W.A.Mozart: Symphony No.39 K543

 とても盛大な、豊かな音でパーティーの始まりを告げる。


 会場に次々と到着する招待客たちに、ホールの階段から優雅に降りてくる主催者。それを音楽でかたどるように、ティンパニが随伴するリズミカルな楽団総奏で客人の足音、続いてバイオリンの流れ落ちるような下降音階でホストが歓迎する模様を描写する。


 いつ、どこで『交響曲第39番』の初演が行われたのかは定かではない。今わかる一番古いのは、ハンブルグで初めて演奏された時の様子を観客の一人による記録。彼は最初の総奏にひどく驚いた。「これまでの音楽にこんな衝撃的な響きがあるのだろうか」と書き残した。豊富なアイディア、緻密な対旋律、人の耳ですべてを聞き分けるのは不可能であろうと、彼がそう断言した。その場にいた観客全員が一瞬で贅沢な音の饗宴に魅入られ、冷やかしに来た客たちでさえ沈黙し、大人しくコンサートを楽しむようになった。


 しばらく続く動きと止まりの交錯。まるで参加者たちがお互いにあいさつして、そしてまた次の知人のところに行く様子みたい。その裏では舞踏会の用意は着々と進んでいる。


 参加者が集まったところで、序奏は勢いを失いやがて泡沫のように消える。一息入れてから、緩やかに、ゆかしく第一主題を舞う。ダンスの始まりだ。


 『第39番』からはじまるモーツァルトの最後の三つの交響曲は三大交響曲とも呼ばれている。私はこの三大交響曲がそれぞれモーツァルトの「過去」、「現在」と「未来」を象徴すると考えている。


 陰鬱で神経質な調べで異質な雰囲気を醸し出て、最後まで救いがない『第40番』はきっと、モーツァルトが自分の現状に対する不満と憤り。


 対して『第41番』はこれまでのどんな作品とも一線を画する。ロマン時期への道を切り拓いたのは間違いなくベートーヴェンだが、この『交響曲第41番』から私は同じような気配を感じる。もしかして同じ未来へ続く可能性もあったかもしれない。


 そしてこの『第39番』は、いつものモーツァルトの延長線上にある。いつもより一歩先に行ったみたいな作品。とても馴染み深いけど、いつも以上に豪奢で綺羅びやか。在りし日の栄光の集約、これまでの集大成――これが私が思う『交響曲第39番』。


 優雅なメロディに続いて、金管も加え豪華絢爛の全合奏で場を盛り上げる。素早く駆ける弦楽のステップに、参加者たちがそれぞれ手をつないで一つ一つ大きい円と小さい円となる。ここは三角を描くような三拍を指揮する動きを丸くさせて、踊るような感じを表現する。


 急がずに、最適なスピードで舞う。これは第一楽章だけでなく、『交響曲第39番』全曲を通して非常に大切な心構えだと思う。速すぎて雑になるのは絶対に防がなければならない。


 最後にもう一度円を描いて、区切りをつけて第二主題に入る。そこにはさっきのパーティーの会場と違う光景が広がる。絹のような細くて柔らかいバイオリンのメロディを紡ぎ出すためには、ここは手の動きを最小限にして、腕ではなく指でオーケストラを動かす。


 この第一楽章の大きな特徴として、第一、第二主題どちらも明確な、わかりやすいモチーフが見つからない。音楽分析の角度で見ると、私なら二つの主題をそれぞれ三パートに分けるかもしれない。提示部だけで合計六つのパーツになる。おまけに二つの主題の間に鮮明な性格の対立が見られない。なのに第一と第二主題の間の境界線は非常にわかりやすい。そこがまさに匠の技だと感服する。


 続いて弦楽で違う模様の生地を織りだして、終わったらひっくり返して、今度は木管の生地に弦楽の刺繍を入れる。こういう違う楽器が交代して対話するように同じメロディを奏でるところ、私は大好き。


 最後に第一主題の面影を見せて、提示部の冒頭に戻り一度繰り返す<*1>。次の展開部は第二主題の生地織りから始め、気づいたら円を描くところにいた。客たちは自由に会場を歩いて、会話したり、軽食を摘んだり、そのまま踊り続ける人もいる。こんな風に提示部の主題を自由自在に変化させたり、組み合わせたりのが展開部だから。


