記憶の軌跡

 それから二人は、思い出話に花を咲かせた。記憶の底に沈んでいた小学校の頃の光景が、淡い色彩で蘇ってくる。


 あの日、陸人が体育の時間に転んで膝を擦りむいたことも、まだ覚えている。


 痛みに顔を歪めた陸人を支え、俺が必死に保健室まで連れて行った記憶。あの時の心配や焦りが、いま思い出すと微笑ましい。


 「覚えてる? あの廊下で先生に怒られた時のこと」


 俺がそう尋ねると、陸人は小さくうなずいた。放課後、誰もいない廊下で、二人で夢中になって走り回った。


 そんな無邪気な時間が、まるで宝石のように煌めいて、今も心の中で輝いている。俺たちが子供だった頃、世界はただ楽しいだけだったのに、どうしてこんなにも早く過ぎ去ってしまったのだろうか。


 「中学の最初のテスト、覚えてる?」


 その言葉に陸人はふっと笑みを浮かべる。初めての定期テストの点数を競い合って、二点差で俺が負けた時のこと。


 あの時、陸人が得意げな顔をして見せた勝ち誇った表情が目に浮かぶ。悔しかったけれど、それ以上に彼と競い合える楽しさがあった。

 思い出話をしていると、次から次へと話題が尽きない。まるで目の前にあるカップが、話題という名の水でどんどん満たされていくかのように、過去の記憶があふれ出してくる。


 そのたびに、俺たちが過ごしてきた日々の重みが、一層胸に染み渡っていくのを感じる。

 そして、あの日のことも、避けるようにしてきた思い出が蘇る──彼が突然、転校した日のこと。


 理由は、本当にお父さんの仕事の都合だったのだと、陸人は今さらのように言った。

 小学生だった俺には、ただ悲しい現実として受け止めるしかなく、その理由を母親に聞かされた記憶さえ、いつの間にか遠ざけていた。


 「そうだったんだ・・・・・・」


 その理由を聞き、俺は何とも言えない感情に包まれた。どうしてあの時、もっと陸人のことを思い出せなかったのだろうかと、悔やむような気持ちもあった。


 でも、こうして再び彼に会えたことで、その想いはすっと軽くなった。あの頃の時間が今、少しずつ形を変えて自分の中に戻ってきている。

 二人で思い出を共有し、心に積もった雪を少しずつ解かしていくように、語り合う時間は途切れることなく流れていった。


 互いの声が重なり合い、記憶の断片がまた一つに繋がっていくたび、心のどこかが温かく満たされていく。ふと、目の前に店員が現れ、閉店の時間が近いことを告げた。


 「もうこんな時間なんだな・・・・・・」


 彼の言葉に驚き、時計を見ると、すでに三時間以上も経っていた。二人とも会話に夢中で、時の流れをすっかり忘れていた。少し名残惜しい気持ちを抱えながら、お会計を済ませて店を出る。


 夜の空気が冷たく頬に触れ、また現実へと引き戻されるようだった。

 外に出ると、澄み切った夜空が広がっていた。上を見上げると、デネブとベガ、そしてアルタイルが、三角形を描くように輝いている。その三つの星が放つ光が強すぎて、他の星たちはその明るさに隠れてしまっていた。


 夜空に浮かぶその輝きが、なんだか俺たちの関係に重なって見えた。目立つ光の影で、控えめな星たちが霞んでしまうように、俺たちの思い出も、彼の存在も、見えない場所に隠れてしまっていたのかもしれない。


 でも、そんな霞んだ記憶のおかげで、今こうして再び陸人という星が輝きを取り戻したように思えた。


 俺はそっと、隣にいる彼に目をやる。彼が再び俺の隣にいること、その事実がただ嬉しかった。

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