第4話 エネルギーの塊

 鍵を開けてシーリングライトのスイッチを入れる。部屋の中はパッと明るくなる。

 猫の額ほど玄関がわたしを迎える。わたしはちょっとムッとして「どうぞ」と彼を迎え入れた。


 それは食堂でのことだった。

 食事を終えた後、少し話をしていると「恵夢ちゃん、手を出して。こう、親指を上にしてGoodの形」。

 わたしは言われた通り、訳もわからないまま手で形を作ってテーブルに乗せた。

 すると遼くんの手がいきなり近づいてきて、わたしの親指を除く4本指を握った。

「な! なんですか!?」

 勝負は顔が赤くなる前に終わった⋯⋯。

 彼はわたしの親指を自分の親指で組み伏せると「1、2、3、4、⋯⋯、10! 勝ち!」と叫んだ。

「指相撲、やったことないの?」

「あるけど、こんな前振りもなく酷いです」

「あ、じゃあ自信あるんだ。再戦してもいいよ」

「いいです! 遠慮します!」

 だってそうしたらまた手を⋯⋯。急に顔の温度が上がり、わたしは下を向いた。

「勝ったからひとつ言うこと聞いてよね」

「⋯⋯簡単なことなら」

「食後のデザートを一緒に食べる権利」

「えー!? 無茶ですよ! 亨くんとふたつも食べて夕食も食べたのに」

「わかった、わかった」

 彼は笑いながら、顔の前に両手のひらを立てた。

「恵夢ちゃんはお茶に付き合って」

「⋯⋯それくらいなら」

「よし、決まり! 行こう!」となったわけだ。


 部屋の中は片付いていた。佐藤さんが日頃うるさく言うから。

 誰かが気を利かせてエアコンをつけていってくれたお陰で、部屋は十分に暖まっていた。

 冷蔵庫からドーナツを出して、ケトルの水を入れる。水切りかごに入れっぱなしだったマグカップはすっかり乾いていた。

「ふぅん、結構かわいい部屋なんだね」

 わたしの部屋は白を基調として花柄をポイントにしていた。急に恥ずかしくなる。

「女の子らしくていいね。清潔感があって、かわいい」

 にこっとそこで笑う。

 一体この人はなにを考えているのか、さっぱりわからない。

「食堂でふたりでいると、また邪魔が入るかもしれないでしょう? だからだよ」

「別にいいじゃないですか。わたしは構わないですよ。だってわたしたち、特になにかあるわけじゃないし」

「たったひとりの親友の従姉妹だ。特別だよ」

 その言葉はわたしを少し悲しくさせた。亨くんとは高校生の頃からずっと会っていなかったはず。亨くんの口から遼くんの話が出たことがない。

「考えてること当ててみようか? いいんだよ、片思いの親友でも」と彼は言った。


 その時、ケトルがお湯が沸いたサインに「カチン」と音を立てたので、わたしは立ち上がった。遼くんは亨くんが座った方のイスに座ってにこにこお茶を待っている。白いプレートを今度は1枚だけテーブルに乗せた。

「どれにします?」

「これ。このいちばん甘そうなヤツ」

「グレーズド」

「ぐれーずど」

「ドロドロの砂糖がかかったヤツです」

 わたしはそれを遼くんの前に置いた。そして、お茶は紅茶でいいかと尋ねた。なんでもいいよ、と彼は答えた。


「美味しいね、これ。亨、見る目ある」

「だって流行ってますから。SNSとか見ないんですか?」

「うーん。そういう流行り系のは見ないかなぁ」

 わたしだってそんなに見る方ではない。外の情報が入ったところでどうしようもない。

「ほかにはどんなものがすきなの?」と言うと彼は部屋をぐるっと見回した。

「ははーん。かなりの読書家と見た!」

「そんなに部屋の中をじっと見ないでください!」

「それもそうか。今度、俺の部屋にも来るといいよ。結構変わってると思う」

「自分で言うかなぁ」

「お、そういう砕けた態度がいいね」

 よくわからない人だ。憎めないし。

 今までのわたしを考えると、ここに、今、この人がいることが信じられない。

「もう1個食べます?」

「いや、お茶のお代わりを」

「了解」

 くすっと笑いを漏らさずにはいられなかった。


 それからはお互いの個人的な話をした。ほかの人にはあまり聞かせないような話。

 わたしの中には大きな腫瘍があって、余命宣告されていること。

 彼の心臓は先天性の障害があって、同じく余命宣告されていることをアールグレイの芳しい香りの中で話した。

「発作が起きない時はなんでもないんだよ。寧ろ見ての通りぴょんぴょんしてる」

 わたしは笑った。

「わたしはぴょんぴょんしないかな? 無理ができないから」

「それは心のノートに書き留めておくよ」と彼は更にわたしを笑わせた。

「わたし、こんなに普段笑わないの。遼さんがおかしいんだから」

「こんなにプライベートな話して、まだ『さん』付けかぁ。ほら、呼んでみて」

「⋯⋯遼、くん。遼くん、これでいいでしょう?」

「明日からもそれで頼むよ」

 おかしなことを言って、彼は部屋に帰っていった。


 ◇


 シャッとカーテンを開ける音がする。青空が目に突き刺さる。

 目が開かない。眩しすぎるから。

 まだ寝かせておいてほしい。ママ、お願い⋯⋯。

「おはよう恵夢ちゃん。いい朝よ」

「⋯⋯おはようございます、佐藤さん。ごめんなさい、夢を見てて」

「若いうちはよく寝られるんですってよ。いいじゃない、よく寝なさい。センター内は噂で持ち切りよ。あの遼くんが女の子をお持ち帰りしたって」

 ふふっとふくよかな顔で佐藤さんは笑った。

「お、お持ち帰りだなんて」

「あら、違うの?」

「亨くんがくれたドーナツが余ってて⋯⋯あの、亨くんと遼くんが高校の時の友達だってわかって」

「遼くん《・・・・・》」

「いや、遼くんが遼くんて呼べって言うから」

 めちゃくちゃだった。だって自分の中でも整理のつかないことばかりだったから。亨くん以外とあんなに話した男子はいなかった。


「どうだった? 遼くんは」

「不思議な人。話したいことが次から次へと⋯⋯なんでもないです!」

「彼って生きるエネルギーに満ちてるのよね。でももしこれからも仲良くするなら、無理しないように見張ってて。また発作が起きたら、ベッドに元通りよ」

 そうなんだ。昨日聞いた話は本当なんだ。発作ばかりで家族からここに入れられて⋯⋯。笑いながら本人も話してたけど。

「みんな遼くんにエネルギーもらってるけど、どうか遼くんのエネルギーの源になってあげて」

 知り合ったばかりのわたしにそんなすごいことができるはずないと、わたしは思っていた。


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