 僅かな静寂の間を経て、木管だけの静かな語りで一度テンションを落ち着かせ、仕切り直して再現部に。始まりは提示部と同じだが途中から変化して、第二主題を同じ主調で統合される。このままギアを上げてタクトを大きく回し、縦横無尽の華麗な円環の陣を築き上げ、第一楽章を終わらせる。


 すごい。オーケストラをまるで自分の手足のように自在に動かせた。ここまで完璧に私の指示に応えてくれたのは、SWPOの技量が高いだけでは説明できない。充分な準備ができてないこの危機的状況で、まだ未熟な私を支えたい気持ちを感じ取れる。私のことをよく理解してくれて、そして私の意思を汲み取って、私の指示に足りないところがあれば自発的に補おとしてくれる。


 指示を受ける側が采配を振る人を気遣う。そんな若干歪んだ指揮者とオーケストラの関係だが、急に代役を引き受けた新人の身としてはそんなに恥ずかしいことでもないかな。


 大学で練習したときもかなりいい感じに連携できたと思うが、あの時は私とオーケストラどちらもアマチュア以上プロ未満だから、こんな風にはなれなかった。こんなにもやりやすいのは初めての経験。このまま行けば、なんでもできちゃうみたい。


 ……ダメよ。第一楽章が無事終わっただけで舞い上がるのは。深呼吸して、タクトをポケットにしまう。次は低速楽章。タクトを使わず、指の動きで繊細な指示を出すのが定石。奏でるのは穏やかで、柔らかな調べ。私はこの指で観客たちに安らかなひとときを贈る。


 この第二楽章の大きな特徴として、序盤ではほとんどのフレーズは低いところから始まり、高い方に進む。一歩ずつ、階段を登るように、ゆっくりだけど確実に上を目指す。


 アリアがこの『交響曲第39番』が大好きな理由の一つはここにある。クリューフィーネ家は下級貴族だったため、幼い頃のアリアは田舎で平民たちと一緒に育った。後にスタンニスラウが伯爵になり、王都で音楽活動をするようになった。そのせいでいきなり王都の貴族子女の群れの中に入れられたアリアだが……立場の急激な変化、渦巻く嫉妬と悪意、そんな環境に馴染むはずがなかった。何度も挫けそうになった。


 そんな時、娘のことが心配だったスタンニスラウはアリアにSWPOの練習を見学させた。『交響曲第39番』を一通り最後までやって、注意点をアリア向けに解説してくれた。第二楽章の性格について、スタンニスラウはこんな風に解釈した。「一歩、一歩、焦らずに、自分のペースで進めればいい」と。もちろん、アリアの王都での生活も同じ。すぐに適応できなくても気に病まなくていい、と言ってくれた。


 どうしてだろう。これはアリアの記憶。私とは関係ないはずなのに、すごく心に沁みる。管理者によると、アリアは私の性格、能力、経歴を参照して作った器。じゃアリアのこの記憶は、私の前世に実際あった出来事を元にアレンジしたかも……?


 ……いや、今はそんなこと考える場合じゃない。指揮に集中しないと。ここからメロディに変化が生じ、一瞬短調の陰に潜め、雲行きが怪しくなる。でも大丈夫。波乱が起こっても、私はちゃんと対応できる。そう、焦らずに、自分のペースで進めれば……


 嵐が去り、また平穏な日々に戻った。ここまで普通にやれたし、後は特に問題になりそうなところはないかな。平常心を保ち、ミスをしないようにすれば、もう一回の嵐も無事やり過ごせるはず。


 二回目の嵐も乗り越えて、取り戻した日常で心を癒やし……あとは階段を最後まで登りきって……よし。第二楽章はこれで終わり。タクトを取り出そう。


 ――さて、ここからの第三楽章は特に細心の注意を払わなきゃならないと思う。繰り返しが多いから万が一間違えたら大変なことに。


 最初にこの第三楽章の譜面を見たとき、わずか3ページ<*2>しかないことに私は驚いた。小刻みで、延々と続く規則正しい動く、非常に精密で洗練な機械仕掛けみたい。多くのリピートで構成され、迷路みたいに入り組んでいる。まるで同じような景色を何度も見かける迷いの森で遭難する気分になる。アリアは普段からSWPOと一緒に練習しているけど、まだお互いのことを知り尽くしているほどでもないし、今回は準備不足もあるし……誤解が生じるのを防ぐためにもタクトのモーションを大きくして、指示はできるだけ明瞭にする。


