第11話  塔の上

 亨くんからはお見舞いのメッセージが毎日届いた。就活が忙しくてなかなか顔を見せられなくてごめん、といつも書いてあった。

 亨くんの将来はこの先何十年も続く。わたしにはそのポイントが今だと思える。今を上手く渡って、わたしのいない数十年をしあわせに過ごしてほしい、そう思ってるのにな。⋯⋯伝わらない。

 わたしなんか切り捨てて、自分の未来を大切にしてほしい、というのがわたしの本心だ。


 ◇


 そうしているうちにわたしの身体も良くなって、そろそろ散歩に出られるかもしれないという日になった。

 佐藤さんは心配なので最初の散歩は遼くんに一緒に来てもらおうと言った。

「光栄なんだけど、俺が行っても役に立ちませんよ」

「肩くらい貸せるでしょう?」

「肩くらいなら」

 こうして話は決まった。


 正直に言うと、遼くんとのこういう距離の詰め方には疑問があった。亨くんとの付き合い方と差ができてしまうのは申し訳ない気がした。

 本当に贅沢なんだけど、ふたりの条件が平等であってほしいと思った。

 でないと⋯⋯わたしの心の天秤はずるずると傾いてしまわないか、心配になる。

 あの夜から夜が怖くなくなった。

 以前は寝ている間に痛みが出たらどうしよう、と心配で震えて寝てたけど、あの夜の温もりをベッドに入って思い返すと自然に心も温まって穏やかな眠りにつけた。心臓の鼓動が耳にやさしく聴こえる気がして。

 遼くんは魔法使いかもしれない。


「ほら、遼くんの肩を借りなさい」

 佐藤さんにはどんな噂も届いていないのか、ポンポンと遼くんの肩を借りる。知ってしまった彼の匂い⋯⋯。ふわっと香る。

 今日の散歩は平坦な道、ということで中庭の薔薇を見に行く。佐藤さんの提案だ。文句は言えない。

 佐藤さんは「薔薇を見ると冬だってことを忘れられるじゃない?」と言った。そうだろうか? わたしにはかえって寒々しく感じるけど。

 少しずつ歩を進めてなんとかベンチに辿り着く。亨くんとのあの日の会話を思い出してひとり気まずい思いをしていると、遼くんがベンチに上着を敷いてくれる。

「寒いからいいよ!」と言うと「亨も同じことしたんだろう?」と痛いところを突っ込まれる。

 一体どこまでが噂になって回ってるのか気になる。


 この間、よく開いていた薔薇はもう花弁を散らし始めていて、次の花たちがこぞって花開いていた。

 ひとつの花が散ろうとしていても、後続がつづいていく。どこの世界も同じだな、と思う。

 例えわたしがこの世を去る時が来ても、誰かが生まれ、誰かが幸運を掴む。世界はそういう形にできている。

 ふと遼くんと目が合って、パッと伏せる。あんなことがあって恥ずかしくて目が合わせられない。わたしは彼の腕の中を知ってる。


「佐藤さん、聞いてくださいよ。俺のラプンツェルがこっちを向いてもくれないんだけど」

「ラプンツェルってお姫様の?」

「そう、塔の中に閉じ込められてる」

 佐藤さんはくすくす笑った。笑いが止まらない、という感じだった。

「ああ、そうなの。言い得て妙ね。恵夢ちゃんがラプンツェル、なるほど」

「どうしたらいいと思います?」

 わたしは黙ってることしかできなかった。

「確か王子は塔の下から求愛するのよね。詩でも読んでみたら?」

「そんなことできないよ!」

 これにはわたしも大きな声で笑ってしまった。


「でもねぇ、うらやましい限りだけど遼くんもお手柔らかにね。恵夢ちゃんのストレスが増えたら困るわ」

「⋯⋯俺ってストレス?」

「遼くんはいい子なんだけど、ストレートすぎるのよ。ラプンツェルの垂らしてくれた髪で壁を上るより、ラプンツェルが自分から塔の外に身を投げるのを待つっていう手もあるのよ。それを抱きとめてあげれば、姫は痛い思いをしなくても済むじゃない」

