田舎貴族で無名な地方楽団の指揮者。はっきり言って、王都で大人気のお母様と釣り合わない。なのに数多くの求婚者の中から、お母様はお父様を選んだ。そんな結果に誰も納得しなかったが、二人が結婚してアリアが生まれてから数年経つと、ローサリンガン帝国音楽祭でお父様は大陸中に名を轟かせた。そしたら今度はお母様の男の潜在能力を見極める鑑定眼が名を馳せるようになった。


「そうか……あの野郎も、昔はマニエラのことが……見損なった。まさか好きだった女に忖度するようなやつとは思わなかった……」


「ちょっと!どうしてそういうことになるの?私が完璧だからかもしれないわよ?」


「あはははは。面白い冗談だな」


「なんですって!?」


 はぁ、二人がまた喧嘩して……娘のアリアから見るとお父様たちはとても仲がいい夫婦だが、とにかくすぐに喧嘩する。特に二人が共演するときがひどい。カーテンコールの後必ずと言っていいほど大喧嘩になる。それも二人の間の愛情表現かもしれないが、他の共演者たちへの迷惑も考えてほしいところだね。


「ところでお父様、体調はどうでしょうか?なんだがとても元気にしているように見えますが……」


「見ての通り、すこぶる快調だ。すぐにでも復帰したいところだ。今から抜け出して明日の夜のコンサートのリハーサル――」


「させるわけないでしょう!あなたは毎回そう!治療を受けて具合がよくなったらすぐに無理しようとする。今回はちゃんと治療官の言う通りに神殿で休養しなさい!」


「そんな殺生な!こんななにもないところに閉じ込められるのは嫌だ!」


「自己管理を怠ったからこうなるのよ。とりあえず来週までのコンサートは全部キャンセルね。神殿で大人しくしなさい」


「……とまぁ、こんな感じで俺はここで拘束されてな。SWPOの稽古どうするか……アシスタント指揮者のアリア嬢に託しても大丈夫かな?」


「………………えっ?」


 アシスタント……指揮者?アリアが?……えっ?私が?


「お前もちゃんとデビューしたし、そろそろ正式に任命してもいいと思うが……どうだ?引き受けてくれるか?」


「は、はい!でもどうして、こんな急に……?」


「さっき二人で話したわ。今回は長めの休養を取らせたいから、オーケストラの面倒を見る人が必要ね。今後このバカの仕事量を減らすためにも、アリアにはちゃんとした肩書を与えてルーチンワークを分担させたほうがいいと思うわ」


「お前が俺が思った以上にしっかりしているからな。昨日のあの状況でも乗り越えたくらい……あぁああああどうして俺が観れなかったのか?娘の晴れ舞台だぞ!神はなんて残酷だ!」


「はいはい、それもあなたの自己管理がなっていないからね」


「いや、俺が倒れなかったらそもそもアリアがステージに上がることもなかっただろう?……まあ終わったことだから仕方ない。後で昨日の様子をもっと詳しく教えてくれ」


「はいはい、いくらでも語ってあげるわよ」


「あ、あの、せっかく私を信用して、SWPOを任せてもらえたけど……」


 正直今はそんな余裕がない。やることが山積み。もっとこの世界のことを詳しく調べないといけないし、アリアとして生きることに慣れる必要もあるし……


「……私が出す最初の指示は、練習ではなく、一週間ほどの休暇にしたいのですが……それでよろしいですか?」


 私の言葉はアリアの両親にとってよほど意外なものみたい。二人とも何も言わず、微妙な顔になって考え込む。


「……だめ、ですか?やっぱり私が、ちゃんとしないといけないですね。お父様がいない間SWPOを、」


「違う、そうじゃない。お前のことだから、興奮してすぐに稽古をつけようとすると思った」


「そうそう、新しいおもちゃに飛びつくような勢いではしゃぐじゃないかと思ったわ」


 私の不安を和らぐように、二人は優しく微笑んで茶化す。


「わ、私は、そんな子供みたいなこと、しませんよ……」


 確かに今までのアリアなら、そうしたかもしれないが……つまり、ここにいる私はもう、両親が知っているアリアとは別物なのか?


「休暇の件、もちろん大丈夫だ。来週までのコンサートが中止になったし、しばらくはなにもないから、休養にするのも悪くないか」


「肩書が増えただけで深刻に考える必要がないわ。アリアのやることは今までと大して変わらないと思う。後で一度屋敷に戻るから、夕食は一緒にしましょうね」


 二人の気遣いは私を心苦しくさせる。私は別に、アリアのお父様が倒れたのが心配でも、お母様が帰ってこないのが寂しいわけでもない。ただ自分のことを考えてただけなのに。


 私は、本来のアリアのように両親を愛すことができるのか?私に、アリアの両親に愛してもらう資格があるのか?



