第28話 生き永らえる意味
身体の調子は落ち着いてきた。
3月のドカ雪が降った後、少しずつだけど痛みが出ることも少なくなって、検査をすると多少なりとも数値の上昇が見られた。
先生も喜んだ。
「めぐちゃんは寒さに弱いのかな? そうか、夏生まれだもんね。数値が上がって先生も安心したよ。顔色も良くなってきたし、そろそろ少しずつ散歩してもいいよ」
うれしくなる。
一時はもう自由に散歩なんてできなくなるんじゃないかと本気で思っていた。亨くんとプラタナスの並木道をセンターの入り口まで歩くのが精一杯で、春が見られなかったら⋯⋯遼を置いていくことになったらどうしようか、真剣に考え込んでいた。
心配事のない生活がどんなに素晴らしいか、みんなに分けてあげたい。
「遼、今日は食堂で食べよう」
「本当に本気?」
「うん、先生から許可が出たよ。ベッドから少しずつ外に出なさいって!」
本を読んでいた遼は走ってきてわたしを抱き上げた! そのままくるくる回る。
「もう! ふざけるのはやめてよ!」
「どれくらいうれしいか、表現してるんだよ」
そうして遼は大きな声で笑いながら、わたしをベッドに下ろした。彼は息を切らしていて、わたしをビックリさせる。
「遼、苦しくない!?」
「これくらいなら」
「⋯⋯わたしは遼に置いていかれる方が怖いよ」
遼は怒られた子供のようにシュンとした顔をした。わたしは彼を抱きしめる――。
「もしもさぁ、植物状態にわたしがなったら、毎日話しかけてくれる?」
遼の目が大きく開く。
「ここを出るってこと?」
「そういうことではなくて、『もしも』の話。ほら、よくドキュメンタリーであるじゃない? 何年も話しかけたらって」
「⋯⋯上手く言えない。めぐにはずっと生きててほしい。でも病気があるし、苦しむのを見てるのは辛い。辛いんだ⋯⋯」
ごめん、と小さく謝った。
植物状態から生き返ったところで、わたしの余命はない。それならそんなことを考えるのは本当に馬鹿げている。
「ごめんね、遼の気持ちも考えないで。わたし、考え無しだった。でもずっと生きててほしいって気持ちは、わたしも遼にずっと持ってる。遼には根本的解決法がないわけじゃないでしょう?」
心臓病の場合、移植手術を行うと5年生存率がほぼ100パーセントになる。7年でも75パーセント。
遼が生き残る可能性はうんと高い。
「そんなに運良くドナーが見つかるわけがないよ」
ドナー適合者がいても、心臓が生きたまま手術に入るのが難しい。植物状態か、死後直後か。
「そういうのを夢見た時期もあったけど、大人になるにつれてそんな偶然はそうそう起こらないんだとわかるようになった。だからめぐ、それについて考える必要は無いよ」
頬を手で撫でる。泣きそうな瞳をしている。そう言えばこの人の泣き顔を見たことがあるかしら⋯⋯?
「遼はいつ、ここに入ったの?」
「めぐとそう変わらないよ。高校卒業してから」
「そうなんだ。やっぱり気持ちはわたしと変わらないよね?」
「そうだよ、延命措置は受けたくないってそう思ったんだ。受けてどうなる? どうせ死ぬんだ」
「そうだね⋯⋯そうなんだよね」
「めぐこそ転移しないで手術で取りきれば」
「それができてたらここにはいないでしょう?」
わたしは悲しく笑った。
わたしの腫瘍は少しずつ成長していて、転移も見られる。外科手術も何回もしたけど、その度にまた転移が見つかってボロボロだ。
正直、これ以上生きていてなんの意味があるのかと思った時もある。
今は違う。
遼がわたしを必要としてくれる!
これは十分に『生きる意味』だ。わたしが笑うと遼も笑う。
まったく知らなかったわたしたちふたりが、ここで出会ったのは神様からの小さな贈り物だ。
――だからつい、考えてしまった。亨くんが言うように、延命措置をした時の未来を――。
一方のわたしが話しかける。
「延命措置で生き返っても病気は治らないでしょう」と。
もう一方も話しかける。
「でも助かったら、ほんの少しでも一緒にいる時間が増えるかもよ」と。
延命措置だって一かバチかだ。
みんながみんな助かるなら、しない人はぐんと減るだろう。
馬鹿なことを考えても、命の残りが少ないことには変わりがない。
◇
「そうかな? 延命措置でもし上手くいったら、そこから病状が良くなることもないとは言えないでしょう?」
いつも理性的な亨くんがそう言う。
「でも上手く言えないけど、そういうのって怖いよ」
「⋯⋯そうだね、怖いかもしれない」
「そもそも死ぬことと生きることの境は何処にあるんだろう?」
空を見上げる。
今日は曇り空。真冬とは違ってどんよりはしていない。
桜の蕾はまだ固い。まるで咲くのを拒んでいるように。あと何回、わたしが桜を見られるかわからないのに――。
「『いる』ことと『いない』こと。僕は不意にこのベンチの隣にめぐがいないことを考える時がある。馬鹿げているけど、すごく苦しいよ。だったらなにもかも捨てて植物状態のめぐの、まだ温もりのある手を握っていた方がいい。毎日、ちゃんと話しかけて、手は離さないよ」
微笑みは泣き顔に見えた。どうしてこの人はここまでわたしを想ってくれるのか、わからなかった。
「僕がめぐをすきな理由? かわいいから?」
「もう! 茶化して」
「あながち冗談でもないんだけど。僕はさ、めぐを見てるともっと頑張ろうって思えるんだ。最初はそれは同情だと思ったけど⋯⋯段々、その気持ちは募って、気が付いたら守ってあげたいと思うようになったんだよ。おかしいかな?」
おかしくない、と下を向いてわたしは答えた。
そして、遼はどんな気持ちでわたしをすきだと言ってくれるんだろうと考えた。遼はわたしの闘病生活を見てたのはほんの少しだけ。しかも、自分も同じように生きてきた。それこそ同情では、と疑ってしまう。
わたしは。
わたしは遼に今日を生きる力をもらっている。
遼がいると思えば弱音も出ない。あの人が悲しい思いをしないよう、できるだけ元気な顔をしていようと思う。
例えばそれが空元気だとしても――。
遼の悲しむ顔は見たくない。あの人にはいつでも知り合った時のようにキラキラしていてもらいたい。
そんなの馬鹿げてるかもしれないけど、それでも、遼の命の煌めきが、わたしにはいつも眩しい。
そしてそれに照らされるわたしも煌めくことができるんじゃないかという気がするんだ。
「僕だっていつ死ぬかわからないよ? めぐはその時、僕の延命措置を望む?」
「亨くんは死なないよ、健康だもん」
言ってて、それは詭弁だなと思う。
「わからないよ。事故に遭うかもしれないし」
「ねぇ、そんなこと言わないで。夜、不安で眠れなくなっちゃう」
「ほら、身近な人が死ぬのは怖いでしょう? ⋯⋯でも、僕のこと、そう思ってくれてちょっとホッとした。おかしいね」
亨くんは恥ずかしそうに笑った。
桜の蕾たちもまだ冷たいそよ風に揺れて、微笑んだ気がした。
自分が死ぬことばかりで、ほかの人の死を考えてこなかったことを反省する。亨くんが植物状態になったらわたしは――延命措置を望むかもしれない。
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