第31話 永らえる
時間がすり減っていく⋯⋯。
こんなことに使う時間はないはずなのに。悔しい。
「⋯⋯」
同じベッドの中、遼はわたしを背中から抱きしめてなにも言わない。ギュッと抱きしめられて、痛いくらいだ。
「めぐは⋯⋯転院した方がいいと思うよ」
「なんで? 一緒にいられなくなっちゃうよ!」
「亨の言うことは正論だよ。すきな人に少しでも長く生きてほしいと思うのは⋯⋯俺だって同じだ。ここで縛り付けて、めぐを早く失うのがいいことなのか、よくわからない。めぐ、愛してる⋯⋯。めぐがいるから生きていける。例え少し離れても、それは変わらないよ」
遼がわたしの髪に顔を埋める。吐息が耳にかかる。
「いつ死ぬのかなんて誰にもわからないんだよ? それなら、少しでも長くすきな人と一緒にいたいってわたしは思うの」
「でも治るかもしれないじゃないか」
「モルモットみたいに病院てカゴに閉じ込められるのはもうたくさんだよ。検査して、手術して、薬を飲んで、それでも治らなくて⋯⋯」
「めぐ⋯⋯」
「わたしがまた病院に戻ったらパパとママだって複雑な気持ちになると思う。病院でわたしがいっぱい辛い思いをしてるのを知ってるから」
「それは俺もわかるけど。わかるけど、めぐが少しでも長く生きてくれたら、俺だって頑張れるよ。⋯⋯こっち向いて」
体勢を変える。遼と向き合う形になる。
わたしたちは触れるだけのキスをした。でもそこまでだ。先はない。
わかってることなのに、今日に限ってそれが悲しい。遼に抱かれたい気持ちでいっぱいになる。それがどんなことなのかわかっていても。
部屋の中にすすり泣く声が響く⋯⋯。
「ごめん。こういう形でしか温めてあげられなくて。ほんと、男として情けない。――亨なら、めぐを温められるのに」
「やめてよ! わたしは物じゃないし、そんなこと想像されるのも嫌! どうかしてる!」
「じゃあどうすればいいんだよ!? 俺だって思いっきりお前を抱きたい! 力づくでも!」
「⋯⋯やめて、冗談でしょう?」
わたしの声は震えていた。遼はわたしの上に馬乗りになっていた。
「死んでもいい」
「馬鹿なこと言わないで。ね? わたしは心が繋がってればそれでいいから」
「俺はそれじゃ済まない」
やめて、という言葉は最後まで音にならなかった。わたしたちの守ってきたものが壊れていく。
遼は怒涛のような勢いで上から降ってきて、禁止されていた大人のキスを深く、深くした。遼の息遣いが段々、荒くなるのがわかるのに止められない。
唇は塞がれて両手は押さえられたまま、まるでこれじゃ襲われているようだ。
それでもキスがわたしを溶かしていく。頭の中が空っぽになって、なにも考えられなくなっていく。一瞬の快感に押し流されそうになる――。
「⋯⋯遼」
彼自身も戸惑っているように見えた。初めての経験だからかもしれない。剥がされていく、1枚、1枚。その都度、唇が追いかけてくる。
わたしはハラハラする。そしてドキドキする。わたしの胸の心拍数が上がる。彼の胸は今、どうなっているんだろう?
「⋯⋯遼。お願い、心臓の音を聴かせて」
「ダメ。すごいことになってて恥ずかしい」
手が滑り落ちてくる。わたしの輪郭をなぞる。わたしという形を意識する。
「めぐ、すごくかわいい。俺、今日死んでもいい。かわいいよ、俺だけのものにしたい。だから神様、もう少しだけ時間を⋯⋯」
その時、「うっ!」と遼が小さく呻き声を上げた。わたしは悲鳴を上げた。
「遼!?」
「もう少し触ったままでいて⋯⋯。もう少し、めぐに辿り着くまで⋯⋯」
息は上がっていた。どうしてまだ動けるのかわからなかった。
「遼! やめて! これが最後じゃなくてもいいじゃない!」
「やだ⋯⋯」
十分な重みで遼はわたしの上に降ってきた。大変だ、多分チアノーゼを起こしてる。
その時、わたしたちは裸で、どうやって説明したものかわからなかったけど、精一杯ナースコールを押した!
