第27話 瞬間
「これは例えばなんだけど、わたしがもしも寝たきりになったらどうする?」
「⋯⋯もう考えなくちゃいけないこと?」
「毎日怖いの。ひとりになる時のことが」
遼は横に寝ているわたしの髪に指を通す。さらりと指の中、髪が滑り落ちる。
「また春になれば外に出られるよ。無理しなければいい。歩けるだけ歩いて、ベンチで外の風に当たればいいよ」
「そういうところは亨くんと同じことを言うんだから」
くすくす笑う。
「おかしくなんかないだろう? きっとみんなが思うことなんだよ」
「そういうことにしておこうか」
「しておけよ」
季節は進んで、ある雨の日、気が付くと空から落ちてくるものが天使の羽のような真っ白い結晶に変わった。
雪だ。
通りで朝から底冷えすると思った。
隣で寝ていた遼を揺すって起こす。
「うわ、雪じゃないか! めぐ、もっと温かくして冷えないように。俺、ナースステーションに行って湯たんぽもらって来るよ」
佐藤さんに言われたような真剣な話はまだ突っ込んでしたことがなかった。わたしとしては、遼が先に逝くことの方が怖かった。まるで真っ暗な四角い部屋に閉じ込められるような気持ちになった。
ぶわっと恐怖がわたしの手を引いてその部屋に閉じ込めていく。しっかり鍵をかけて。
その話を亨くんにすると、そういうことこそ話し合った方がいいと言われた。遼の方が突然、そうなる可能性が高い、と。
もしそうなったら僕がめぐを支えるよ、とも言った。
真実味が増して、どんどん怖くなる。
湯たんぽと共に遼は戻ってきた。
「今日はめぐを部屋から出すなって。いつも気を付けてるよ」
子供のように拗ねる彼に「そうだよね、わたしが」と言う。彼がふくれて、それが愛おしくて、腕を広げる。
布団の足元に湯たんぽを入れて、彼はベッドに戻る。
「もう、同じ部屋で暮らしてもいいんじゃないか?」
何時になく真剣な眼差しで遼はそう言った。息が詰まる。つまり、公にそういう仲になろうと言っているんだ。
「同じ布団にいる時間が長いもんね」
「そうだよ。そうしたらイチイチ移動しなくて済むし」
「⋯⋯かもね。でもわたし、まだ花嫁になるには若すぎない?」
遼は一度、口を閉じ、言葉を封じた。
それからわたしにゆっくり口付けをして「考えておいて」と言った。
頭の中に『しあわせ』が溢れる!
プロポーズだ。遼が、一生一緒にいる相手にわたしを選んだということだ!
うわぁ。どうしよう?
パパとママは怒るかな? 「まだ早い」って、お決まりの台詞を言うかなぁ?
みんな、祝福してくれるだろうか?
わたしは真っ白いドレスを着る。痩せすぎなので、ボリュームのあるデザインの方がいいかもしれない。
それともマーメイドラインのドレスも試着してみる?
ブーケは絶対に青系にしよう。外国にはサムシング・フォーという言い伝えがあると以前どこかで見た。
花嫁は古いもの、新しいもの、借りるもの、青いものを身に付けてお嫁に行くとしあわせになれるらしい。それなら絶対、花束は青だ!
花束は清香さんにあげよう。次にしあわせが訪れるように。有馬さんが欲しがるかもしれないけど。
⋯⋯なんて、上手い具合にすべてが進んだらいいけど。
とわたしは亨くんに話した。
「なんだ。いよいよ遼もその気になったのか」
「『いよいよ』なの?」
「そうだよ。だって今までそこのところは曖昧だったでしょう?」
「そうかな」
「そうだよ」
わたしたちは週に一度の散歩をしていた。吹き付ける風が冷たい。クリスマスカラーのショールでぐるぐるにされてる。
「でもわたし、別に結婚しなくてもいいと思うの。縛り付けるものなんてなにもないもの」
「めぐは本当にわかってないんだなぁ。僕も遼もめぐを縛り付けたいんじゃないか?」
「そうなの?」
「そうだよ」
しばらく黙々と歩く。亨くんの言葉を
どうしてふたりはそこに拘るんだろう?
「本当に最期まで看取る権利が欲しいんだよ」
「みんなで看取ればいいよ」
「めぐ、僕の言うこと、聞いて?」
さっきまでいつも通りだった亨くんが、真面目な顔で話しかけてくる。ああ、これはまた難しい話に違いないと思う。
亨くんはわたしに、できるけどできないことの選択をいつも迫ってくる。
「僕はね、本当はめぐに延命措置を迎えてほしいと思ってる。その時、例えめぐが植物状態でも伝わるなにかがあると思うんだ」
「亨くん、それは⋯⋯」
「めぐの意に反するのはわかってる。でも僕がめぐに対して抱いてるのはそういう感情だ。最期まで、めぐの意識の最後のひと雫まで僕は汲み取りたい。だから、延命措置を望んでいるんだよ」
繋いだ手にギュッと力がこもる。
「遼だって心の中ではそう思い始めてるんだ」
「でも遼も延命措置には反対してるんだよ」
「自分のことと愛する人のことは別だよ。もしかしたら遼は、植物状態のだらしない自分をめぐに見せたくないのかもしれないしね」
そういう考え方はしたことがなかった。驚きだ。
まさか遼がわたしに延命措置を望んでいるかもしれないなんて⋯⋯。そんな風に人は考えを変えるものだろうか?
「遼は君がすきなんだよ。勿論、僕もだけど。最期の最期まで一緒にいたいという気持ちは理解できない? それは愛のひとつの形だと思うけど」
「愛⋯⋯。難しいよ」
「その前に、病気が少しでも良くなるといいんだけどね。僕はそれを祈ってるよ」
「ありがとう」
病状は落ち着いてはいる。毎日、大人しくしてるからかもしれない。でも、その分体力が衰えてすぐに息が上がる。
「疲れたね。そろそろ戻ろうか?」
プラタナスの木にはもう葉は1枚も付いていない。無骨な枝と幹を晒して。
「ベンチで休んでからでもいい? 景色を見てから戻りたいの」
亨くんは「仕方ないなぁ」と言いながら、背の高い彼の少し重いコートを肩からかけてくれた。寒そうに見えたんだろう。
自然は回帰する。
冬になってすべてが死に飲まれたように見えても、春になればまた新しい芽吹きがある。
わたしにはその力はない。
死がわたしに訪れる時、わたしは無力だ。それなら最期くらい抗ってみてもいいんじゃないかとずっと思ってきた。
辛い思いは散々した。
その上、既に意味の無い心臓マッサージや、たくさんのチューブ。それを延命措置と呼ぶのか、疑問だった。
でも。
愛する人と一緒に1秒でも長くいたいという気持ちがないわけではないんだ。
遼や亨くんが目の前でお別れしてくれる、その瞬間まで、一緒にいてほしい。本当は怖いから、ひとりになってしまうのが。
例えばそれを『死』と呼ぶのだとしても――。
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