 でもこんな風にすると、メヌエットにしてはやや硬くなりすぎたような気もする。もっとダンスするのを想定するような感じで行くべきかな。正確さを求めながら愛嬌ある一面も表現しないといけない。中身は精密機械なのに見た目は愛らしい。本当にとても不思議で奥深い曲だね。


 続いて、真ん中に挟まれるトリオ(楽曲の中間部)。ここはクラリネットの見せ場。「自由にやって」と念じるように視線を送って、あとのことは任せるだけでいい。こんな時過剰に干渉しないのもオーケストラとの信頼関係の一環だから。


 そしてまた精神を削る迷路パートに入る。こんなにも可愛らしい曲なのに、たまには小悪魔の囁きのように聴こえる。


 あとは、最後の第四楽章だけか。このような高速な楽章は熟練の指揮者と十分に練習できたオーケストラなら、ある程度簡略化した動きでも大丈夫だが……今の私の場合律儀にタクトで細部まで全部制御するしかない。ここまで来て雑になったらいやだし。


 私の動きとともに滑り出す軽快な調べ。最初のこれは第四楽章全曲を通して支配しているモチーフでもある。この先何度もやるし変化した様々の姿を魅せることになる。


 この明るくて快活な最終章は軽快に進んでも、決して軽薄にはならないように注意しないと。丁寧に強い音と弱い音を分けて、はっきりと聞き分けられる整然たる秩序を構築する。


 控えめに始まった音楽が次第にぎやかになり、モチーフを中心に色とりどりの変化と装飾を加え、華麗に広がる。次の段階に進んで弦楽が優美なメロディを引き受けると、モチーフは背景に潜み代わりに木管が受け持つ。クライマックスのあとまた最初のモチーフに戻り、今度は交代で各部木管の対話で表現する。そしてもう一度弦楽と攻守交代して提示部が終わる。よし。繰り返しだ。このままもう一周駆け抜けよう。


 この先の中盤からは古風な構造となる。展開部と再現部をまるごと繰り返す。それで楽曲の最後を飾る壮麗なコーダもない。特別なことはなにも起きない、非常にあっさりとした終わり方。だから最後まで平常心を保ち、テンションを上げすぎないようにするのがキーポイントだと思う。


 あれ?終わった、の?……いや、やり遂げた、のか。無我夢中だったから、実感がわかない。


 ぼうっとしていると、コンサートマスターのセルジェンクさんの動きに気づいた。楽器を肩に置くまま、右手が持つ弓で密かに合図を送っている。


 気がついたら、私は金縛りにあったように止まっている。慌てて構えを解き、団員たちも楽器をおろした。そうだ。まだ仕事が終わってない。台から降りて、振り向いて満場の拍手を見ると、今日のカーテンコールは長引くだろうと予感する。



~~~~~~

初回だから色々説明しないといけないところが多いけど……すごく悩みました。果たしてどこまで説明を入れるべきか。さじ加減が非常に難しいです。どこまで、そしてどんな風に描写するのが最適なのかも最後まで悩みました。この先も楽曲パートに入るたび頭を抱えるでしょう。しかしこの作品では絶対に回避できない問題だからやるしかありません。あまり難しくしても意味がないのでなるべく誰でも理解できるようにしたいです。もし興味が湧いてもっと詳しく知りたいなら「ソナタ形式」とかで検索してみたら幸せになるかもしれません。ちなみに私はソナタ形式が大好きです。天使モドキの管理者風で言うとこんな感じかな、「あんなにも緻密な構造と理論、究極的様式美、一体どうやって作り上げたのか、本当に不思議なんですね」。


次回以降の楽曲紹介は説明済みのところを飛ばしていいから、相対的にあっさりとした構成になりそうが……あくまで今の所の予測です。



<*1>ソナタ形式の提示部の繰り返しは指揮者の判断や録音媒体の都合で省略されることがあります。なのでもし作品中の繰り返しの描写と違うパーフォマンスを聴いたとしても別に不思議なことではありません。今回紹介された『交響曲第39番』でも第一楽章の繰り返しを省略することや、第四楽章後半の繰り返しを省略することがあります。この作品中では繰り返しを省略するか省略しないかの判断はなるべく多数派に合わせるようにしたいと思います。


<*2>第三楽章の総譜のページ数は出版社と印刷のバージョンによって異なります。記憶があやふやだが2ページだけのも見たことあるような気がします。

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