第26話 隣にいる人
上手く眠れない。
寝ようとすると、ついイメージしてしまう。
ベッドに横たわるわたし、隣に誰か。誰かは泣いていない。わたしの死が近づいていると知っても、隣にいてくれる。
精一杯、生きた。
辛い治療にも耐えた。
みんなと違うことを呪いながらも生きた。
それは、あなたがいてくれたから――。
金のラッパなんか聴こえるはずがない。天使は来ない。天国なんてない。迎えは来ない。
自分が消えるその瞬間、誰が隣にいるんだろう?
遼はまだ生きているだろうか?
彼は元気そうにしてるけど、大きな発作が起きたら命取りだ。わたしの死に立ち会うなんてできるんだろうか?
わたしがもし先に死んだら、遼は悲しむ。発作を起こすかもしれない。
それより、亨くんのように理性的な人についていてもらった方が安心して逝けるかもしれない⋯⋯。
3年が2年半になり、来夏には2年になる。目減りしていく命を遼は隣で見ていられるだろうか?
彼には難しいかもしれない。
彼こそわたしがいないと上手に生きていけないんじゃないかと思う。
自惚れ?
わたしがいるから彼に発作が起こる。
だとしたら――わたしたち、一緒にいない方がいいのかもしれない。
◇
悩む、悩む、悩む、悩む、悩む、⋯⋯。
悩み事は波のように止むことなくわたしを打ち付ける。
ねぇ、わたし、あとどれくらい笑えるかなぁ?
◇
そんなある日、佐藤さんが久しぶりに顔を見せてくれる。お孫さんができて充実した毎日を送っているという。
かわいい赤ちゃんの仕草をたくさん話してくれる。
わたしも赤ちゃんを抱いてみたいという希望を持ちそうになる。
「あら、ごめんなさい。久しぶりなのに自分の話ばかりして」
「いいんです。佐藤さんが元気そうで何より」
わたしは微笑んだ。
「恵夢ちゃん、なんだか大人っぽくなったわねぇ。以前からそういうところがあったけど、しっとり落ち着いた感じ」
「全然そんなことないです」
「髪も伸びたわね」
ようやく、肩につくようになった。
「早坂さんから少し話を聞いたの。具合が良くないんですって?」
「ほんの少し。あんなに散歩したのにおかしいですよね?」
「あの子、遼くんと付き合ってるって」
「はい」
佐藤さんは遠い目をして窓の向こうを見つめた。まるであの日、ふたりで海を見た日のような眼差しだった。
「お互いの『死』と向き合うのは辛くない?」
「向こうは辛いかも」
目が笑わない。
「遼は発作のない時はピンピンしてるから、わたしは無理をさせないように見張ってればいいだけで。ほら、どちらかと言うとそっちのベクトルに強く引っ張られてるのはわたしだから、その、遼はわたしといたら辛いでしょうか?」
「そうねぇ。わたしもたくさんの人を見てきたけど、隠さずに本音を言えば辛いわね。付き合いの深い人なら尚更、その深さの分だけ辛い。遼くんにそれが耐えられるかしらね? わたしにもそれはわからないわ。
でもわからないことこそ、ふたりで話し合ったらいいじゃないの。いい? とことん話し合うの。それで仮定の話だけでも上手くいかないなら終わり」
「終わり」
「その時はお互いを解放しないとね」
「でもおかしな話よね? ここはそういう施設なのに、必ずあなたたちみたいにカップルができるのよ」
「そうなんですか?」
「お互いの余命がカウントダウンしていくのに、よく耐えられるなって思ってたの。でもそうよね、迷うわよね。
たくさん迷って正解に辿り着くかどうか。それはね、あなたたちみたいな人じゃない、わたしたちみたいな人にとっても同じ疑問だわ。おまけにあなたたちには時間がないし。
直感に頼るしかないかもしれないわね、最後は」
◇
亨くんから毎日メッセージが届くようになった。
言葉だけじゃない、たわいもない写真付きの。
わざわざ毎日、撮ってくれているらしく、たまに指が入ってる。わたしは笑う。
大学の構内を散歩する人とコーギー。
学内に捨てられていて、今はみんなで飼っているという仔猫。
熟して落ちた柿の実。
それを食べに来るヒヨドリ。
毎日が彩りに溢れてる。散歩に出られないわたしを楽しくさせる。
『変わりはない? 日曜日に遊びに行くよ』と、まだ会いに来てくれる。
そのことについて遼はなにも言わなかった。わたしたちが従兄弟だということを理性的に納得しているようだった。
「めぐ、これはすき?」
「あー、ここのクッキーシュー、久しぶり!」
「毎回そんなに喜ぶなら僕にリストを渡したらいいのに。どこからでも買ってくるよ」
「原宿とか?」
「原宿は勘弁してくれよ」
ふたりで笑った。
そして、天気の良い日は手を繋いで少しだけ散歩して、外に出られない日はふたりで映画を観たり、ゆっくり話をした。そんな日は無理しないように、亨くんは早く帰っていった。「まだいて」と言えばにっこり笑っていてくれたけど、言ったことはなかった。
以前のように
こうやってカレンダー通りに会っていると、まさにわたしの時計も逆回しに進んでいるんだという気がした。
そのほかの日は全部、遼にあげた。
体調の悪い日は遼がわたしのベッドサイドに座って、苦手な音読をしてくれる。
わたしは笑ってしまうばかりでちっとも話に集中できなくて困ってしまう。
すると彼はわたしの本棚から本を持ってきて、わたしの隣で横になって読み始めてしまう。最近は目下、村上春樹の信望者になってしまい、短編から長編まで幅広く読んでいる。そして面白い短編があるとわたしに勧めてくる。いやちょっと待って、わたしの本だから既読なんだけど。
そんなおかしい毎日の中で刻一刻と時間がすり減っている実感が積もる。
治まらない倦怠感。嘔吐。痛み。目眩。
何処からどこまでが病気で、副作用なのかわからない。わかるのは、遼と出会った頃ほど元気じゃないってこと。
まだほんの数ヶ月なのに、なにがそんなに変わってしまったんだろう? 変わったのはわたし――わたしの身体。
積木くずし的に、あと2年半で命が消えるんだろうか?
その時このかわいい人は泣くだろうか――?
そんな時は亨くんに電話した。遼には秘密だ。
『亨くん、まだ起きてた?』
『寝ようとしてたところ。どうしたの?』
『⋯⋯怖くなったの』
『大丈夫、手を繋いであげる』
『手を?』
『イメージして』
亨くんの手のひらの大きさ、確かな厚み、温かさをイメージする。
『今から行った方がいい?』
それはいつでも甘美な響きだ。でも「うん」と言わない。
わたしは狡いので、廊下を滑るように歩いてひとつのドアをノックする。
ドアはゆっくり開いて、寝ぼけた住人が出てくる。
そうしてわたしを毛布でくるんと包んでくれる。
心臓の鼓動を確かめるのは、最早、習慣だ。
「大丈夫、正常だよ」
「うん、そうだね」
手を繋いでくれる人がいる。
一緒に寝てくれる人がいる。
まだ生きている。だから大丈夫。
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