第15話 思い出

 センターに帰ると早坂さんがわたしたちを出迎えてくれた。

「おかえりなさい」

 前もって亨くんが連絡を入れておいてくれたからだ。早坂さんは心做しか微笑んでいた。

「何事もなくて本当によかったわ」

「途中、めぐちゃんが疲れちゃうところがあって心配したんですけど、なんとか乗り切りました」

 亨くんが頼もしい人に見える。お兄ちゃんとして今まで慕っていた亨くんとはまた違う、大人の男の人だった。

「とにかく寒いんだから部屋に入って。暖房はもう入れてあるわよ」

 さぁ、と背中を押されて住み慣れた部屋に戻らされた。


 部屋に行くと早坂さんに型通りの問診を受けて、その後は「忍野くん、あまり遅くならないようにね」と注意をしてナースステーションに戻っていった。

「良かった、なんにもなくて」

「なんにもってなに?」

「突然、どこか痛くなるとかさ」

 わたしもそれは危惧していた。そういうことが起きそうな予感がしていたから。

 結果、それは起こらなかったから良かった。ちょっとした人酔いで済んだ。


「これさ」

 亨くんは自分のバッグから包みを取りだした。それはわたしも持っている包みだったので、同じところで買ったのだとわかる。

「本当はもっと素敵なところで女の子の喜ぶものを買ってあげたいと思ったんだけど、美術館で無理させちゃったからさ。これ、気に入るかな?」

 遠慮なく包装紙を開けると、そこにはネックレスが入っていた。睡蓮のモチーフが着いている。

「こんなに素敵なもの、もらっていいの?」

「めぐちゃんのために買ったんだ。今日の思い出だよ」

 亨くんからこれをもらったら喜ばない女の子は少ないことを彼は知らない。それくらい素敵だった。

 今度、亨くんと出かける機会がまたあったら着けていこうと思う。わたしはにっこり微笑んで、自分のお土産を出した。

「これは亨くんに」

「めぐ!? こんなに重いものをずっと持ってたの?」

「気づかなかったでしょう?」

 えへへ、とわたしは笑った。

「開けてみて」


 亨くんへのプレゼント。それは今日の展覧会の図録だった。

 わたしがパパとママに買ってもらったのと同じだけど違うもの。今日見た作品が収録されている。つまり、今日の思い出。

「今日、すごく楽しかった! だからその思い出をお返しにしたくて。わたしのせいで大変だったでしょう?」

「⋯⋯そんなことないよ」

 亨くんの気持ちを考えると、申し訳なさでいっぱいになる。病人のわたしを連れての外出は、まず気が引けただろうし、思い切りも必要だったはず。

 そういうのをひとつひとつクリアして、わたしのために危ない橋を渡ってくれたことに感謝する。

「ありがとう」

「そう言ってくれてありがとう。また誘う口実ができたよ」

「なんか狡いなぁ」

「じゃあ、もう行かない?」

「行きたい!」

「なら行きたいところ、考えておいて」


 早坂さんに釘を刺された通り、軽く話をすると亨くんは帰っていった。


 ◇


「あら、忍野くん、帰ったらさみしいんじゃない?」

「さみしいけど⋯⋯仕方ないから」

「恵夢ちゃんは望んでここに入ったんだって?」

「はい」

「それなのに我儘は言えないと思ってるかもしれないけど、周りはあなたの我儘を待ってるのよ。馬鹿ね」

「?」

「遼くん、明日には会えそうよ。食事も普通に食べられるようになったし、心配いらないって。あーあ、なんで恵夢ちゃんばっかりモテるかな」

 やってられない、と早坂さんは冗談を言って出ていった。

 わたしは早速、遼くんにメッセージを送る。


『こんばんは。明日には面会できるって本当?』

『誰に聞いたの?』

 パッと返事が来た。

『早坂さん』

『早坂さんに言っておいてよ。病人を散々、からかっておいてさぁ。俺の担当は宮城さんて言うんだけど、同期なんだって』

 宮城さんてどんな人だったかなぁと思う。すごい美人だったらどうしよう?

『宮城さんはテニスが趣味のキュートなそばかすと日焼けがトレードマークの人だよ』

 読まれてる。恥ずかしくなる。


『それより亨とのデートはどうだった?』

『どうして筒抜けなの?』

『早坂さんに聞いて?』

 にやにやしてる遼くんの顔が思い浮かぶ。わたしの想像上の遼くんは知ってる通りで、熱を出してからアップデートされてない。

 早く会って彼が変わってないことを確かめたい。

『明日、会いに行ってもいい?』

『いいよ。すきな時においで』

 おやすみなさいをして、メッセージは途切れた。


 ◇


 翌日は遼くんの部屋で朝食を食べます、と連絡して、意気揚々と遼くんの部屋に向かう。

 何日ぶりだろう?

 もう何週間、何ヶ月も会ってなかったように思える。知り合ってからそれ程経ってないのに、彼の存在はわたしの中で大きかった。

 トントントン、と今日はわたしからノックをする。「開いてるよ」と返事が聞こえる。わたしはお土産と数冊の本を持って部屋に入った。

「やぁ、また読書会するの?」と彼はくすくす笑った。「おかしいかな?」と言うと、「今日はさすがに別のことをしよう。ずっと寝てたから暇なんだ。例えばデートの報告を聞くとかね」。

「もう口きかない」と言ったところで食事が届く。わたしはこほんと咳払いして、遼くんは声を上げて笑った。


 遼くんのご飯は白米で安心する。お粥だったらどうしようと思っていたところだった。やっぱり目で見ると安心するんだ⋯⋯。

「なに?」

「なんでもないよ」

「口きかないんじゃなかったの?」

「うるさいな! 普通のもの食べられるようになって良かったね」とわたしは言った。頬が熱かった。

「そんなに簡単には死なないよ。夢がまだまだあるからね」

「はいはい」

「誰かさんと違って、天国への荷物はパンパンにしていくから、あの世で会っても悔しがるなよ」

 面白くてわたしが吹き出すと、遼くんも一緒に笑う。室内に笑いが満ちる。

「あ、でもめぐにも思い出が増えたんだよな」

「しつこいなぁ。その話は食後にするってば!」と半ばキレ気味にわたしは答えた。


 ◇


 食事が終わってベッドに戻ると、彼はいつも通りビートルズをかけた。『I wanna hold your hand』、邦名『抱きしめたい』が1曲目にかかって変な空気になる。いつもは静かなビートルズは、今日は情熱的らしい。

 こほん、と彼はわざとらしく咳払いすると「抱きしめたい」と一言いった。わたしはすぐに拒絶した。その距離感はふたりの間ではおかしいと。

「おかしくないでしょう? 今までだってあったし。めぐはもう俺の匂いも知ってる」と意地悪く笑う。

「なんかそれいやらしい」

「いやらしいことしたいんだもん」

 そうこうしているうちに曲は『Let it be』に変わった。

「ほら、マリア様も『なすがままに』って言ってるよ」

「もっと真面目な曲でしょう?」と返す。わたしもすっかりビートルズに関して物知りになってしまった。

「めぐの耳元でマリア様が囁いてる」

「何教徒?」

「仏教徒」

 わたしたちは同じ冗談を繰り返した。


「モネの睡蓮を観に行ったんだよ。すごく大きい絵もあって、圧巻だったの」

「俺もCM何度も見たけど、すごい人だったんじゃないの?」

「あんなにたくさんの人、久しぶりに見た!」

「そんなところに連れていくなんて馬鹿なヤツ」

 そんな言い方ないじゃない、とわたしは彼をなじった。

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