「なるほど。流石に亀の甲より年の功」

「余計なお世話。ねぇ、恵夢ちゃん?」

「え、ええ」

 果たしてそんなに待たれてもわたしが身を投げ出す日が来るんだろうか? 待ってた方が髪が痛くても楽なのは確かだし――。

 というか、恋愛ってそんなに痛いものなのかと思うと尚更怖くなる。


「恵夢ちゃん、悩んでるみたいだからそっとしておいたけど、恋愛してもいいのよ。ここでは結婚も自由だから、結婚して同じ部屋で一緒に暮らしてる人たちもいるし」

「はい⋯⋯でもわたしは結婚するつもりはないし」

「恋愛も結婚も『するつもり』じゃなくてやって来るものよ。わたしだって看護士としてバリバリ働いてた時は収入も安定してたし、結婚なんて考えられなかったわ。でもね、夫と知り合って考えが変わっちゃったのよ。『この人とずっと一緒にいたい』って」

「うわぁ、ロマンティック!」

「夫と結婚して、子育てをして、子供の手が離れてきたから今はこうしてるんだけどね。でも子供がたくさんいるみたいで毎日、楽しいわよ」

 佐藤さんより年上の人が多いじゃん、と遼くんが突っ込んで怒られる。「老若男女問わずお世話させていただいてるの!」と佐藤さんは笑った。


 帰り道、遼くんの肩をまた借りる。

「重くない?」

「めぐが? 重いわけあるか。もっとよく食べなくちゃ。いつも少しずつ残してるの、知ってるんだよ」

 言われて恥ずかしくなる。まるでやってることが子供みたいだ。

「喉を通らない? 管理栄養士さんがちゃんと考えてくれてるはずだけど」

「⋯⋯そういうのとは違うの」

「とにかく! 我儘言わない。よく食べなさい。遼くんから、命令」

「頑張ってみる⋯⋯」

 食欲がないわけじゃなかった。亨くんからの差し入れはすべて食べちゃうわけだし。

 ただ、この先も生きていくために食べているんだと思うと箸が進まなくなる。どうしてか、自然に。

 ――わたしはこの先、生きていきたくない?

 どうせ死んでしまうからとずっと思ってきたけど⋯⋯まさか、生きることへの執着を失ってるなんて、そんなこと⋯⋯。


「遼くん、わたし、この先も生きていくのが怖いのかもしれない」

「怖い?」

「だってずっと長くは生きられないって言われてきたし、未来へのビジョンがないんだもの。白紙の未来は怖いよ」

 遼くんは足元に気を付けながら歩を進めた。

 夕暮れは早まり、夕陽は気付かぬ間に空の彼方に沈んでしまうから。

「俺も考えなかったわけじゃないよ。今更、『普通になりました』って社会の真ん中に放り投げられたら怖いなって。でも、それでも見たことのないものをもっと見たいって気持ちが勝る。めぐはそういうの、ないの?」

「わたしは今まで受動的に生きてきたから、死ぬことは怖いけど『生きたい』って気持ちが弱いんだと思う。でもやっぱりそれは天国への足枷にしかならないって、そう思う」

「いつか俺がその『天国への荷物』論を覆してみせるから――だから今は、なにも考えずに生きろ。受動的でもいい。生きてたら考えを変えてやるチャンスが生まれる」

 遼くんは話しながら歩いたせいで息が上がっていた。佐藤さんに声をかける。


「あら大変。どうしてこんなになるまでなにも言わなかったの?」

「めぐの前でだらしない姿は見せられないから」

 んもう、と佐藤さんは怒った。

「これで発作でも起こしたらそれこそ格好もなにもないわ。めぐちゃんと一緒にいたいなら、自分も労らないと」

 ははは、と遼くんは誤魔化すように笑った。

 暮れゆく景色の中でわたしたちは、もうすぐセンター、というベンチで休憩を取った。

 あの時聴いた遼くんの心音が乱れているのかと思うと気が気じゃなかった。

 今にも倒れてしまうんじゃないかと心配したけど、遼くんの「少し休めば⋯⋯」という言葉を信じた。

 遼くんがいなくなったら――それはわたしの中に新たに生まれた不安だった。

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