第5話 共通の思い出

「ちょっと! アンタ、どういうことよ」

 廊下を歩いていると前から清香さんが来た。清香さんは目で見て明らかにわかる程、怒っていた。噂のせいに違いない。覚えがあるだけに逃げ出せない。

「付き合って!」


 着いた場所は食堂だった。

 清香さんは二段になったパンケーキをふたつ持って、テーブルにやって来た。

「糖質制限ないよね?」

「ありません」

 よし、と言うとひとつをわたしの前に置いた。

 そうして向かいの席に座ると、こほん、と咳払いした。

「あのさ、噂聞いた時、マジでイラッと来たんだけど、考えてるうちに答えが見えたわけ」

「はぁ」

 なんの答えが出たんだろうと疑問に思う。わたしと遼くんが、亨くんで結ばれてるなんて佐藤さんしか知らない情報のはずだ。


「あたし清香さやか。歳はハタチ。今年成人式なの」

「おめでとうございます」

「成人式なんて喜んでおかしいと思う?」

 彼女の言おうとしていることが読めなくて、口を閉じる。

「こんな病気なのに成人式なんてうれしくもなんともないって最初は思ってたの。親は『成人するまで生きられるなんて』って泣くし。こっちはいつだって覚悟できてるからこんなところにいるのにね」

 ああ、そういう話か、と合点が行く。

 生クリームの上に清香さんはたっぷりシロップとチョコレートシロップをかけた。純白が、色づく。

「それでなんかずっと釈然としなかったんだけどね、遼に話したらさ、思い出は自分のためだけじゃない贈り物だからって。受け取り手がいるんだよって言うの。そんなの関係ないじゃん? わたしの成人式なんだから。親のためにやるんじゃないよって。そしたら『共通の思い出っていーじゃん』って。何様よ」

 清香さんはけたけた笑った。そしてパンケーキを一口大に、きちんとみんな同じ大きさになるように切り分け始めた。


「わたしもね、最初は自分の意思でここに来たと思ってた。だって、植物状態で死ぬに死ねないとか怖いもんね。その間、魂はどこにいたらいいのって、バカなことで悩んでた。だから自分で選んで、周囲の反対を押し切って入所したの」

 パンケーキは少しずつ彼女の口に入る。その度に、話が緩やかになる。

「でもさ、遼の話のこと考えてて思った。ああ、自分は愛されてるんだなって。みんな、わたしが延命措置を望んでないのを知ってて、それでも尚、少しでも長く一緒にいたいと思ってくれてるんだって。それで⋯⋯家族と離れたこと、少し後悔した。ここも遼みたいな人がいて楽しくもあるんだけどね、家族いないとやっぱりさみしーじゃない? 一人暮らしとは違うんだし。ねぇ、どう? 怒らないで聞いて、アンタ、閉じこもりなんでしょう? あたしもここに来た時、最初はそうだったの。だからさ、アンタの気持ち、わかんないわけじゃないんだよ。アンタも少し、外を見るといいよ」


 わたしはパンケーキをちびちび食べていた。

 パンケーキの表面はシロップで、波に濡れた砂浜のように二色に分かれて表面はつややかだった。

「わたしはまだここに来たばかりだから、正直、そこまで考えたことないです。余裕⋯⋯そう、先のことを考える余裕がまだないっていうか。ようやくここにたどり着いたので、成人式とかピンと来なくてごめんなさい。でも清香さん、着物、似合いそう」

「お世辞はいいの! とにかく遼ともっと話してみて」

「嫌だったんじゃないんですか? わたしがふたりきりであの人と話すの」

 んー、と清香さんは頬杖をついて考え始めた。ごく短い時間だったけど、答えは出たようだった。

「アンタ、以前のわたしと似てるもん。遼に魔法をかけてもらうといいよ。わたしたちも先のこと、考えていいんだよ。遼が誰かを選ぶ時のことは、何度もシュミレーションしてきたからさ」

「誤解です! 遼くんはわたしの従兄弟の友達だってことがわかって、それで引きこもってるわたしを心配してくれてるんだと思うんです」

「従兄弟の友達?」

「はい」

「なんだ!」


 清香さんは目に涙を溜めて笑った。

 よく見ると、線の細い綺麗な人だった。長い髪に気を取られていたけど⋯⋯あの、お兄さんの婚約者だって人も長い髪をしていた。遼くんの好みは長い髪の女性なのかもしれない。

 それならわたしはアウトだから大丈夫。⋯⋯大丈夫って、なにがだろう? よくわからないけど、インではないから。

「従兄弟くんと遼が高校の同級生だったってわけ。随分、偶然だね」

「わたしも驚きでした」

 遼くんの中には今も高校時代の亨くんがいる。だけど亨くんの中では3年前の友達だ。これは否めない事実だ。

「そう言えば、遼の特に親しい友達っていないかも」

「そうなんですか?」

「うん、みんなと仲いいから、気にしたことなかったけど」

 そうなんだ⋯⋯。さみしい話。昨日の話には出て来なかったけど、実は彼はさみしい人なのかもしれない。


「まぁいいや。よーくわかった。めぐは幾つ?」

「18です」

「アンタ⋯⋯」

「いいんです、そのことは」

「そうだね、ここではみんな同じだ。もしここで困ったことがあったらあたしに言っておいで。遼がアンタにやさしくするなら、あたしもアンタにやさしくするからね」

「あ、ありがとうございます」

 パンケーキをいつの間にか食べ終えていた清香さんは「それじゃ」と言って部屋に戻って行った。


「めぐちゃん」

「遼くん!」

 しーっと人差し指を上に立てて、彼はわたしを黙らせた。それからわたしの隣の席に移動してくると「清香ちゃんに怖いこと言われなかった?」と訊いてきた。

「ねぇ、清香さんのことどう思ってるのか知らないけど、すごくやさしい人じゃない! そんな言い方、失礼だと思う」

「⋯⋯かもしれないね。ごめん、失言でした」

 わかればいいよ、とわたしは答えた。その隣で遼くんは、わたしの持て余していたパンケーキをつつき始める。

「清香ちゃんは頑張り屋さんなんだ。ここに来るきっかけになった手術も大変なものだったって聞いてるし。だから俺、彼女のこと、馬鹿にしてないよ。寧ろ尊敬してる。

 最初こそみんなの前に出たがらなかったけど、そんなの多かれ少なかれ誰にもあることだしさ。――ただ、特別な女性ひととは思えないだけなんだ」


「遼くんは――」

「ん?」

 遼くんは『恋』が怖くないの? とは聞けなかった。どうしてだろう、聞けなかった。

 他人の恋の話なんて失礼だと思ったからかもしれなかった。


「めぐちゃんは将来の夢はないの?」

「ショーライ」

 最もここから遠い場所だ。どうやったらたどり着くのか皆目見当もつかない。勿論、一瞬先も将来だってミニマムな考え方もあるけど、そういうことではないだろう。

「遼くん、わたしの将来の夢は、苦しまずに死ぬことだけど」

 しっ、と遼くんは人差し指を立てた。

「勿論ここにいる人たちはみんな、それが目的なんだけど、目的と夢は違うでしょう?」

「わたし、趣味もなにもない」

「趣味もないの? なにか習ってみたら?」

「なにか変わる?」

「変わるかもしれない」

 どうしてこの人は確信を持ってそんな夢をわたしに見せようとするんだろう。わたしの夢は⋯⋯天国への持ち物を少なくすること。でもきっと話したら笑われる。

 だから、言わない。








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