第7話

 三日後の朝、薄暗い部屋の中で、夢と現実の狭間を揺られながら眠りを楽しんでいると、枕元のスマートフォンが無情に鳴り響いた。寝ぼけたままの手で、感覚に頼ってスマートフォンを探るが、なかなか見つからない。


 やっと触れた画面をぼんやりと開けてみると、そこには一瞬覚えのない名前が表示されていたが、すぐに思い出した。


 それは、未来に教えられていた、あのカフェの店長の名前だった。


 一気に眠気が吹き飛び、心臓が跳ねる。急いで飛び起き、ベッドの端に腰掛けた。


 眠りの余韻を振り払おうと、口の中で「あ、い、う、え、お」と小さく発声を繰り返してみるが、緊張に喉が引きつり、うまく声が出ない。コール音はすでに五回を数え、このままでは切れてしまうかもしれない。


 焦りながらスマートフォンを耳に当てると、鼓動の音ばかりがやけに大きく感じられる。


『もしもし』


「あ、お世話になってます。佐野です」


『ああ、佐野くんね。良かった良かった。あの、面接なんだけど、今日の十五時とかでもいいかな。いきなりで申し訳ないんだけども』


 通話を終え、静けさが戻った部屋に再び一人きりになると、心の中にじわりと暖かい余韻が広がっていく。


 まだ少しぼんやりとしている頭で振り返ると、自分の中に小さな期待が芽生え始めていることに気づく。


 昼の三時は今から四時間後。


 電話で了承を伝え終えた後、再びベッドに倒れ込み、深呼吸をして一息つく。気が張っていた分、こうして寝転がると体が少しずつリラックスし、うとうとしてしまいそうになる。


 ふと目が覚めると、時計の針は正午を少し過ぎたところ。面接までまだ少し時間はあるが、早めに準備を整えておこうと思い立つ。昨日のうちに準備しておいた履歴書をもう一度確認し、スーツに着替える。手元にはまだ余裕があるため、リビングに戻ってテレビをつけてみる。


 テレビ画面には、昼のニュース番組が流れている。無意識に観ながら、ゆっくりと時間が流れるのを感じる。コメンテーターたちは、まるで知識を誇示するかのように持論を語り、それに頷く司会者を交えながら話が続いていく。意見に新鮮さはなく、内容も浅いため、ただ淡々と流れていく時間に自分が置いていかれるような感覚になる。


 まだ三時までには少し時間がある。少し緊張が戻りつつも、面接への心の準備が静かに整えられていくようなひとときだった。


 教えてもらったカフェの住所に行くと、十分前に着いた。看板には、ピカデリーと書いてある。カフェの名前だ。フランスっぽい名前で可愛い。


 早速店長が表まで出てきて、控え室に案内してくれた。面接室代わりに使っているようだ。幸い、従業員は職務中で、誰も控え室にはいなかったので、緊張は和らいだ。


 店長は大柄で、しかし、優しい言葉遣いと笑みを浮かべて、俺の緊張を解いてくれた。


「えーと、雄也くんは大阪から来たんだね」


「はい」


「関西弁ってまだ抜けてないよね?」


「あー、はい」


 どうしても標準語を話さなければならないのだろうかと、ふと思う。カフェの店員が関西弁丸出しだと、確かに少し滑稽かもしれない。仕事中でもつい方言が出てしまって、お客さんに不思議そうな顔をされたりしたら、それはそれで面白い場面かもしれないが、実際のところ標準語くらいはちゃんと話せるはずだ。


 自分なりに、敬語も一通り身についていると思っている。それでもやっぱり、言葉の節々に関西のアクセントが混じってしまわないか心配で、気が引き締まる気がした。


「そっかぁ。ま、でも気にしなくていいよ。そんなのは選考基準にないからね。ちょっと本物の関西弁聞いてみたかったんだよ」


「そうなんですか。聞いたことないんですか?」


「そうそう。ほとんど関東人だからね。ま、徐々に慣れてってよ」


 面接は軽い世間話から始まり、「何曜日入れますか?」や「どのくらい働けますか?」といった一般的な質問が続いた。自分の希望を伝えながらも、少し緊張が解けたように感じる。


 そして、数分後には「じゃあ採用です」とあっさり告げられ、その場で採用が決まった。拍子抜けするほどの流れだったが、新しいスタートへの期待がふつふつと湧いてきた。


「じゃあ、今度の金曜日から来てくれる? 人足りてなかったから、来てくれてありがとうね。未来もたまにはいい仕事するからなぁ」


「ありがとうございます!頑張ります!」


「うんうん。じゃあ、気をつけてねー」


 採用が決まり、嬉しさに半ばスキップするように歩き出した。まさかこんなに簡単にアルバイトが見つかるとは思ってもいなかったし、何よりも店長がとても優しそうだった。


 他の従業員にはまだ会っていないが、きっと感じのいい人ばかりに違いない。心が軽くなった気がした。


 ふと、この仕事を勧めてくれた未来のことが頭をよぎる。

 感謝の気持ちが自然と湧き上がり、改めて彼女の存在がありがたいと感じた。

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