第19話 謝罪
遼くんの部屋はまた面会禁止になってしまった。
前をわざと通ると、遠くに遼くんの声が聞こえる。元気そう。でもまだベッドに縛り付けておかないと、なにをするかわからない。
遼くんがいない、佐藤さんが来ない、亨くんも来ない。誰もいないというのがさみしいという感覚を、すっかり忘れていた。最近、わたしの周りには人が多かったんだ。
早坂さんがいつも通りテキパキと朝の作業を済ませる。検温をする。正常値だ。
「いろいろあったけど、恵夢ちゃんの身体は最近、元気よね」
「はい、お陰様で。先生も驚いてます」
「いいことだわ。どこかの誰かみたいにみんなに心配かけるよりはね」
「遼くん⋯⋯」
「元気よ。でもまだスマホは取り上げ。まぁ元々彼はスマホ中毒ってわけじゃないけどね。スマホより人がすきなのよ」
確かにそうかもしれない。
さみしそうにしてる人を放っておけない人だ。あれが彼の本質なんだろう。
「じゃあ、伝言。『無理しないこと』でよろしくお願いします」
「了解。言うこと聞くかはわからないけどね。あの子のああいうところ、ほーんと、わかんない。他人のことには一生懸命なのに、向こう見ずなんだもん」
ははは⋯⋯と苦笑した。
遼くんが倒れた原因は医療スタッフしか知らない。プライベートなことだから、みんなそれを広めずにいてくれてる。まるで『無かったこと』のように。
早坂さんもそのひとりだ。
『向こう見ず』というのはそれを揶揄した言葉だろう。彼にピッタリだ。
あれから3日、彼はなにをしてるんだろう? テレビでも観せられてるんだろうか? それともひとりで『読書会』を開いてるんだろうか?
面会禁止が解けたらまずは本を持っていく。トマトとパプリカのカップとアールグレイを持って。
その日を指折り数えて待っている。そうすればさみしい日だって一日いちにち過ぎていく。なんとかひとりでもやっていける。
◇
「
有馬さん、という人は人材派遣センターから送られてきた介護人だった。短大卒業後ということは、遼くんや亨くんと同い歳。まぁ、どちらにしてもわたしにはお姉さんだ。
「よろしくお願いします」と頭を下げた。
結局、佐藤さんはボランティアに戻ることができなかった。代わりにたまに外来見舞いで来てくれると約束してくれた。わたしは佐藤さんが大すきだったのでショックだった。
「前のボランティアさんとすごく仲が良かったんですってね。わたしとも仲良くしてね」
「勿論です」
「じゃあ今日は散歩コースのひとつを紹介してもらおうかな」と有馬さんは言った。わたしは頷いた。
よく晴れた日だった。
冷たい空気が肺いっぱいに満たされて、清々しい気持ちになる。うーんと背伸びをする。
「恵夢ちゃんて見た目、少しほかの子より小さいかなってくらいで健康そうよね」
「そうですか?」
「うん、目がキラキラしてる」
もしもわたしの目がキラキラしてるとしたら、あの人のがうつったんだ。他人に生きる希望を植え付けるなんてどうかしてる。今度会ったら報告だ。
「じゃあ今日は何処に行く?」
「最初だから近い中庭で」
「了解」
有馬さんは早坂さんを思わせるサッパリした性格で、何事にもテキパキしていた。わたしが以前、銀杏の葉を踏んで滑ったことを聞いたのか、足元に十分注意を払ってくれた。
「高台で転んだことがあるんだって?」
「やだ、聞いたんですか?」
「そりゃ、申し送りがあるもの」
「⋯⋯どこまで聞きました?」
「そうねぇ」
彼女は意地悪そうにニヤニヤしてこう言った。
「男の子にモテるってところ。内部にひとり、お見舞い客にひとり、恵夢ちゃんにご執心な人がいるって聞いたけど?」
「意地悪いなぁ」
「本当なのね?」
わたしはちょっとムッとした。週刊誌のネタじゃない。
「仲がいい人がいるのは本当ですけど、ご執心かどうかは知りません」
本人はそんなものよね、と彼女は言った。
そんなことに腹を立てても仕方ない。この人はまだ若くて、ゴシップネタがすきなんだろう。熟練の佐藤さんと比べても仕方ない。
お互い、心が通じ合うまでは少しの我慢も仕方ないな、と思う。まだ新人だと自分でも言っていたし。
そもそも介助に求められているのはひとりでできないことを手伝ってもらうことで、友達になることじゃない。そこを割り切ればいいのかもしれない。
「こんなに寒いと人っ子ひとりいないわね」
中庭はガランとして寒々しかった。そんな中で薔薇の花はまだ幾つか咲いていた。
