第6話

 家に戻り、玄関で靴を脱ぎ、いつも通り手洗いうがいを済ませた。そのまま荷物を放り出して、ベッドに倒れ込む。長い一日だったせいか、体がふわりと沈む感覚が心地よい。


 しばらく天井を見つめていたが、ふと思い立ってうつ伏せになり、枕元に置いていた文庫本を手に取る。今読んでいるのは恋愛小説で、何気なく立ち寄った書店で大きく紹介されていた本だ。特に誰かから勧められたわけでもなく、ただ惹かれるように手に取り、そのままレジへ向かった。


 もともと読む小説のジャンルに偏りがない。恋愛ものだけでなく、SFやホラー、ミステリーまで、気になる作品は手当たり次第に読むスタイルだ。


 ストーリーの進展にワクワクしながら、時折ページをめくる手を止めては、物語の余韻に浸るのが好きだ。そんな読書の時間は彼にとって特別なひとときであり、どんなジャンルの本でも心が休まる。


 ページを繰りながらふと気づいた。あと五十ページほどで物語も終わりに近づいている。もう少しでこの世界からも離れてしまうのかと少し寂しくなりながらも、結末がどうなるのか早く知りたいという気持ちが心を掻き立てる。

 ページの先に広がる物語の結末に期待しつつ、彼は読み進めた。


 読み終えた後のことも自然と思い浮かぶ。「次は何を読もうか」そう考えながら財布を取り出し、中身を確認する。

 千円札が二枚だけ。


「え、もうこんなけしかないやん」


 書店に行くのを少し躊躇った。財布には千円札が二枚。新しい本を買うには心許なく、どうしようかと考え込む。


 しかし、読み終えてしまった小説の余韻が、すぐに次の物語を求めさせる。悩んだ末に「うん。一冊だけな」と決め、書店に向かった。


 店内に足を踏み入れると、入口近くには本屋大賞を受賞した話題作が並べられている。カラフルな表紙がずらりと並び、本好きにはたまらない光景だ。目を引く作品が次々と視界に入るが、買えるのは一冊だけと決めた自分に自制を言い聞かせ、一つひとつ慎重にあらすじを確認する。


 興味をそそられる本は多いが、気になる本を次々に手に取っていると、あっという間に手持ちの金額を超えてしまう。


 候補を絞り、じっくり読んでみたいと思う本をようやく一冊選ぶ。それは、日本で著名な作家の手によるミステリー小説だった。ミステリーは読み始めると時間を忘れるほどに集中してしまうのが常だが、今回は財布事情もあってなおさら、読みごたえのある一冊を望んでいた。

 会計を済ませ、軽くなった財布を片手に店を出ると、外は暖かな空気が満ちていた。春が過ぎて夏が近づいているのを肌で感じる。


 しかし、懐だけはなんだか冷たくなった気がして、思わず苦笑いを浮かべる。新しい本を手にできた満足感を抱きつつ、次の物語に心を躍らせながら、帰路へと足を進め、


「バイトするか・・・・・・」


 と小さく呟いてから、家に帰るとすぐに未来に電話をかけた。呼び出し音が鳴るたびに少し緊張したが、未来が出ると自然と笑みがこぼれる。


 アルバイトを始めようと考えていることを伝えると、未来は驚きつつも応援してくれた。彼女の励ましに背中を押されるような気持ちになり、やる気が湧いてくる。

 電話を切ると、気持ちを新たにした。

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