◇
ストレッチャーがすごい勢いで駆け付ける。
わたしは身体にシーツを巻き付けて、遼の名前を呼び続けている。
「宮城さん!」
「恵夢ちゃん、なにも言わないでいいから後は任せて部屋に戻ってて、ね」
「遼!」
急いで着替えようとしても、腕が、足が引っかかって服が上手く着られない。手が、大きく震えていた。
部屋を目指さずに救急治療室を目指す。あちこちで引き返すよう言われる。そんなわけにはいかない。わたしの大切な人を失うわけにはいかないんだ。
「患者のバイタル、危険です! ご家族に至急連絡を」
「⋯⋯!!」
「恵夢ちゃん、ここに来たらダメだって」
「遼を返してください! お願いします! 遼を返して――」
早坂さんが早足でこちらに向かってくる。
「恵夢ちゃん、しっかりして! 遼くんを信じて!」
「だって、『死んでもいい』なんて⋯⋯」
「⋯⋯」
早坂さんの瞳が翳った。
「遼くんはそう言ったのね。わかってると思うけど、遼くんの心臓が止まった時、わたしたちにはどうすることもできないの。そういう契約なの」
身体中が細かく震える。足元から寒気が上ってくる。
「恵夢ちゃんだって、いつかはどっちかが遅かれ早かれこうなると思ってたでしょう?」
頷けない。
認めることができない。
亨くんの言葉を思い出す。
もしも遼の心臓が止まって、植物状態になったとしても、わたしはきっと遼を諦めない。手を取って、毎日、そっと話しかける。その日の天気や、街や、花木の様子を――。だからすぐにその命を断ち切るのはやめてほしい。
「ここはそういう場所なんだよ」
顔を覆って泣いた。
治療室の方はバタバタしていて、どうなっているのか全然わからなかった。
わたしは祈った。遼の心臓が再び正常に動くことを――。
「心拍、正常値までもう少しです!」
パッと顔を上げる。
早坂さんに連れられて部屋に戻される。早坂さんがシーリングライトのスイッチと暖房をつけてくれる。
「良かったわね、きっと回復するわよ」
「⋯⋯」
「聞いたでしょう?」
「⋯⋯遼、そんなに悪いんですか?」
「なにも聞いてないの?」
「なにも教えてくれないから」
仕方ない子ね、と早坂さんはイスに座って、わたしを対面に座らせた。
「大きな発作が次に来たら危ないって言われてるの。今日は本当に危なかったわ」
「そんな⋯⋯」
「恵夢ちゃん、ここではあなただけじゃなく、みんなが死と隣り合わせなのよ」
「わかってるつもりだけど、遼だけは⋯⋯」
「わたしも辛いわ」
◇
その夜は長かった。
夕食は喉を通らず、有馬さんが手伝ってくれたのに全部戻してしまった。有馬さんも、なんと言葉をかけていいのかわからない様子だった。申し訳なさでいっぱいになる。
食事の後もシャワーを浴びる気になかなかならない。
彼の触れたところが洗い流されてしまう。
これが最後かもしれないのに⋯⋯。
うっ、うっ、と子供のように泣く。
枕はわたしの涙を受け止めてしっとりする。
どうしてあの時、きちんと遼を止められなかったんだろう? どうして?
触れられた指の感触を覚えてる。
温かかった肌の感触も、キスも、全部覚えてる。
なのに心臓が止まったら、温かいままの彼を死なせてしまうなんて⋯⋯。
馬鹿だな、わたし。亨くんの言ったこと、理解してなかった。遼が少しでも良くなるなら、最新医療が受けられる病院に入って長生きしてほしい。ほんの少しでいい。離れる時間があっても、信じていられるから⋯⋯。
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