神の山

 仕事を終えて、ハルカは湖管理局の建物から、外に出た。

 18時を少し過ぎていた。太陽は天頂にある。空には雲一つない。

 ため息を吐いて首を振るが、男の子のような短い髪は揺れない。

 それから、待ち合わせ先のレストランに向かった。


「ごめん、待たせたか」

 メニューを見ていると、マッテオが入って来た。

 剃り上げた頭に、日焼けして引き締まった体つきで、年配の修道士のように見える。

「来たばかりだから、大丈夫」

「先に飲んでてよかったのに」

「おごってくれる人を待つべきと思って」

「俺がおごるのかよ」

「苦悩する幼馴染を慰めるために呼んだんでしょ」

 マッテオは画面を叩いて、ビール2杯と料理をいくつかオーダーした。


「で、どうなんだ、地底湖の方は」

「順調に減っている」

「順調って・・・水漏れは見つからないんだな」

「地表では漏れていない。壁面にも異常は見当たらない。

 そうなるともう、外殻から外に漏れだしているとしか、考えられない」

「外殻か・・・」



 人類は、太陽を取り囲む巨大な構造体「ダイソン球」で暮らしている。

 太陽が放射するエネルギーを、ほぼ全て利用できるようになった。

 居住地は、ダイソン球の内側。

 雲一つない空の上で、太陽が常に輝いている。


 夜はない。四季の巡りもない。

 水は、球構造体の「地下」に貯蔵されている。これが「地底湖」だ。

 水の大気循環が殆どないので、雨や台風もない。

 極めて安定した環境が、そこにはあった。



「湖の底に、調べに行けないのか」

「大昔は『潜水艦』があったそうだけど、もうないし」

「使わないものは、どんどん忘れ去られる運命だな」


 潤沢な太陽エネルギーと、高度な資源循環技術により、外部からの補給をほとんど必要としない社会が成立していた。

 それは人類を存続させるには、とても重要なことだった。


 だがその結果。人類社会は、無数のコミュニティに分裂して孤立した。

 コミュニティを束ねる行政機構は瓦解。

 近隣のコミュニティ同士が、ゆるやかな連合を組んで生活している。

 かつてダイソン球を建造した宇宙技術も、失われて久しかった。


「外殻を調べたいのに、外に出る方法が無いなんて!」

 するとマッテオは、ビールを一口飲み込んでから、言った。

「それがさ。あるかもしれないんだ、出口が」

「え? どこに?」

「神の山に」

「山に!?」


          **


 神の山は、ハルカたちが暮らすコミュニティから、約500キロメートルの距離にある。


 昔からあるのではない。

 100年ほど前に、突如出現した。

 マッテオは念願かなって、調査を担当する科学省地理局に就職したのだった。


「あの山、どうも空洞らしいんだ」

「中身が無いの!?」

「ああ。小惑星が突き破った跡だからな。

 そして山頂には、穴が空いている」

「それじゃ、空気が漏れちゃうじゃないの」

「山頂は大気圏の上に突き出しているので、大丈夫なんだ。

 つまり、てっぺんに登って、そこから降りれば、外殻の外に出れるはずなんだ」


「それって、つまり・・・」

 ハルカが目を輝かせる。

「星が見られるってこと!?」

「ああ」

「じゃあ行こう!」

「よーし! 一緒に行こう! と言いたいところなんだが。

 実は、探検隊を編成する予算が無くてな。

 そこでお願いなんだが、湖管理局から予算を出してもらえないか?」

「それが今日の目的か!

 水漏れ調査の名目で、探検隊を支援すればいいんだね?」

「そうしてもらえると助かる!」


 こうして2人は、予算獲得に奔走。

 マッテオを隊長とする「神の山探検隊」が結成された。

 ハルカは「水漏れ調査」担当として、参加することになった。


          **


 神の山は、標高が15キロメートルもある。

 だが、その形状はほぼ完璧な円錐形で、表面に起伏がほとんどない。

 ハルカたちは山頂まで、車両に乗って登攀することが出来た。


 そして山頂には、巨大な穴が開いていた。

 ドローンを飛ばして、穴の中を覗き込む。

 穴の中は、真っ暗だった。


「星が見えると思ったのに・・・」

「おかしいな。何かで塞がれているのか?」


 山の中にも、空気があった。

 足場を築きながら、慎重に下りていく。


 3か月ほどかかって、ようやく、底にたどり着いた。


「これは『外殻』じゃない。薄い鉄板みたいなものだ」

「じゃあ、穴を開けられる?」

「ああ。エアロックを設置して、それから切断してみる」


 エアロックが設置されると、2人は宇宙服を着用。

 ハッチを開けて、身を乗り出す。


 すると、そこには。

 文字通り、満天の星が、煌めいていた。



「星だ! 星だ!」

 ハルカは興奮して両手を振り回す。

「とまれ! そんなに激しく動くな。飛んで行くぞ」

 マッテオも続いて穴から外に出ると、呆れながらハルカをなだめた。


 地平の彼方まで、どこまでも続く星の海。そして絶対的な静寂。

 圧倒された2人は無言になり、呆然と星空を眺めた。


「あ、あれ!」

 ハルカが、今度は遠くの地表を指差して叫んだ。


 巨大な水柱が、天をめがけて噴き出している。

 その上空には、無数の氷塊が、浮遊していた。


「あそこから漏れているんだ」

「遠いな・・・俺たちの装備じゃ厳しい。

 たどり着けても、塞げるかどうか」

「まずは行ってみよう!」

 ハルカが水柱に向かって歩き出す。


 ちょっと待てよ、と彼女を止めようとして、マッテオは体をこわばらせた。

 全長2メートルほどの金属の箱が、近づいてきたのだ。


「ハルカ、ちょっと待て!」

 緊迫感のある声に、驚いて振り向く。

 その瞳に、金属の箱と腕が見えた。


「自動機械か!」

「何なの?」

「外殻をメンテナンスする機械だ。こいつが、山の底を塞いだんだ」


 2人が見守る中で、自動機械がハッチを閉めた。

 火花が飛ぶ。


「ちょっと! 溶接してない!?」

「おいこら、お前、止めろ!」

 自動機械は指示に従わず、ハッチを溶接で塞いでしまった。


「キャンプ、聞こえるか?」

 無線も通じない。



 1時間後。探検隊の仲間が、バーナーでもう一つ穴を開けようとした。

 すかさず自動機械が、鉄板で塞ぐ。

 重石のように、鉄板の上に鎮座して押さえつける。


 4時間後。別の場所が赤く光った。仲間がエアロックを移動させたのだ。

 だがその穴も、自動機械によって、同じ運命をたどった。


 2人は、外の宇宙空間に、取り残されてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る