――――――――――――――


 神殿から屋敷に帰還、夕食のあとシャルカちゃんを部屋に呼び寄せた。


「どしたの?プチパーティするの?あっ、そっか。昨日の祝勝会だね?」


「ううん。今日は改めて音楽の歴史について教えてほしい」


「ほぇ?まだテストがあるの?もうすぐ卒業なのに?」


「テストはもうないよ。私も正式にSWPOのアシスタント指揮者になったし、これからはちゃんと自分の力で立ち向かおうかな、と思ってね」


 それを聞いてシャルカちゃんは嫌そうな顔をする。


「あたしの個人授業今後もういらないの?お役御免なの?またメイドの重労働をしなきゃならないの?」


「まぁ、そうならないように手を尽くしましょう。また何らかの役目を作ってみるとか」


 もしかしたらシャルカちゃんの役目作りも、アリアが音楽史の勉強をしない原因の一つかもしれない。お調子者で時々バカなことやらかすけど、シャルカちゃんはあれで意外と頭脳派。お父様もシャルカちゃんをただのメイドにしては惜しいと思って、仕事の合間に王都公立学校の通信教育カリキュラムを修了させた。


「約束だよ!次も本を読むだけの仕事を所望する!」


「その代わりちゃんと教えて下さいね。大まかの振り返りでいいから、今回の授業で一気にケリをつけるつもりでお願い」


 地球の音楽史をよく知っている私なら、違うところさえわかれば大丈夫かな……ちょっと楽観的な予測だけど、今夜で終わらせたい。


「これは長くなりそう。じゃ始める前に飲み物取って来るね」


 しばらくして、シャルカちゃんは紅茶と茶菓子をトレイに載せて戻って来た。アリアとシャルカがよくやる夜のプチパーティと言えばワインとチーズとナッツだが、今日は真面目な勉強だから用意したのはティーセット。


 シャルカちゃんの授業でこの世界の音楽史を振り返る。ほとんど失われた古代の音楽、中世の聖歌、急成長のルネサンス期と多様性のバロック期、そして巨匠たちが築き上げた古典時期……ここまでは地球と変わらないみたいが、そろそろなにか強烈なのが出てきそう。私の勘がそう言っている。


「――ポスト・ベートーヴェン時代の音楽はどこへ向かうべきか、みんなが手探りしている最中で、楽壇に大きな衝撃を与える、ベルリオーズの『幻想交響曲』が発表された。楽章ごとに題名をつけて、プログラム・ノートに具体的な解説をするスタイルは、たくさんの批判を招いた。ここで注目すべきのは、ロベルト・シューマンがベルリオーズの味方をして、革新的なスタイルだと称賛した」


 ………………ん?????


 地球でも、確かにシューマンは『幻想交響曲』の擁護をした。でも「音楽自体は素晴らしいが、変なタイトルと説明文のせいで損している」と評した彼は、別に音楽に物語性を持たせる手法に賛同したわけではない。初めてこの世界で、地球との大きな分岐を見つけた。


 なんだが雲行きが怪しくなってきた。この時代のキーパーソンの一人であるシューマンがこれなら、ロマン時期にかなり大きな改変がありそう。それもヤバそうな感じのやつ。


「――ここからは楽壇で有名な話。恩人シューマンの妻クララに、密かに想いを寄せてブラームスは、やがて一つの暴挙に出た……クララを口説いて、二人が駆け落ち――」


 飲みかけの紅茶を盛大に吹き出した。


「うわっ!アリアちゃん、きたなっ!」


「ご、ごめん!びっくりして、つい……」


 だって、あのむっつりの権化<*1>であるブラームスが……あのヘタレが服を着て歩いてる<*2>みたいなブラームスが略奪愛だなんて……


「知らなかったの?これ、音楽史の勉強をしてない人でも知ってるくらい、有名な話だよ?」


「そ、そうね……そういうゴシップ的な話あまり興味がないから、かもしれないね」


 ブラームスがクララに懸想していた話、地球でも有名だけど本当は確実な証拠が一つもない。ブラームスは自分の想いをずっと胸の中に押し込めて、決して表に出さなかったから。その態度がすごくバレバレだけどなぜか本人は隠し通していると思ってたみたい<*3>。というか、そういう爛れた話、どちらかと言うとワーグナーの担当じゃない?あ、もしかしてこれはワーグナーがリストの娘を寝取ったエピソードをそのまま移植してきたんじゃないかな?


 このあたりが肝心なところだから、気になる箇所は直接シャルカちゃんに聞くことにする。えっ、極貧生活を毎日楽しく過ごせたと言われるあの楽天的なシューベルト、こっちでは死後その作品とともにメンヘラ闇手記が発見?逆にその作品を見つけたシューマン、地球では何度も鬱病発作だけどこっちでは脳天気キャラ?……他にも変わったことがいろいろあるけど、やっぱり一番ショックなのなブラームスとワーグナー。ロマン期を代表する二人の巨匠にして対立する二つの派閥の旗頭。彼らの性格から逸話まで、何もかもがまるで立ち位置を交換したような感じに。しかしそれは力技による強引な処置。そもそも二人の人間性が作品に深く反映しているのに、人が変わって作品だけ元のままなんてありえるの?……もうめちゃくちゃだ。


