第7話 天国への荷物

 トントントン、聞き慣れたノックの音が耳に入る。わたしは「はーい」と立ち上がって、インターフォンで確かめもせずにドアを開けた。

 亨くんだった。

 今回は事前に連絡をもらっていたので、すぐに部屋に入ってもらったんだ。

 亨くんは小さい四角い箱を持っていた。それをテーブルに置くと、箱を開いて見せた。

「どれがすき?」

「うわ、美味しそうなケーキばっかり」

「好みがわからなかったから、いろいろ買ってみた」

「しかもこれ『シューマン』のケーキじゃないですか? これ、今すごい人気でしょう? 高かったんじゃないの?」

「いいんだ、選んで」

 ケーキは4種類。

 ショートケーキ、チョコレート、チーズケーキ、りんごのムース。どれも趣向が凝らしてある。見た目だけでもかわいらしい。


 その時、廊下を走る音がして誰かが「走らないで!」と叫んだ。

 そして、わたしの部屋のドアはノックもなしで開いた。

「おお! 我が友よ」

 遼くんはわざとらしく両手を広げると、亨くんに抱きついた。

「遼、お前いい加減にしろよ」

「いいじゃないか、たまにしか会えないんだ。メッセージアドレスさえ教えてくれないし」

「お前とメッセージのやり取りしてなにになるんだ!?」

「友情の復活」

 ふふふ、と不敵に笑った。


「なに食べるかもう決まった?」

「これはめぐちゃんに持ってきたお土産で、お前にじゃないんだよ、遼」

「ちょっと待ってよ、ふたりとも! ケーキは4個あるじゃない。喧嘩しないでよ」

「⋯⋯悪かったよ、もうふざけたりしないから」


 その中からわたしは迷った末、小さくてかわいらしいりんごのムースを選んだ。ガラス製の容器に入ったピンク色のムースだ。亨くんがレアチーズケーキ、遼くんがチョコレートを取った。

 ここ、センター内にもお見舞い客向けにケーキ屋と花屋があったけど、外のケーキ屋のものの方がありがたさも加わって格別に美味しく思えた。

 結局、どのケーキもみんなでシェアして喧嘩は意味のないものとなった。

 遼くんと亨くんも昔を思い出したのか、気がつくと気兼ねなく話すようになっていて、清香さんの言葉を思い出す。

 そう、遼くんにも親密な友達が必要なはず――。


「ねぇ、3人で散歩しない?」

「めぐ、外は寒いんじゃない?」

「ここでは散歩は日課なんだ。ほかに楽しみもないからね」

 亨くんは考えてる様子だった。わたしが風邪をひいたりしたら大変だと思ったんだろう。

「ちゃんと暖かくしていかないとダメだからね。外は酷く寒いんだよ」と言った。

 わたしはコートの上にショールを巻いて、手袋をした。亨くんも納得したという顔だった。

 外に出て、外来玄関前で遼くんと一緒に亨くんを待った。その時「ふたりきりの方がヤツは喜ぶんじゃないの?」と遼くんは言った。

「どうしてそう思うの?」

「下心なしでこんな辛気臭いところにわざわざ来る男はいないよ」

「亨くんはそんな人じゃないよ」

「ほら、めぐちゃんだってふたりの方がいいんじゃない?」

 意地悪だと思う。

 わたしは遼くんのことを思ってこうすることを選んだのに。

 冷たい風がピューっと吹き抜けて、最初からすべてが失敗だったと思わせる。そんなことはないと自分に言い聞かせる。なんでもやってみないとわからないものだ。


 亨くんが玄関から出てきて「行こうか」と言った。

 わたしと遼くんの間の空気はすっかり悪くなってしまって気まずさでいっぱいだった。

 亨くんは、こほんとひとつ咳払いをした。

「なにがあったのかわからないけど、これはあんまりじゃないかな。僕を誘っておいて」

「ごめんなさい⋯⋯。ちょっとした意見の食い違いがあって」

「それについて訊かない方がいい?」

「うん、ごめん⋯⋯」

「亨はめぐちゃんとふたりきりがいいんじゃないかと思ったんだよ」

 不意に遼くんが言葉を発した。わたしはカッとなった。

「そんな言い方ないじゃない」

「『そうだ』って言ったらどうするんだよ」

「こうするだけ」

 遼くんはコートのポケットに手を突っ込んで足早に玄関に向かってしまった。引き留めようとしたわたしを、亨くんは引き留めた。

「アイツなりに気を遣ってるんだよ」

 そんな気遣いは不要だと、わたしは思った。


 ◇


 亨くんが心配すると思い、アップダウンの激しい道は避ける。中庭に四季咲きの薔薇が咲いているので、それを見に行こうと提案する。亨くんは頷いて、肯定した。


 中庭に植えられたピンクの花は冬空をバックに凛と立って、余計に寒々しくわたしの目には映った。春の暖かい時期に咲けば、こんな孤独でいることもなかっただろうにと思わせる。

 緑に茂るはずの葉は茶色帯びて、茎が顕になっている。まるで操り人形のように。

 わたしの後ろを歩いていた亨くんは「綺麗だね」と言った。普通の人の感覚ならそうなのかもしれないと思い、苦笑する。

「ここが建てられた時に植えられたんだって」

「へぇ。じゃあここの歴史を見てきたわけだ」

 一体その間に何人の人が来て、何人の人が去ったことだろう。そう思うと悲しくなる。

 わたしもそのうち、中のひとりになる。

 わたしたちは手近なベンチに座って、最近の話をした。もっともわたしの生活は相変わらずだったので、自然、亨くんの話になる。就活が厳しいと、彼は言った。


「なかなか来られなくてごめん」

 いいの、と言いかけたわたしの膝の上の手を、亨くんが握った。

 心臓がドキドキする。子供時代を過ぎてから、手を繋ぐのは初めてだった。

「本当はもっと頻繁に会いに来たいんだ。でもなかなか上手くいかなくて。めぐの顔をもっと見たい」

「⋯⋯無理しないで」

「めぐは迷惑?」

「わたしは⋯⋯」

 予想もしなかった展開に、なんて答えていいのかわからなくなる。

 会いに来てくれる度にうれしかった。

 でも、天国への荷物は軽い方がいいと、自分に言い聞かせてきた。たくさんの持ち物は、わたしをこの世から去りづらくさせるだろう。


「会いに来てくれるのはうれしい」

「めぐがすきなんだ」

「⋯⋯わたしなんかすきになっても。でも、ちょっと、考えさせて」

「すぐに答えが出なくても待ってる。いきなりでごめん。ライバルがいるなんて思ってもみなかったから焦っちゃって」


 ああ、荷物がどんどん増えてしまう、と思う一方、これがわたしの望んだ展開だったのかなと疑問に思う。

 正直に言えば亨くんがすきだった。

 両想いなんて、来世の来世の来世くらいまで叶わないと思っていた。

 だけど今、その時が来て戸惑っている自分がいる。

 どうしてだろう? あんなに夢見てたのに――。

 自分で自分がわからない。こんなことは初めてだった。

「本当にごめんなさい⋯⋯」

 いいんだよ、と彼は手を離すとわたしの頭の上にポンと乗せた。やさしさがわたしを悲しくさせた。





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