「こんなに寒いのに薔薇って咲くのね。気の毒に。春に咲けば良かったのにね」
「でもわたしたちの目を楽しませてくれるんですよ」
「冬でも菊や
いいですね、とわたしは答えた。
「武中くんって言ったっけ。恵夢ちゃんのダーリンのひとり」
「だから違いますってば」
「わたしも知り合いに武中くんているのよね。中学まで一緒だったんだけど、転校しちゃって」
「その子がすきだったんですか?」
「うん、そう。ピアノを弾いてた時の指がね、すごい綺麗なの。白くて細い指が真っ白な鍵盤を行ったり来たりして。性格も大人しくてやさしかったんだぁ。女の子に話しかけられると真っ赤になっちゃって」
「あ、それ絶対別人」
「そうなんだぁ。すきな人が被らなくてよかったね」と彼女は目を細めて楽しそうに笑った。
同じくらいの歳の女友達は清香さんくらいしかいないわたしには眩しい笑顔だった。健康そのもの、という感じの――。
◇
「なんかさぁ、あの有馬ってヤツ、ムカつかない? よく付き合ってられるよね。めぐはやさしーからなぁ」
食堂で清香さんと待ち合わせた。ふたりしてトレイを持って席を探す。手頃な席が空いていて、そこに陣取った。
弱々しい陽光はシェードを下ろす程ではなかった。
「有馬さん? どうして?」
「髪の毛縛れってうるさいの。本人の自由じゃない? ここはそんな規則ないし。『結んでも似合うわよー』とか言ってきて、挙句に『毛先傷んでるから今度切ってあげようか?』って! プツンと切れたね、あたしは」
確かに彼女にはブツブツ言う癖があるようだった。わたしは扱いやすいのかあまり言われないけど、髪の毛に関しては「短くて手入れしやすくていいわね」と言われた。抗がん剤を使った時に抜けて、それから伸ばしたんだとはとても言えなかった。
「めぐのところは癌病棟なんだからわかりそうなものじゃない?」
「どうかな? ただ褒めてくれたのかもしれないし」
「めぐは鈍感だから言っておくけど、女の敵は女だからね。気をつけるんだよ」
最初は清香さんも大分、怖かったもんなぁと思い出して「はい」と答えた。
◇
いよいよ明日、面会禁止が解かれるという時、遼くんからメッセージが届く。一昨日からスマホは解禁されてやり取りをしていたんだけど、ビデオ通話だけは断らせてもらっていた。
『明日は読書会はなしで』
『じゃあなにするの?』
『どうせ短時間しか会わせてもらえないに決まってるんだから、お互いの近況報告だよ』
ああ⋯⋯。
あの日からも亨くんは相変わらずメッセージをこまめに送ってきてくれていた。わたしはそのどれにも「今日も大丈夫だったよ」と付けることにしていた。大切な時期に心配をかけたくなかった。
また来てくれると約束を重ねて何度もした。でもわたしはあのエスカレーターでのやり取りを思い出すと、少し、ほんの少しだけ、気持ちが重くなった。
トントントン、とノックをする。と、ピンポーンと有馬さんがチャイムを鳴らした。ここでは音が響くので、ドアチャイムを使う人は少ない。後で教えてあげないと、と思う。
「めぐ!」
「遼くん、もう歩けるの?」
ガチャッとドアが開くとそこには遼くんがいた。わたしは遼くんがまだベッドにいるものだとばかり思っていたからとても驚いた。
「ここ数日は部屋の中なら歩いてもいいって。自分の読みたい本は自分で取れるようになったってわけ」
「なんだ、ずっとベッドの中で横になってなくちゃいけないのかと思って心配して損した」
「それはご愁傷さま」
彼はわたしの頬を人差し指でつついた。
その時、有馬さんが大声を上げた。
「嘘! 本当に武中くん!?」
「⋯⋯失礼だけど?」
「中学で一緒だった有馬咲子! ほら、音楽の時、席が隣だったでしょう?」
「悪いけど、ここに入る前のことはあんまりよく覚えてないんだ」
「そうなんだ。そうか、具合が悪くて引っ越したんでしょう? わたし、悲しかった」
「悪いんだけど」
「ここで会えたのもなにかの縁だよね。めぐちゃんとも仲良しならまた会えるってことでしょう? よろしくね」
じゃあ、と彼女はドアを閉めて出ていった。
「誰だ、あの人。佐藤さんは?」
「佐藤さんは⋯⋯」
「ああ」
遼くんはわたしの頬に手を当てた。
「さみしい思いさせてごめん」
「わたしこそ、遼くんの身体のこと、よくわかってなくてごめん」
お互いに再会は謝罪からだった。
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