第27話
雄也からカラオケに誘われるなんて思ってもみなかった。
普段は俺から誘うことが多いし、実際、今回もそうするつもりだった。
けど、いつものように話題を切り出すタイミングを逃してしまい、そのまま何となく日々が過ぎていた。
だから、彼から声をかけてくれたときは、少し驚いたけど、正直めちゃくちゃ嬉しかった。
駅前のカラオケボックスの自動ドアをくぐると、冷たい空気が肌を優しく包み込む。夏の蒸し暑さが嘘のように和らぎ、額に滲んでいた汗がじわじわと引いていく。受付を済ませ、二人で指定された部屋へ向かう。廊下は薄暗く静かで、遠くから聞こえる他の部屋の歌声が、不思議と心を落ち着ける。
部屋の扉を開けると、さらにひんやりとした空気が迎えてくれる。小さなテーブルとソファが並び、モニターが壁一面に設置されている、いつものカラオケルーム。けど、今日はなぜかその空間が妙に居心地悪く感じた。
雄也と二人きりだからか――その理由に気づいたとき、胸の奥が少しだけ高鳴る。
俺は、自然を装いながら彼と少し距離を取って座った。普段はこんなこと考えもしないのに、今日はどうしても意識してしまう。どうせなら、雄也が歌っている姿をじっくり見てみたいと思い、「先に歌ってよ」と頼んだ。
彼が選んだのは、ワン・ダイレクションの《What Makes You Beautiful》だった。イントロが流れると同時に、彼の表情が少しだけ引き締まる。
英語の歌詞を軽々と歌い始める雄也。その声は明るく力強く、どこか無邪気さも感じさせる。そんな彼の姿に、俺は少し気圧されてしまった。
歌う姿がかっこいい。自然体でいながら、その声には彼自身の持つ魅力がしっかりと表れている。彼の視線が画面に向いているおかげで、俺は気兼ねなく彼の顔をじっと見つめることができた。ふとした表情の変化や、リズムに乗る軽やかな仕草に、胸の奥が少しずつ熱を帯びていく。
曲が終わると、俺の番が回ってきた。期待に満ちた目でこちらを見つめる雄也。その視線が眩しすぎて、一瞬目をそらしてしまう。
けど、彼を失望させたくないという思いが勝り、タッチパネルでクイーンの《Teo Toriatte》を選んだ。
昔、お父さんがよく聴いていた歌。
イントロが流れると、緊張のあまり胸の鼓動がさらに速くなる。でも、歌い始めると自然とその世界に引き込まれていった。雄也はじっとこちらを見ている。曲の途中でチラッと視線を送ると、真剣な表情で聴き入ってくれているのが分かる。その顔が妙に愛おしく思えた。
こんな風に誰かが自分の歌声を真剣に聴いてくれるなんて、今までなかったかもしれない。だから、気づけば自分でも驚くほど本気で歌っていた。歌い終わると、画面に表示された点数は九十点。今までで一番高い得点だった。
「すごいやん!」
雄也が笑顔で褒めてくれる。その一言だけで、俺の心は満たされる。彼の笑顔を見ていると、疲れも忘れるくらいに幸せな気持ちになった。
そんな余韻に浸っていた時だった。雄也が突然、ソファに寝転がり、そのまま俺の足を枕代わりにしてきた。
「え、ちょっと・・・・・・」
言いかけたが、彼はすでに目を閉じている。彼の疲れた様子を見ていると、結局何も言えなくなってしまった。
それどころか、俺の足に触れる彼の頭の感触がじわじわと伝わってきて、心臓が激しく鼓動を打ち始める。
雄也の顔が、俺の膝の上にある。それだけで頭が真っ白になりそうだ。
けど、視線を逸らすこともできない。その柔らかな髪や穏やかな寝顔に触れたいという衝動が湧き上がる。
気づけば、俺は彼の頬にそっと手を伸ばしていた。その肌は驚くほど柔らかく温かい。優しく撫でるたびに、自分がどれだけ彼を好きなのかを痛感する。
彼が微かに微笑むのが分かった。それが俺をさらに幸せな気持ちにさせる。彼のその表情を独り占めできるなんて、夢みたいだ。
けど、同時にこの気持ちを伝えることの難しさも分かっている。きっと、俺だけがこんな思いを抱いているのだろう。そんな考えが頭をよぎり、ふと視線を落とす。
(ずっと、こうしていられたらいいのにな・・・・・・)
心の中でつぶやいたその言葉は、決して彼には届かない。でも、こうして彼と二人きりでいられるこの時間を、俺は何よりも大切にしたいと思った。
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