第23話 自分で選んだ人

 イブの日の翌日、わたしたちは会うことを自重した。

 当たり前だけど、お互い、具合が悪くなった。

 どんな風に具合が悪いかは誰にも秘密だけど、無理はするものではないというのは真実みたいだ。

 周りのみんなはわたしたちを訝しんだけど、クリスマス当日は静かに過ごすものなんだよ、なんてキリスト教徒のような顔をしてみる。向こうでも同じ言い訳をしているのかと思うとウケてしまう。

 わたしは冗談じゃなく酷い倦怠感に襲われて、部屋着のまま、ベッドで1日を無為に過ごした。遼のいない部屋はガランとして、本棚は意味を持たない壁のように見えた。


『食事だけでも一緒にどう?』とメッセージが来て、断るのも変に思われると思い、いい返事をする。どうせ向こうも大したものは食べられないに決まってるし、お互い様だ。

 遼の部屋に行ってみると、やっぱり食べやすいメニューになっていて、わたしのものとそっくり同じで指をさして笑い合う。

「昨日のディナーで胃もたれしちゃって」と嘘でも本当でもある理由を言う。

 有馬さんが「やっぱりお金持ちの彼氏っていいなぁ」と言う。否定するのも面倒だったけど、ヤキモチやきがいるのできっぱり否定した。「あの人は本当はただの親切な従兄弟なのよ」と。両親よりここに近いところに住んでいるから、頻繁に来てくれるということも。

「なんだ、豪華な二股じゃなかったんですね」と「やっぱりね」という顔をして納得してくれた。


「でもやっぱり、忍野さんてやさしすぎません? 恵夢さんにひょっとして片想いでは?」

 興味津々な顔で訊かれてもなんとも答えられない。

「気のせいだよ。小さい頃からよく兄妹に間違えられたくらいだから、そう見えるんだよ」と言った。

 遼はその間中、居心地の悪そうな顔をしていた。

 わたしが昨日、彼とさよならしてきたことを知っているからだ。

 さよならは身を切るほど、痛い出来事だった。

 わたしはシチューをすすりながら、昨日のことをぼんやり考えていた。

 亨くん⋯⋯。

 ずっと一緒だった気がする。だからこそ、恋としては発展しなかったのかもしれない。どうしてもお兄ちゃんに対する感情のようなものが邪魔をして、その手を取れなかった。

 嫌悪感、などではない。

 すきが恋にならなかった。

 上手く説明できない。


「なんだよ、残すの?」

「昨日のがまだお腹に残ってるの!」

「で、なに食べたの?」

「えーとねぇ⋯⋯忘れちゃった」

 メニューは複雑すぎて覚えられなかったし、覚えているものと言えば夜景と亨くんの笑顔だけだ。

 不意に、心細くなる。

 これからはひとりで戦っていかなくちゃいけないという思いがわたしを押し潰そうとする。

 遼には言えない。ショックが大きすぎる。

 なら初めから亨くんを選べば寄り添ってもらえたのに、というのは無し。それができたら今頃は⋯⋯。

 ロマンティックな星空の下での別れは、ロマンティックな思い出のままにしておこうと思う。それじゃダメだろうか?