 私の頭の中がもうぐちゃぐちゃになってるけど、シャルカちゃんの授業がまだ続いてる。でもすでにこれだけの衝撃を受けたから、もうこの先どんなことになっても驚くことはない……と思う。そうであってほしい。


「そして今の音楽界に絶大な影響を与える出来事は、ブラームスの『交響曲第四番』の初演で起きた。観客の反応は悪くないが、『交響曲第四番』の陰鬱な雰囲気が嫌いという意見もあった。その一部気に入らない観客の中に、皇帝シジムンド六世がいた。ベートーヴェンの信奉者として知られている皇帝はこう言った。『ベートーヴェン亡きから数十年、未だに同じ領域に到達した作曲家がいない。これ以上新しい楽曲を創作するのはもはや人的資源の無駄。今後楽師たちは現存の音楽をより洗練なパーフォーマンスにすることだけに専念すべし』。こうした皇帝の命令をもとに、帝国議会は『作曲禁止令』を正式な法令にして頒布した」


 あぁ……あの『交響曲第四番』が気に召さなかったか。あの曲、私は大好きだけど、受け入れられない人の気持ちも理解できるような気がする。美しくも虚しく、うつ病みたいに不安定だから、聞くだけでやるせない気持ちがいっぱいになる人もいるだろう。一体どういう精神状態であんな曲を書いたのか、非常に興味深い。私の解釈では、いい年して独り身だから、寒い夜になると寂しい気持ちが募る<*4>じゃないかなと考えている。


 なぜ皇帝があんなにも激しく反応したのか、考えられる原因はまず、あれは初演の場だから。初めて世に出る新作、誰もそれがどんな曲なのかが知らない。そして多分あのベートーヴェンマニアの皇帝もブラームスを後を継ぐものとして見ていた。もし『交響曲第四番』がベートーヴェンの作品みないな、光と闇の戦いを描く壮大なエピックになるのを期待していたなら……演奏が終わる時裏切られたと思ってもおかしくない。


 しかしいくら皇帝でもあんな横暴が許されるのか?みんなベートーヴェンを超えることができないからって作曲を禁止するなんて……そりゃ確かにベートーヴェンは偉大すぎて、特にあの九つの交響曲はまさに越えられない壁なんだけど……それでも新しい楽曲を創作することは決して無意味ではない。芸術において多様性はとても重要な要素。観客たちは常に新しい刺激を求めている。いくら大好きな料理でも毎日食べると飽きるでしょう?そんなこともわからないのかあのバカ皇帝は?


「そこからはアリアちゃんも知っての通り、音楽科から作曲の授業がなくなり、演奏の技を磨くことだけに集中するようになった。有名な音楽家たち、例えばおじさん昔指導を受けたことがあるマーラー先生も、作曲活動を断念して指揮者一本にしぼることに」


 あ、そうだ!思い出した!お父様は若い頃あのマーラーの元で数年間修行したことがある!すごくない?ああもっとその時の話を聞きたいなぁ……でも私が急にそんなこと聞いても大丈夫かな?変に思われない?今は我慢するしかないかな……


 地球でブラームスの『交響曲第四番』が初演されたのは1885年。その直後に皇帝が作曲禁止令を出したなら……あ、違うか。シャルカちゃんの説明では、議会の審査で実際の法令はこんな感じになった。「この法令が頒布された時点から一切の作曲行為を禁ずる。ただし五年の猶予を設け、現在作曲途中の作品は期間内完成させて公開しても処罰の対象にならない」。つまり本当に新曲がなくなるのは、もう少し後のことだった。


 そうか、19世紀末からの曲はほぼ全滅と見るべきか……ってことは、この世界に、ドビュッシーもラヴェルも、ラフマニノフもスクリアビンも、シェーンベルクもヴェーベルンも、ストラヴィンスキーも、ブーレーズも、レイフ・ヴォーン・ウィリアムズも、ブリテンも、ヒンデミットも、メシアンも、シベリウスも、ヤナーチェクもマルティヌーも、コダーイもバルトークも、ハチャトゥリアンも、ガーシュウィンも、プロコフィエフもショスタコーヴィチも……彼らの作品が全部<*5>なかったことに?


 ありえないありえないありえない!この曲も、あの曲も、いつかやってみたいと思ったのに!この世界ではできないと言うの?


 いやいや待て待て。まさにこのためにあの管理者から能力をもらったんじゃないか。この世界に存在しない曲でも、「私が知っている楽曲の譜面を創り出す能力」なら……


 よし、授業が終わったら早速能力の検証をしよう!



~~~~~~

<*1>アリアの偏見に満ちたイメージです。真に受けないでください。


<*2>アリアの歪んだ個人的な感想です。本気にしてはダメです。


<*3>アリア自身もろくに恋愛経験がないのにそれを棚に上げてからの憶測による見解です。必ずしも正解とは限りません。


<*4>アリアの失礼極まりない勝手な解釈です(ry


<*5>20世紀で活躍した作曲家たちだが、中には活動期間が長く、1890年代以前の作品がある作曲家もいました。だから厳密的に言えば「全部」ではないが、アリアはあまりのことで混乱してそれに気づく余裕がありませんでした。

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