第20話
目を覚ますと、柔らかなシーツの感触が全身を包んでいた。かすかな頭痛とともに視界に飛び込んできたのは、見慣れた部屋の天井。そして、その隣から聞こえる声。
「ちょっと、陸人! 大丈夫?」
雄也が驚いたようにこちらを覗き込んでいた。その瞳には、心底心配している色が宿り、彼の声はわずかに震えているように思えた。
「あれ? どうしたの俺?」
「ザッハトルテ食べたら倒れたんだよ。死んだかと思って、俺本気で心配したんだぞ!」
その言葉とともに、彼の手が俺の肩に触れた。そのぬくもりが、ほんのりと心に染み渡る。倒れた?
そういえば、ザッハトルテを一口食べたとき、雄也の差し出したフォークの先から広がる甘さと彼の笑顔に、胸がいっぱいになった記憶はある。でも、その先がどうにも曖昧だった。
考えれば考えるほど、顔が熱を帯びる。どうやら、嬉しさのあまり頭に血が昇り、理性ごと意識を手放してしまったらしい。恥ずかしさが胸の内を駆け巡る中、目の前の雄也の表情がふと柔らかくなり、優しい微笑みが零れる。
「ほんとにさ、びっくりしたんだからな」
その一言は、まるで小さな罪を許すかのような響きで、俺の心にそっと降り注いだ。
「そっか、ごめんな」
「うん。大丈夫で安心した。お母さんも心配してたぞ」
「え? お母さん⁉︎ もう帰ってるの?」
「もう帰ってるって、もう夜の八時だぞ」
もうそんな時間になっていたのか。時計の針を確認すると、予想以上に遅い時間を示している。となると、お母さんだけでなく、お父さんも妹もすでに帰宅しているはずだ。
部屋の外に耳を傾ければ、微かな話し声や、台所から漂う夕飯の香りが感じられる気がする。まるで現実に引き戻されるような感覚だ。これ以上雄也と二人の世界に浸っているわけにはいかない。そろそろ立ち上がらなければ、と思いながらも、まだ少し名残惜しい気持ちが胸にくすぶっている。
改めて、訊いてみる。
「もしかして、みんな帰ってる?」
「うん」
しまった。せっかくの二人きりの時間を壊してしまった。ケーキを食べた後は、一緒にゲームをしたり、もっといろいろ楽しみたかったのに。胸の奥で小さな後悔が芽生える。
「そっか。ごめんな」
「大丈夫だって。俺、陸人のお母さんに元気になったって言ってくるね」
「あ、うん。ありがとう」
雄也が部屋を出て行った。その背中を見送りながら、胸の奥に重い後悔が沈んでいく。
俺は何をやっているんだ。
こんな風に自分の感情に振り回されて、結果的に雄也を困らせるなんて。
心を落ち着けるために深呼吸を繰り返し、自分の思考を一つ一つ整理する。
もっと冷静に、もっと理性的に振る舞えなければいけない。
そうでなければ、この繊細で大切な関係に傷をつけてしまうかもしれない。
平静を保てる自分でいようと、そう自分に言い聞かせながら、ふと部屋に残る雄也の香りが微かに鼻をかすめ、胸の奥が静かに疼いた。
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