 ◇


 数日後、亨くんからメッセージが入る。

『めぐ、元気にしてるかな? ご両親はお正月に来るって』

 ぱぁっと心の中が明るくなる。こんなことで、こんなに明るい気持ちになれるなんて思ってもみなかった。わたしはまだまだお子様なんだ。

『亨くん、ありがとう! すごくうれしい』

『親子水入らずがいいでしょう? 僕は行かないから上手くやるんだよ』

『あのね、実は』と打ったところで指先が止まる。亨くんに告げても仕方ない。わたしの心の中の臆病な自分がそうさせようとするだけだ。

 バックスペースキーを押す。書いたあとも残らない文明の利器だ。


 外は年末らしく底冷えしていた。雨が降ったら雪になりそうな天気の中、わたしは玄関を出て、星空を眺めた。

 ここで流れ星のひとつでも見つけたら、願いが叶う気がした。

 SNSではよく流星や彗星の画像が載っていたけれど、わたしの目にはなにも映らなかった。なにも。

 怖くて気が遠くなりそうになる。

 少しずつ、見えない場所から自分が蝕まれているのかと思うと宇宙の中にひとりで放り投げられたような気分になる。

 助けてほしい、この孤独から。

 天国への道のりがこんなに中途半端に長くて辛いものだなんて知らなかった。

 やっぱり荷物は少ない方が良かったんじゃないかな、という気持ちが胸に込上げる。涙が滲む。このところ、泣いてばかりな気がする。

 死ぬためにここに来たのに――。


 ◇


 ママはわたしの顔を見ると走ってきてわたしをギュッと抱きしめた。そして「会いに来られなくてごめんね」と言った。

「お前、やつれたんじゃないか?」と言ったのはパパだった。パパはタクシーを降りると、わたしたちのところへゆっくり歩いてきて、わたしを抱き上げた。年頃の娘になんてことをするのかとビックリする!

「相変わらず軽いな」とパパは悲しそうに呟いた。


 それからふたりは診察室に入り、わたしの病状についての詳しい説明を受けることになった。わたしは自分の部屋で、ベッドに座って落ち着かない気持ちで待っていた。

 すると突然、遼が現れて、是非、両親に会いたいと言ってくる。予定ではパパとママを驚かせないように遼のことは秘密にしておく計画だった。これは亨くんも賛成した。

 なのに直前になってこれは困る――。

「印象が良くなるように白シャツにしたんだけど、ダメかな?」

 彼は本当に白シャツにアイボリーのセーターを着て、まったくどこから見ても好青年にしか見えなかった。わたしは観念した。

「うちの両親は頭ごなしに怒ったりしないけど、キツいことを言ったらごめんね」と言うと「覚悟はできてるから」と彼は言った。


 パパとママはひょっとすると、わたしと亨くんが付き合ってると思っているのかもしれなかった。

 そう思われても不思議じゃない。

 亨くんがわたしと両親の連絡をとっていたし、両親も亨くんをとても信頼していた。普通に考えたら、わたしたちの間にそういう感情が芽生えていてもおかしくないだろう。

 でもここにいるのは遼で、遼は緊張した面持ちをして両親を待っていた。

 パパとママがなにを言うのか、わたしには見当も付かない。『初めての彼氏』になにを言うのか。

 それとも死んでいくはずの娘に、彼氏ができたことを喜ぶだろうか――?


「初めまして。お嬢さんとお付き合いさせていただいてます。武中遼と言います。よろしくお願いします」と行儀よく、まさに型通りの挨拶にパパは笑いを堪えられなかった。

「そんなに堅くならないで。そうか、君が武中くんか。亨くんから聞いているよ」

「え? 亨くんが?」

「事前情報ってヤツだね。でも実際に会ってみるのと、愛娘の彼氏を想像するのでは違うものだね」

「あの、不合格ですか?」

「合格も不合格もないよ。選ぶのはめぐなんだから」

 ママもくすくす笑う。

「パパったら『大事な娘に』ってそればっかり。武中くんはめぐの病気のことは知ってるのよね?」

「はい。でも大丈夫です。自分も病気があります。お互いに同じ立場で支え合っていければいいと思っています」

「そうね。本当にそうね⋯⋯」

 ママは細くため息をついた。その姿は不幸な人のように見えた。不幸じゃないわけがない。娘が余命宣告されていて、彼氏だなんてさも滑稽に違いない。

 浮かれていた自分の心を鎮める。

 遼を見る。

 うれしそうに笑っていた。


 その晩、パパとママは近くのホテルに宿を取ったと言った。明日またセンターに来ると約束してくれる。

「武中くんはやさしいかい?」

「⋯⋯うん」

「そうか。自分の目で選んだんだもんな。パパはめぐの目を信じるよ」とパパは言って帰っていった。

 遼はひとり興奮して、どれくらい緊張したかを喋りまくった。いつも以上の弾丸トークでわたしを笑わせる。

 笑うのは身体にいいと聞いたことがある。

 お願い、もっと笑わせて。

 わたしの身体がダメになってしまう前に⋯⋯。

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